信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

ザイオンからラスベガスへ戻る

2009年10月12日 00時49分20秒 | Weblog
9月22日から23日(火、水)7~8日目

ザイオン国立公園でのバージン川のトレイルを歩き、びしょぬれながら目的を果たした満足感一杯で
3時過ぎに緑が茂るスプリングデールの街を出た。
川歩きで疲れたムスコにはこれから2時間半、ラスベガスへ向かい運転をして頑張ってもらわねばならない。
暑さで陽炎の立つ延々続く長道路脇は巨大な岩が立ち並び、砂漠地帯であるのでサボテンがずっと見えている。

5時15分ラスベガス着。高速道路が網の目のように市内に続いていく。
初めの日に泊ったラスベガスだが違った方向から入って行くと全く方向感覚がわからないので
違った街に見えてしまう。
市内に入って直ぐに、ムスコから1時間だけと時間制限でアウトレットへ連れて行かれた。
どうやら目的の店があるらしいが、ベガスのアウトレットは御殿場の数倍はあり、廻りきれないため
1店舗に絞ったらしい。
1時間はとっくに過ぎたが間もなく買い物に大満足したムスメとハハを車に戻しホテルへ向かった。
今夜のホテルはベネチアンといい、水の都のベネチアを模してゴンドラが運河をカップルを乗せていく。



ホテルの中に運河があるというだけで驚きだが、ロビーは上を見ると丸天井から回廊になりイタリアのフレスコ画に圧倒される。
ホテルは4,049室、全室スイートで家具調度や絵画が美術館の如く飾られている。




イタリアンレストランで夕食となったが、来年の春アフリカでの仕事に出かけるムスメの壮行会をした。
もうこれでムスメとムスコの姉弟は2,3年は会えなくなってしまう。
テーブルには、バイオリンとアコーデイオンを持った楽師が廻ってくる。
我々のテーブルに来て、おおジャパニーズ、と言いながら荒城の月とさくらさくらを弾いてくれた。
そうか、そう思われているのだ、日本はと思いながらチップを渡したが、彼らはテーブルを廻って歩き結構な収入を得ているのである。

今回も夕食を終えたのが11時半、既に予定していたベラッジオホテルの噴水バレエショーや、ホテルミラージュの火山の噴火も
ホテルまで到着した時は終了していた。
ホテル一つ一つがアミューズメントパークになっている広大な土地なので、歩くだけでも相当時間がかかり、へとへとになってしまう。
明日には早朝にムスメが、一人でデスバレーバスツアーへ出かけ、ヨセミテ公園、イエローストーン国立公園、グランドテイトン国立公園のトレッキングに挑戦する。
女の子ながら逞しい限りである。

翌朝、ムスメを見送り、我々は二人で空港へ向かった。
2日間泊りながら大したことも出来ず、ショーもカジノも通り過ぎ、あまりにも巨大なラスベガスは訳がわからなかった。
マッカラン空港でレンタカーを返し、通算6日間で走行距離は1,700キロとなり、慣れない土地をムスコは一人で頑張って運転をしてくれた。
成長してくれた子供をしっかり見れたのが今回の旅行の大きなポイントとなった。

12:25発マッカラン空港からシカゴのオヘア空港に着いたのが18:00でヨメが迎えに出てくれていた。
ムスメがいないので大きな穴があいているが、無事8日目にはシカゴの息子の家でお疲れ様の乾杯が出来て、ぐっすり眠る気分になっていた。