大変な事態となっている。
東日本大震災。
今から、福島原発1号機の炉心溶融、
あるいは爆発について、発表があるところだ。
容易ならざる事態である。
阪神大震災の取材を続けた身としては、
息長い支援が望まれる、と感じます。
それぞれが何ができるか。
できることをずっと続ければいい。
例えば、三陸産の物産を買い続けるとかね。
何だかピントが外れてると思われる方もいらっしゃるかもしれないけど、
そう思うんだよね。
ただでさえ経済が疲弊している地域。
いろんなモノをそこから買うっていうのは、
間接的だけど、地域を勇気づけることになると思う。
傷ついた地域に、常に眼差しを送ることが大切なんでしょう。
(英紙 インディペンデントの1面)
おまわりさんの口をついて出るフレーズに、
タイトルのようなものがある。
どうしても解決しないといけない事件、との意。
まあ、犯罪の場合、
基本的に解決されなくてもいいものってのはないわけだけど、
中でも、「石にかじりついても」ってのもあるわけだ。
その中の一つ、最も大きな一つが時効を迎えました。
警察庁長官銃撃事件。
まさに「挙げんといけん」事件だった。
当時、無駄に警察に出入りしていた私。
NHKがテロップで報じた瞬間、ある県警本部のまさに捜査一課にいた。
部屋は総立ち。騒然となった。
捜査一課長の唇が震えていたのを覚えている。
世界一の治安を誇った国、日本。
その勲章はいつの間にか失われた。
治安を守ってきたはずの警察組織の「膿み」は、相次ぎ表面化。
組織は傷つき、信頼は損なわれた。
別に警察が好きなわけでもなく、むしろ嫌いなんだけど、
この組織の行方は気になる。
時効をまたいで、こんな本を読んだ。
週刊新潮で報じられたことを焼きなおしたもので、
正直、新味はない。
ただ、時代がかった表現で、
執拗に公安警察を撃つ姿勢は、それなりの迫力もある。
要するに、オウムに固執し、方向転換しなかったことを断罪してるわけ。
捜査のことはわからない。
ただ、いつも思うのは、「予断」は持たないほうがいいってこと。
そして、「思考停止」は全ての敵だと思う。
権力を行使する当局ならば、余計にそうあってはならないのだろう。
しなやかな思考がまず必要。
そして誤りを認めやり直す勇気が大切だよね。
まあ、それは誰にでも言えることなんだけどさ…
などと、未明につぶやく私。
少しヘンかもしれませんな(笑)
佐世保の散弾銃乱射事件、いやあ、滅茶苦茶だね。
アメリカかよ、って感じ。もしくはイラク。
何でこんなことが起きちゃうかなあ…。
舞台はスポーツクラブ。
それも、私が通っているクラブだけに、余計に驚いた。
今日、いつものように汗をかきに行ったら、
張り出しがあった。
うーむ。
親子でお世話になってるスポーツクラブ。
今朝もチビはテニス。午後から私がマシントレーニングである。
で、馴染みのインストラクターさんが寄ってきて、
声を潜めて「何かご存知です?」
いや、もちろん知らないんだけどさ、あたしゃ。
ただ、私の仕事を知ってる彼女なので、
少しでも不安を解消したかったんだろうなあ。
クラブはただ舞台になっただけで、動機とは関係ないって、思いたいんでしょう。
そりゃ、そうだよね。まったく…。
今回の事件でちと印象に残ったことがある。
発生当初、外国人の犯行って見方が広がった。
某有名キャスターは米兵を示唆するような発言までしたようだ。
で、まあ、そんなことは初期の混乱ではよくあること。
印象に残ったのは、別なお話。
一部ネット上で、
「地元紙ですら(筋読みを)間違わなかったのに、
大手マスコミはミスリードした」って論調が広がっていたこと。
まあ、その程度の理解とゆーか、
そんな「力関係」と考える人は多いんだろうけど、
それはまったく逆。
地元の事件で、地元紙が遅れを取る事はまずない。
全国紙なんかに負けるようじゃ、地元紙の看板は上げてらんないんだよね。
そういう意味では、被疑者死亡は辛い。
今後、全国紙や通信社はやたらと「飛ばす」でしょう。
カッチリ報道していこうとするであろう、長崎新聞は辛いだろうな。
少し経った時、何が本当だったか、
誰がぱちを垂れ流していたかが、はっきりわかるはず。
でも、そんなの誰も覚えちゃいねえんだよね…。
遠い「記憶」が蘇ってくる私でした。