知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『日本は凄い・日本人は凄い 3 (石舞台 後世のこの命名に感心!)』ー古代に人力で運ぶ、最重量が70-80トン、仮組み立てを石切り場でー 

2018-12-29 23:04:01 | 歴史・日本

      『古代の日本は・日本人は凄い 3(石舞台 後世のこの命名に感心!)』

      ー古代に人力で運ぶ、最重量が70-80トン、仮組み立てを石切り場でー

政権争いの結果、政敵に破壊されてもこれだけ残った別名『石舞台』の巨石の方墳墓、大化の新政権は蘇我宗本家の旧政権否定から始まり、飛鳥京の上方部の馬子の巨大墳墓の破壊から開始された。

 蘇我馬子墓、『説』、と言われるが三重中京大学のコンピュータ―画像解析で、石室内部の羨道の玄門上部に、馬と子の字の半分が読めた。

大宝律令条文にも、『墳墓には碑文を立てよ』とある。

 

欽明天皇(571年2月没)の円墳が先で、蘇我馬子(626年5月没)は

後で方墳。 これも馬子墓説の裏付けの一つ。

 

著名の考古学者曰く、『歴史に確実はないが、定説でいえば、・・・・・』、とあり、これは蘇我馬子の墓が確実に近い、定説と言えそう。

 

世界の大墳墓は被葬者の名前は明瞭、日本の場合は特有の高温多湿、その他で風化が多い。

 

石舞台から1km余離れた所に、石舞台の破壊のときに、墓の石室から運び

出されたと言われる『鬼の俎』と『鬼の雪陰』があり、これらの寸法から

石舞台の天井石、77トンと60トンを外せば、取り出せそうだが。

 

課題① 狭い石室からの取り出し方。 吊りあげか、押し上げか、方法は。

課題② 何故(破壊目的なのに)77トンと60トンの天井石を元に戻したか。。

 

梅原猛古代学に、法隆寺の中門の真ん中の柱が、怨霊の封じ込めとの説があり、この石舞台の天井石の戻しと、盛り土は蘇我馬子の怨霊封じ込めか。

 

発掘時の写真を見ると、石舞台の名称に相応しく、空堀に囲まれた方墳で、

古墳時代の前方後円墳から方墳への第一号と言われる。

稀に見る巨大な石室 (奥行き7.7m、幅3.5m、高さ3.5m)を完備したもの。 古墳は石の切り出し現場で仮組み立て後、河川を利用運搬、石舞台は、飛鳥川と冬野川の交叉する地点にある。

 

課題③ 石室の側面と床の石の切り出しと仮組み立ての場所は何処、

    河川での運搬は筏か船か。

課題④ 自然石の天井石、77トンと60トンは何処から、どのように運搬

     されたか。

                      (20181229 纏め #046)

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『インカは凄い 1(インカ オリャンタイタンボの6枚屏風岩)』ー80トンの巨石を330mの高さで切り出し、降ろし150mの丘に上げたー

2018-12-29 22:21:30 | 歴史・世界

『インカは凄い 1(インカ オリャンタイタンボの6枚屏風岩)』

      ー80トンの巨石を330mの高さで切り出し、降ろし150mの丘に上げたー

 

世界中の著名な、先生方も、この16世紀に構築されたインカオリャンタイタンボの遺跡について石の切り出し・運搬・構築方法に関して全く推測さえしていない。  今回は、ウェブ情報チェックでは限界でした。

 写真(1)、15世紀構築のインカオリャンタイタンボの6枚屏風岩

6枚中最大のものは、高さ4m、幅2.5m、厚さ平均1m、重さ約80トン。

 

 日本にもある石舞台(7世紀、時間差は約1,000年)には、77トンと60トンの天井石が載せられていますが、全く加工はされておらず、無垢の自然石です。

 ユーラシアとその諸島、英国・日本等の巨大な石を使った遺跡は、ある程度、切り出し・運搬・構築方法は、推測できるし、一部には痕跡もある。  このインカオリャンタイタンボの6枚屏風岩遺跡を含む、精緻に加工されたインカの遺跡には、殆どその痕跡がない。  先ずはウェブ情報です。

 

 一番近くの花崗岩の石切り場は、直線距離で10キロ、実際の運搬距離では少なくとも15キロ離れた川()向こうにある。

ウルバンバ川支流のパタカンチャ川の流れ込む谷間

6枚屛風岩のある地点は150mほどの高さ。 花崗岩の石切り場のある地点は330mほどの高さ。 つまり、6枚屏風岩の建造者は80トンもの重量のある巨石を330mの高さの山上で切り出し、一度山の麓まで降ろし15キロもの距離を運ぶ途中で、川を渡らせ、再び、150mもの丘の上に上げたことになる。

 

50トン以上の石6枚を切り出し・運び・並べて建てるのは不可能に近く、機械を使わずに、どのようにしてこれを作ったのかは解明されていない。インカ帝国には、巨大な石を使った遺跡が数多く残されており、その加工技術も謎のままで、石の表面が非常になめらかに加工されているものが多い。

 

写真(2) 写真(1)の右から一番目と二番目のつなぎ目

このつなぎ目は『サネハギ(実矧ぎ)式』に見えるが、『ホゾサシ(枘差)式』。

私見です。 鉄製工具がなく、石製・青銅製工具で写真(3)に見えるホゾ突起造りより、ホゾ穴堀の方が難しく、このつなぎ目の石で、ホゾ穴堀加工で失敗したときに、新規に造り直しが出来るようにした。 この石板でなら百数十キロであり、比較的容易に、新規に造り直しができる。  つまり数十トンの巨石での、ホゾ穴堀加工の『オシャカ』対応をしないで済む。

 

 写真(3) ホゾサシ(枘差)のホゾ突起が見えている。

 

木材・石材などをつなぐとき、一方の側面に作った ホゾ突起で、反対側のホゾ穴に嵌める。

どちらも木造建築で発達した技術で、英国のストーンヘンジは、横石はただ乗せただけではなく、立石と横石は凹凸の組み合わせで接合されており『ホゾサシ(枘差)式』。 一部の横石どうしは、溝では継ぎ合わされている『サネハギ(実矧ぎ)式』。

それらは、石に利用された木工技術で、昔、英国は針葉樹林帯であった。    インカには、大型木造建築技術があったかどうかは不明で、突然、巨石建築に『ホゾサシ(枘差)式』技術が、使われた可能性がある。

ストーンヘンジ遺跡とオリャンタイタンボ遺跡には、仕上がり面での大差は、ありますが、その時間差は約3,500年です。 インカの巨石加工技術と運搬技術は、今後『調べ甲斐』がありそうです。

                              (20181229 纏め #045)

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