『海外の古文書が日本史の謎を解く(手紙・日記等)から解る 1』
『宣教師は植民地主義の拡大の中で、情報収集・報告機能を見事に』
『日本の信仰・宗教は、自然崇拝の八百万の神から神道、外来宗教へ』
NHKスペシャルのタイトル『戦国~激動の世界と日本~第1集 秘められた征服計画 織田信長×宣教師』を見ました。 島国日本の中世・近世に興味津々、益々調べたくなります。
ウエブ情報から引用
『世界各地で「日本の戦国時代」に関する発見が相次ぎ、大航海時代のヨーロッパと日本が強く結びつき、地球規模で歴史を揺るがしていた事実が明らかになってきた。 第1集は、織田信長と豊臣秀吉の時代。 ヨーロッパの16世紀の文書が公開され、信長・秀吉と、来日したキリスト教の宣教師、そして背後にいたポルトガルやスペインとの深い繋がりが見えてきた。 それぞれの思惑と、熾烈な駆け引きを描く。』
『長篠の戦いで使われた織田軍の銃弾には海外(タイ)産の鉛が使われていた。 イエズス会の宣教師が本国からの指令を受け、布教の後押しを見返りに、国内で調達困難な鉛などの軍需物資を提供していたというのだ。 大航海時代の、死の商人といったところか。 イエズス会の記録によれば、こうした取引に(豊臣)秀吉は反対していたという。 宣教師たちは日本征服を企んでいるとにらんでいたからだ。 しかし、(織田)信長は意に介さず、彼らとの取引を続けた。 信長は鉄炮を量産させており、鍛造技術による革新的な日本製火縄銃の優位性と殺傷能力の高さに自信をもっていた。』
この番組を見て初めて知ったこと。
群雄割拠の日本の戦国時代は、覇権争いの内戦ではなく、世界史の大きな流れの中に巻き込まれていた。 織田信長や豊臣秀吉の野望と、ヨーロッパからやってきた宣教師たちの狙いが、それらが交錯して、激動の戦国時代に影響していた。
宣教師フランシスコ・カブラルが織田信長に接近、鉄砲の弾はタイ産
(こんな『ネットワーク・サプライチェーン』の存在に驚き)
今 世界各地で、戦国日本に関する発見が相次いでいます。 注目されているのが、日本にやって来た、キリスト教の宣教師たちの機密文書。 宣教師たちは、壮大な征服計画を、持っていました。 それが戦国日本の戦いや、天下統一への歴史を左右していた。 キリスト教カトリックの総本山から、戦国日本に関する貴重な史料の撮影が、特別に許可されました。
記録では1549年宣教師のザビエルが来日。
宣教師には、全世界をキリスト教の国にするという、大きな使命があり、達成するため、宣教師が極秘の情報活動をしていたことが、明らかになってきました。 各地の日本人キリシタンと協力して、広大な情報網を築き、戦国武将の動向を探っていた。 情報網を取りしきっていた、宣教師の名前はフランシスコ・カブラル。 ザビエルから数えて3代目の宣教師のリーダーでした。
カブラルは 布教の拡大を図るため、次々と戦国武将への、接触を試みていた。
その中で 最も有力な候補者と考えたのが、織田信長でした。 信長が天下統一に向け 大きく飛躍した、長篠の戦いです。
信長の鉄砲と 武田の騎馬の戦いだといわれてきましたが、鉄砲対鉄砲の戦いでもあったのです。何が両者の勝敗を分けたのか?
戦国時代の弾丸でした。 合戦当時の陣形や見つかった場所から、信長軍の鉄砲玉と推定されました。 帝京大学 客員教授 平尾良光は。この鉄砲玉の素材は 鉛。 当時の日本では極めて貴重な金属でした。 鉛の成分を解析した結果、信長軍の弾丸は、日本から4,000km離れた、東南アジアのタイ鉱山で、産出した鉛でした。
海外の鉱山まで伸びる,この鉛のネットワーク・サプライチェーンこそが、信長の勝因の一つだったのです。 イエズス会ローマ文書館に、宣教師の記録があり、カブラルは、布教を後押ししてもらうため、軍事物資である鉛の取引を、行っていたと考えられています。
リスボン大学歴史センター准教授ペドロ・コレイア
信長への軍事支援と布教をカブラルは結び付けていた。 天下統一したければ、キリスト教を支持せよ。
日本に軍事物資を運んだのは、ポルトガルの交易船でした。(沈没船調査2014年 オマーン)沈没した交易船の調査で見つかったのは 大量の弾丸。
そして ヨーロッパで作られた鉄砲。 長篠の戦いで 宣教師の力を借りて、宿敵 武田家を打ち倒した信長。
織田信長がキリスト教を保護してまで南蛮貿易を続けた4つの理由
この後の、日本の中世史・戦国時代を見ると、織田・豊臣・徳川時代は、まさに『織田がつき 羽柴がこねし 天下餅 座して喰らふは 徳の川』という落首のように、織田信長の『先見性・先取性』には驚くばかりです。
(記事投稿:2022/09/25、 #576)