HAPPY-GO-LUCKY!

E・コッカーと戯れる浪費派リーマンのゆるい生活

「新聞記者」を観た、の巻

2019-07-01 18:30:43 | 映画
映画「新聞記者」を観た。
面白かったし、ほろっとした。
 
 
 
森友学園問題などをモチーフに、今の政治状況、メディアのあり方を描いてる。
 
内閣情報調査室が天下の悪役として出てくるわけだけど、さてさて。
 
俺たちの知ってる内調は、「そんなこと大真面目に調べてるの?」って感じの、ちょっとマヌケなイメージ。
 
でも昨今は、ここに描かれてるほどではないにしても、相当にいろいろやっているのでしょう。
 
 
冷戦が終わり、公安の存在意義が薄れがちな中、何かやることを見つけたとゆーか。
 
時の政権も、同調圧力に身を委ねがちな民意?も、映画が描く内調を作った共犯者なんだろうなぁ。
 
そんな中で、さまざまに反省はあるけれども、出てくる記者たちが愛おしくてたまらない。
 
ほろり涙が出たのは、主人公の記者にデスクが「朝日も読売も毎日も追いかけてくれてるぞ」と声をかける場面。
 
映画だから少しリアルとは外れがちなんだけど、その際の主人公の安堵と少し誇らしげな表情は、ホントによくわかる。
 
 
東京新聞の望月記者の著作が原作。
菅官房長官とやり合う彼女に応援も批判もあるわけだけど、あの場であれをやる勇気は特筆すべきものだ。
 
俺も何度か質問したけど、なかなかない緊張感だからね。
それも時の権力の象徴とガチンコってのは、簡単にはできないこと。
安全地帯から批判するのは簡単だけどね。
 
残念ながら、記者の現場から離れちゃったけど、俺たちは俺たちのやり方で、記者を応援し守ってあげたい。
そんな思いを再確認させてくれる作品でした。

「グリーンブック」ってどうなん?の巻

2019-03-03 23:44:35 | 映画
前評判の高かった映画「グリーンブック」。
じゃあ行こうか、と老夫婦でトコトコ。

って、ココから思わぬ長文になります(^^)



で、サロンシネマに、お昼過ぎからの会を狙って。

するとまあ、全然入れなくて、次の4時からのも最前列のみなのさ。
諦めの早い私たちは、じゃあやめよ、ご飯、ご飯!と。

立町の味家です。







うん、まあまあかな。



このご飯の皿?が韓国だよね。



で、おばあちゃんたちのお見舞いに行って、競馬の弥生賞をテレビ観戦。
これもまあまあの結果ですな。

とかしてたら、バルト11での上映がちょうどいい感じに。
訪れてみました。




いい映画だったな。

知り合いからは「ちょっとライト風味じゃない?」って声もあったけど、アメリカ国民には🇺🇸刺さると思う。

1962年当時を描いた作品。
「風と共に去りぬ」とかの南北戦争の時代じゃないんだからこそのライト風味で、それがリアル。

鎖で繋がれた黒人が綿花を摘み、時折白人が鞭打つ、なんてステレオタイプなイメージを持ちがちだけど、それは西欧人が日本にニンジャやゲイシャを求める感覚と同じなんだろう。



そこからみんな変わってきてるし、でも60年前はまだまだカラーにより生活圏が違ってたって現実もあって。



黒人への差別、イタリア系への偏見や決めつけ、カラーの中での格差や差別もそこかしこにある。

プアホワイト、アメリカファーストって言葉が世の中を左右し、トランプを生み、そして少し後悔してるように思える、今のアメリカならではの作品だと思う。


この日、サロンシネマで会った知人によると、わざわざチケットを前日に買いに来たのだそう。そして、その場にいた別の知人は朝イチで来て、最初の上映には入れずお昼過ぎにようやく鑑賞できたとか。



凄い人気だね。

「分断」がキーワードになりつつある現代だからこそ、より普遍的な作品になり、日本でも衆目を集めるんだろうなぁ。

今週から、この映画を取り上げたコラムや論説が目白押しだと思うよ。
そのためにこの週末、これを見たマスコミ人はめっちゃ多数でしょう。
元ギョーカイ人は断言いたします(笑)

てなことを考えながらロビーに出ると、あら、このバカブログでもお馴染みのド失礼なあるブチョーさんが!

マジメにいろいろ思いを巡らせてたんだけど、コイツの顔を見たらつい「おい、やっぱ最後は腕っ節っちゅうことじゃのう!」って。

いや、違う!
そんなことを考えてたわけぢゃない、ワシ(笑)

しかもそういい放った瞬間、近くに彼の奥様が佇んでらっしゃるとゆー。
頭悪いにもほどがあるな、ワシ(^^)

ついでだから少しプチエピソードを記すと、この作品の主人公の一人である黒人ピアニストのドクがスーツの試着を断られる街、俺、よく知ってるのよ。

アメリカ南部のジョージア州アトランタから100キロぐらいだったかな、そう、メーコン市。

四半世紀ほど前、それこそ今、なぜか(笑)責任者をやってるひろしまフラワーフェスティバルの特集取材のために訪れたのさ。

http://www.geocities.jp/alsterm/america/atlanta/atlanta01.html

吉野桜を愛でる桜祭りってのがあってね。

ゴリゴリのサツ回りだったワシですが、なぜか取材のお鉢が回ってきたもんで、「めんどくせえから、直行便があるトコに行こっ!」って、2年後かなんかにオリンピックが開かれるアトランタ近くのここにしたわけ。

とゆーか、当時は世界どこでも、自分が思うところに取材に行けたわけで、それはそれでありがたかったとゆーかアホな組織とゆーか。しかも俺、20代だったような(笑)



この街は黒部市の友好都市。それとゆーのも黒部市にゆかりの深いファスナーのYKKの巨大工場があったわけ。

もう完全な企業城下町。YKKの影響力ありまくりなわけで、まあ、若くして狡猾なボクは「取材が楽だろう」とそれを狙ってこの地を選んだ節もある(^^)

運転手付きの黒塗りのキャディラックで祭りの取材地を廻り、アポなしで市長に会い、まあ、かつてない天下無敵な取材をした記憶もかすかに残りますなぁ。

その際、俺は祭り取材の傍ら、警備してる向こうのサツ官に話を聴いた。

「日本では、事件の話を聞くために夜回りって習慣があるだけど、こっちでもある?」って。



それは何だ?ってそれこそ黒人警官が言うから、「だからさあ、夜に訪ねて行くのよ、突然!」って、ガンガンドアを叩く素ぶりも交えて説明すると、彼は言ったね。

「撃つ」って。

そりゃ、そうだよなぁ。銃社会ってそーゆーことだよな。

ここまで書いて思い出してきた。当時、日本人留学生射殺事件があったんだ。
「服部くん事件」。

そうそう、その直後かなんかに訪れ、事件現場のルイジアナと同じディープサウスのジョージア州にいて、「shooting!」なんて感じの返答を聞いたから、四半世紀経った今も覚えてるんだな。うんうん。

そして大名取材なんか続くもんじゃなくて、その後、俺はアトランタに転戦します。夕刊用の記事を書くためにね。

で、五輪契機に沸くアトランタって記事を書こうとスタジアム🏟建設現場に車を走らせるわけ。

フツーに降車し、その辺のあんちゃんたちに話を聞こうとするわけだけど、取材コーディネーターがビビるのよ。「ここ、危ないから」って。

いやいや、俺、ずっと危ないことしてきたし、と。
なんならカラダ張る仕事しかしてないし、と(笑)

強引に降ろしていろいろ話を聞くわけですが、まあ、多少トラブルはあっても気迫ってのは万国共通なんで、ほぼほぼノープロブレム。

ただ、ほかの日本マスコミは絶対にやらないやり方だったそうで、かのコーディネーターの心には若干29歳のボクの姿が深く刻まれたとか。


その後もほかの日本マスコミを紹介してあげたりして、ずっと細々ながら親交は続いてたんだけど、彼、昨年、亡くなっちゃった。「アトランタにおいで〜〜」って言うから、定年後の夢にしてたのにな。

そう言えば、アトランタから直行便で帰国する機内で訴状やらなんやらを読み込み、休むまもなく裁判所に直行し、でかい裁判の社会面アタマのサイド記事を書いたなぁ。
いやあ、働き方改革の真逆にありますな(笑)

なんだかいろんなことを思い出す作品でした。
俺、必死のパッチで、それでも楽しくやってきたなぁって、こんなこと書いててちょっとシミジミしますた(^^)


そしてその後、こんな子を連れて帰ったよ。



ころっけそっくり。カレラくんのマスコットにしましょう。



ずっと一緒。後ろから見守っててね。



リボンしてます、女の子だからね。


「カメラを止めるな!」を止めるな!の巻

2018-09-03 13:48:24 | 映画
映画「カメラを止めるな!」が大ヒットしている。

広島でも先日公開された。

とゆーことで、早速GO!である。


場所はイオンシネマの西風新都。

道中、割と乱暴な運転のパナメーラさん。




大阪ナンバーで、ウインカーを出さないとゆー、分かりやすい感じの黒ターボさんでした。


そして、レクサスのLCさん。






ホント、歌舞伎の隈取みたいだね。


イオンシネマはアウトレットの中にあり、食事スポットは大賑わい。

開演まで時間がなく、ランチはあきらめかけていたところ、あらら。




ディスってるわけじゃないけど、ここだけはスカスカでした。




俺はここの麺が好きじゃないんだけど、「まあ、しょうがないか」と。




すると、いつもボソボソに感じる麺が、フツーに美味かった。

茹でる人によって違うのかな。



それとも麺を変えたのかしらん?


「(混んでる)アウトレットでは国松はおススメ!」ってゆーお話でした。




いや、皮肉とかではありませんwww


で、映画に。




結論からいうと、すごく面白かった!






伏線を回収していくってパターンで、「後出しじゃんけんかよ!」って向きもあるかもしれないけど、それでもよかったなあ。

なんとなく違和感を感じていた部分が、見事に説明されていくって感じ。

伏線回収でいうと、嵌ったときの漫才とも似た、爽快感がありました。




そんな「カメラを止めるな!」。

盗作疑惑も持ち上がったよね。

https://toyokeizai.net/articles/-/234964






まあ、そこは光の当て方なんだろうなあ。






ただ、この愉快な作品はスポイルされてほしくないね。




多くの人と語り合いたくなるような、そんな映画でしたよ。うんうん。




ボクと「孤狼の血」と昭和63年夏、の巻

2018-05-22 13:19:10 | 映画
呉や広島でロケをした東映映画の「孤狼の血」。

先日、観に行った。





これに乗って映画館に向かうわけだ。
広島っ子にはどこかすぐわかるね。




映画はざっとこんな感じ。


あらすじ
昭和63年、暴力団対策法成立直前の広島。
所轄署に配属となった日岡秀一は、暴力団との癒着を噂される刑事・大上章吾とともに、金融会 社社員失踪事件の捜査を担当する。
常軌を逸した大上の捜査に戸惑う日岡。
失踪事件を発端に、対立する暴力団組同士の抗争が激化し…。




で、なかなか面白かった。

ただ、ちょっとグロすぎる感じもあったなあ。

奥さんと来なくてよかったよ。

「リアルとグロはちと違う」と思うんだけど、深作の「仁義なき戦い」を必要以上に意識しちゃったのかな?


とはいえ、十分合格点。

ロケ地の風情が、まさに昭和の広島だ。ふ




こちとら自慢じゃないが、歓楽街を何十年も無駄に飲み歩いているので、ドンパチの撮影してる現場が手に取るように分かる(笑)



それに広島弁も相当に自然だった。違和感なくこっちに飛び込んできたね。




そして何より、ボクの身に沁みたのは、その時代設定だ。

昭和末期。昭和63年の春から夏にかけての広島。

そこはまさに、ボクがサツ回りとして本格デビューした「街」なんだよね。


「ヨチヨチ歩き」を始めたのが前年。

サツ回りも2年目も迎え、ある程度現場も踏んだころである。

この映画に描かれている空気感や温度は、よーくわかる。



映画を観ながら、「ああ、あの頃の広島だなあ」ってしみじみした。


当時の歓楽街は極道の「博覧会」。

発砲事件もしばしばあった。

ずっとサツに詰めて一緒に無線を聞いてるから、現場に着くのも、サツや救急とほぼほぼ一緒。

撃たれた極道が呻き声を上げてる姿を何度も見たもんだ。

しかしながら委細かまわず写真撮ったり、さらに関係者にコミかけたりするもんだから、そいつの「お仲間」に蹴り上げられたり、殴られたり。

いやあ、貴重な経験をさせてもらったよなぁ、うんうん。



そして63年の夏だ。

大上たちが極道の間を這いずり回ってるころ、

若干23歳のHAPPYMANもまた、蠢いていた、ぼろ雑巾のようになりながら。


これが起きたのだ。

「広島駅新幹線ホーム乱射事件」(平成元年 警察白書

「63年7月12日、乗降客で混雑するJR広島駅新幹線ホームにおいて、暴力団幹部らが、以前から対立していた暴力団組長らとけん銃を撃ち合い、一般市民3人が巻き添えとなって重傷を負うという事件が発生した。このように、暴力団は、一般市民が巻き添えとなるおそれのある場所においても平然と発砲するなど、社会に多大の危険と不安を与 えている」






マジか!と。ありえんやろ、こんなこと!

当初、広島駅で爆弾が破裂した、との一報で、県警本部から現場に急行。

「現着」が早いにもほどがあるので、規制線なんかそもそもない。

「俺の後に道ができる」ではなく、「俺の後に規制線が張られる」ってお話だ(笑)


しかしまあ、考えてみてほしい。
まったくもってフツーじゃないわけよ。

ざくっと申しますとね。

新幹線で広島に戻ってくる暴力団組長を、対立する暴力団5人がホームで待ちうけ、拳銃25発を発射。

極道1人、一般人3人が怪我をしたってお話だ。


25発も撃ったんだよ。そんなの西部劇でもないだろう。

それも新幹線ホームですよ。
夕方、いっぱい利用客がいるの。
で、撃たれた方も応戦したとかしないとか。
おい、内戦かよ。

結果、不眠不休の日々がスタート。

言えないような場所に潜り込み、多くを語れないような方面にも話を聞いた。

撃たれた瞬間って、痛いんじゃなくて「熱っ!」っ感じなんだって。
そんなの知って、なんの意味がある(笑)

今なら、若い人たちには絶対にやらせないけどね。



極道については、「必要悪」だなんていう声もある。

しかし、私は真っ向から反論するし、その存在を1ミリも認めない。

そして、時折問題となる極道とサツの癒着にも、警察をはっきり断罪する。


この映画をご覧になった大学教授さんから「出てくる記者さんを見て、HAPPYMANさんを思い起こしました」と連絡があった。

警察と極道の癒着を追及する、中村獅童演じる地元新聞社の記者である。

それはまったくの買い被りで、その当時のボクは真実を見透かすような眼力もなく、場数も足りず、ただただおろおろしてた。


ただ、「奴らを知らなきゃならない」「世の中の裏側を見つめたい」「小さな声に耳を傾けたい」と、そう思っていたのは事実だ。

30年近く経ち、現場を預かる立場になったとき、部内向けに、その頃の、正確にはその一年前の自分を書いた。


【ボロアパートで】

 街を歩こう。何かが転がっているに違いない。それが今回のお話。ただ、やはり相も変わらず昔話だ。申し訳ないがおつきあいを願いたい。

 昭和62年春、広島中央署でサツ回りを始めた。もう辛くて、辛くて。署がどっちに向かって動いているか、まったくわからない。署を離れるのが怖いから、街ネタも書けない。そんな私にできるのは、当時、ひんぱんに発表されていた「ビラ張り逮捕」の夕刊10行だけである。

 ある日、県警キャップから雷が落ちた。「毎日同じことを書いて面白いんか。ビラ張りの裏に何があるか、知りとうないんか。2週間やるけえ調べてこい」。ビラ張り行脚が始まった。

 ただ一人だけ懇意にしていた防犯課長から、売春の女元締の住所を聞いた。彼女がやっていたスナックに日参。最初は相手にされなかったが、よほど思い詰めた顔をしていたのだろう。ビラ張りやら客引きやらを紹介してくれた。

 ビラ張りで十数回逮捕されてきたのがヤギさん。そう呼ばれるのは家畜のヤギに似ているからで、すごみも渋みもない。もともとは組員だが、本人が「根性がないんよ」と自嘲するだけあって、業界をはじき飛ばされた。不始末もあったのだろう、指も3本ない。いかにも出来の悪そうなお方だった。

 戦後すぐに建ったと思われるボロボロの木造アパートの2階が彼の部屋だ。夕方から夜中までビラを張って朝まで飲むから、悪臭漂うその部屋を訪ねるのは彼が起きる午後3時ごろ。部屋にたどり着くまでに、必ず廊下で女の子に会う。

3歳ぐらいだった。腰にひもが巻かれ、その一端が柱に縛り付けてある。階段から転げ落ちないようにだ。ヤギさんいわく母親は風俗嬢。彼女もこれまたヘタを打ち、昼間から苦界に身を沈めているわけである。

 女の子はひとりぼっち。何度もヤギさんを訪ねる私になついてくる。階段に座り、おみやげのお菓子を一緒に食べるようになった。しばらくするとヤギさんが起き、共同便所で用を足すため廊下に現れる。3人で「おはよう」と言い合う毎日。私の記者生活はこのボロアパートから始まった。

 「自信がない。辞めたい」と下を向く私に「石の上にも三年。頑張りんさい」と励ましてくれたヤギさん、客引きのヒロシ、そして女元締のババア。「アンタらこそ頑張れ」と言い返していたが、本当はありがたかった。その後、何年にも及ぶサツ回りの中で、数少ない特ダネのいくつかは彼らから知らされた情報がもとである。

 山口に転勤する際、ソフトボール大会を開いてくれ、東京から帰ってきた時は歓迎会をやってくれた面々はその後、自ら命を絶ったり、薬物依存の末に姿を消したり。付き合いは薄れた。

 ただ、腰にひもが巻かれた女の子を見たときの衝撃は今も忘れられないし、彼らの笑顔も胸に残る。その後の方向性はこの辺りで定まったのだろう。当時のキャップに感謝している。






「孤狼の血」の大上は大上で、彼なりの「正義」がある。

そして俺たちも俺たちなりの正義や価値観を抱えてやってきたわけだ。

キャリアを重ねるうちに、組織に生きる中で、もちろん修正も必要だろう。

ただ、変わらないもの、変えてはならない初心ってものも、またあるんじゃないだろうか。


この63年の7月に起きたのは、乱射事件だけではない。

中国自動車道のトンネルで多くの命が失われ、豪雨と鉄砲水が県北のムラの暮らしと希望を奪った。

悲嘆と喪失感に支配されたそのいずれの現場にも、ボクはなぜか最先着した。たった1人で立ちすくみ、そして全身全霊で這いずり回った。

まさに方向性は定まってしまったのだろうと思う。


私にとってもあまりに「過剰」な夏を描いたこの作品。

そこに触れながら、あらためてそう感じたわけです。


気楽な稼業ときたもんだ?の巻

2017-01-31 12:43:29 | 映画
松方弘樹が世を去り、さまざまなメディアがそれを報じた。

代表作としてはやはりこれ。

「仁義なき戦い」シリーズであろう。

後の「元気が出るテレビ」は「仁義」イメージからの変化をみなが楽しんだわけだからね。


そんな作品、この度、追悼番組として放映されたので、奥さんと鑑賞しました。




しかしまあ、何度観ただろう、このシリーズ。

広島の少し古いサツ回りにとっては、教科書とは言わないが、副読本ほどの存在ではあった。

だから、主要な登場人物のモデルが誰か、すべてわかる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%81%E7%BE%A9%E3%81%AA%E3%81%8D%E6%88%A6%E3%81%84

奥さんの質問に「彼は死ぬ」「こいつは生き残る」などと説明する小生であった。

最初は怖がってた彼女だけど、次第に食い入るように。

作品としての力が強いことを、あらためて感じました。


で、ウィキペディアにこんな記述がある。

獄中手記を美能幸三が執筆した原動力は、1965年(昭和40年)に中国新聞報道部記者である今中瓦が『文藝春秋』四月号に執筆した「暴力と戦った中国新聞 ― 菊池寛賞に輝く新聞記者魂 "勝利の記録"」という記事への反論からであった

これがなかったら、美能氏はこれを書かなかったわけだから、「仁義なき戦い」自体も世に出なかったことになる。

今中「瓦」じゃなくて、「亘」だけどね。

「仁義」が副読本としたら、これはまさに「教科書」。



この方はボクが入社したときのホードーブチョー。

左の「許すまじ」とともに、まあ、覚えるほど読んだものですな。

まあ、そこから四半世紀が過ぎ、同じ立場になるとは思わなかったけどね。


そんな「仁義」。

暴力団抗争を描いたドキュメント風作品であるのはそうなんだけど、今回、別の思いも抱いたなあ。

これはホントにリアルな「サラリーマン小説」の感があるよね。


古くは源氏鶏太。これはジジイの本棚にあったので、小学生の時によく読んでた。

世の中のサラリーマンはみんな、お昼は日比谷公園でバレーボールをしてるのかと思ってたなw。

椎名誠の「銀座のカラス」なんかもサラリーマン小説なんだろうなぁ。


で、もっと強烈なのが「仁義」だと思う。

見栄や虚栄、欲や裏切りが横行する組織で、それぞれがいかに身を処していくか。

いやあ、考えさせられるね。


非常にわかりやすい、ろくでもない上司。



その権力におもねり、上昇を企む男。



小さな正義はそこには通用しない。



盟友ともやがて溝が生まれ、残酷な決断が迫られる。




男臭くも切ない、しかしリアルなストーリーだね。

どんな組織にもある、身につまされる話だからこそ、これだけみなに受け入れられたのでしょう。


まあ、サラリーマンは所詮、組織の中でぬくぬくしてるわけ。

自営の方々と比べれば、甘やかされてる(と、ボクは思う)

基本的に「生首」は取られないわけだから。あっ、首にはならないって事ね。

「気楽な稼業ときたもんだ~」でありますな。

https://www.youtube.com/watch?v=l_iGAKOZq2k

だからこそ、それでいいのかってことでしょうね。


清濁併せのもうとする松方。彼は静かに目を閉じる。



それはそれで、リアルな選択だ。

ただ、そこで文太は視線を送る。


「お前はそれでいいのか。これまでの生き方をやめるのか」。



そんな訴えかけは、すべての組織人に届けられているような気がしますな。


「相談され体質」なこともあってか、いろんな思いや懊悩が各方面から届く今日この頃。

俺が何をやってあげられるわけでもないけど、まっすぐ前を向いて進みましょう。

自分に恥じない選択ってのが、最後にきっと自分を支えてくれるはずですよ。