『「イースター島 21の謎」を見て、ますます謎が深まった 2』
『謎解きは、世界中に分散・散失したロンゴロンゴ木片の解読から』
『絶海の孤島の歴史「黎明期・隆盛期・衰退期」の変遷から現世界は学ぶべき!』
次の前置きは、『「イースター島 21の謎」を見て、ますます謎が深まった 1』からの再掲です。
ロンゴロンゴの記された24の木片(文字板)が19世紀後半に収集されたが、風雨による損傷や、破損、焼失部分のあるものも多かった。 これらは現在、世界各地の博物館に分散しており、イースター島に残っているものはない。
先日、NHK BS『絶海!謎と神秘の巨石文明モアイとイースター島▽21のミステリー徹底究明』再放送(2021/08/26)を見ました。 もし『ロンゴロンゴ』の破損・焼失した過去の、残念な歴史がなければ、こんなに多くの謎が残らず、多くは解読・解明されたことだと思い、残念です。
イースター島には『ロンゴロンゴ』と言う不思議な絵文字がありました。 謎の『ロンゴ・ロンゴ』の解読と解明の歴史は?
1770年、
スペインからフェリーペ・ゴンザレスが、イースター島にやって来ました。 そのとき島民は、奇妙な文字でサインしたと言う。 それが「ロンゴ・ロンゴ」です。
しかし、1862年
ペルーの奴隷狩りによって、最後の読み手である、『タンガタ・ロンゴ・ロンゴ』たちも、さらわれ死んでしまった。
1864年
宣教師ユージン・エイラウドは、島の民家から、いくつかの文字が彫られた木片を発見したと言うが、その後、島民のキリスト教改宗とともにほとんどの、『コハウ・ロンゴ・ロンゴ』のもの言う木は、『悪魔の文字』として焼き捨てられてしまった。 謎の文字となった『ロンゴ・ロンゴ』ですが、根気強い研究によって、文字の読み方は、解明されました。 まず、右上から左へ読み、180度回転させて板の上下を逆にして、下から2行目を右から左へと読む、これを、繰り返すという奇妙な読み方でした。
この文字のルーツは、インダス流域の『古代インド文字』、『アンデス文字』、『エジプト文字』と、諸説入り乱れています。 内容にしても、
神への祈り
神官への支持
鳥に伝わる伝説
死者の名簿、など様々です。
ロンゴ・ロンゴの文字が刻まれている木片で、現存しているのは、世界でたった28点。 世界各国の博物館などにあるが、イースター島の博物館には、本物は、1枚しかありません。 チリ本土の「サンチアゴ国立自然史博物館」にあるものの複製が、2枚展示されています。 この文字が解明されれば島に残された多くの謎が解明されるかも知れません。
ロンゴロンゴの『文字板B』
ウキペデイア情報から引用
数字は何行目かを表す数字。Fin de 13 は「13行目の終わり」という意味
バルテルが発表した絵文字の一例 [Jacques B.M. Guy / Public Domain / 出典]
ウエブ情報から引用
イースター島
モアイ1,000体以上、周囲60㎞、休火山3個の火山島、木がなく、川がない、動物もいない。 そのイースター島の21の謎。
1. 楕円形の遺跡、と
2. 石垣箱型がセットになっている
3. 石がゴロゴロなのに栄養満点のタロイモ、水分蒸発防いだ
4. 川がないが、5か所の地底湖
5. 黎明期、隆盛期、衰退期 島民のルーツはタヒチ
6. 島民のルーツは台湾?
7. どうやって渡ってきた、ダブルカヌー
8. 綾取り創世神話、溶岩の中に巨木の化石
9. 未解読文字 ロンゴロンゴ
10. モアイ 面長、ほりが深い、長い爪
11. 頭蓋骨に羽根飾りの跡
12. 超能力
13. 1000体も量産
14. 運び方
15. なぜ巨大化、全長12ⅿ、巨人21ⅿ、人口2万人で、12世紀3ⅿ座している、14世紀5ⅿ、16世紀10ⅿ、権威誇示
16. 星とモアイの神秘的な関係、モアイの向きとスバル?
17. 衰退原因はネズミ、海鳥の卵
18. 食料危機
19. 人骨に刃物の跡(女性・子供)森林崩壊から100年
20. 希望を託された鳥人伝説
21. ラパヌイ文明滅亡
『3.石がゴロゴロなのに栄養満点のタロイモ、水分蒸発防いだ』
3000年以上前の時代、イースター島は原生のままの自然で40種類以上の樹木の森で覆われていたと分析されている。 イースター島に最初の居住者がついた頃、彼らはタロいもやさとうきび、バナナ、ココナツなどを栽培した。 島の人口が増えるにつけ農作物の作付けを増やすために畑を広なければならず、そのために行われた焼畑や森林伐採は土着の植物相を急激に消失させることになってしまった。
島に食料として持ち込まれたネズミは、やがてヤシの木の実や根を食べ尽くす。
次第に大きな木が失われていき、木の根が保っていた肥沃な土壌が海洋に流出していく。 そうして500年をかけて、豊かな楽園は石と岩の荒地となった。
材料である大木を失ったラパヌイ人たちは、幹をくりぬいて作る伝統の丸木船を作ることが出来なくなった。
もともと保水の悪い島の土壌に加え、焼畑で森が消失したことでさらに土地は乾き荒廃していった。 近代になってとうもろこし、じゃがいも、メロン、大豆などが栽培されるようになっている。
現在のイースター島は基本的にユーカリなどで構成された林が散在する牧草地に覆われた乾燥地ではあるが、チョチョと呼ばれる黄色い可愛い花やハイビスカス、ひまわりなど南国の花も咲いている
『4.川がないが、5か所の地底湖』
イースター島には川がない、「川がないのに昔の人はどうやって生活に必要な水を確保していたのだろう。 実は、イースター島は火山の島なので、地下洞窟がたくさんある。 地元のガイドや考古学者の方々への取材に基づき、地下洞窟を調べた結果、直径30メートルほどの地底湖が存在していたのです。 この地底湖こそがイースター島で人々が暮らすことができた鍵だったのです。
『5.黎明期、隆盛期、衰退期 島民のルーツはタヒチ』
『6.島民のルーツは台湾?』
海底火山の噴火によって形成された島に最初の移民がたどり着いた時期については諸説ある。 文字記録がないため発掘調査における炭素年代測定が有力な調査手段とされ、従来は4世紀〜5世紀頃とする説や西暦800年頃とする説が有力だったが、近年の研究では西暦1200年頃ともいう。
この移民は、はるか昔に中国大陸からの人類集団(漢民族の祖先集団)の南下に伴って台湾から玉突き的に押し出された人びとの一派、いわゆるポリネシア人である。 ポリネシア人の社会は、酋長を中心とする部族社会であり、酋長の権力は絶対で、厳然たる階級制度によって成り立っている。 部族社会を営むポリネシア人にとって、偉大なる祖先は崇拝の対象であり、神格化された王や勇者たちの霊を部族の守り神として祀る習慣があった。
タヒチでは、マラエと呼ばれる祭壇が作られ、木あるいは石を素材とするシンボルが置かれていたことからも、当時のㇻパ・ヌイでも同様に行われていたと想像できる。 化石や花粉の研究から、世界でも有数の巨大椰子(チリサケヤシの同種もしくは近縁種(Paschalococos)が生い茂る、亜熱帯性雨林の島であったと考えられている。 初期のヨーロッパ人来航者は、「ホトゥ・マトゥア」という首長が、一族とともに2艘の大きなカヌーでㇻパ・ヌイに入植したという伝説を採取している。 上陸したポリネシア人は鶏と大型のネズミ、ラットを共に持ち込んで食用とした。
『7.どうやって渡ってきた、ダブルカヌー』
イースター島はポリネシア民族がたどり着いて共住した島と言われます。 その航路は、サモア・タヒチあたりで南赤道海流・西風海流から、フンボルト海流に乗るとイースター島付近にたどり着きます。 もちろん一回で行った訳では無いでしょうし、失敗もあってでしょうし、漂着もあったでしょうが、星の位置などで方向はつかめますから(過去のその様な土地があると解っていて)移住しようという場合は結構風任せでも計画的に行ける訳です。
ダブル・カヌー(double canoe)とは船体を二つ使用した大型のカヌーのこと。二つの船体は通常クロスビームを介して連結され、クロスビームの上にデッキが装着される。積載能力に優れ、この船形を用いたポリネシアの航海カヌーは、しばしば数千キロメートルもの距離を無補給で航海することが出来る
『「イースター島 21の謎」を見て、ますます謎が深まった!』の残り(8~21)は、楽しみな今後の課題です。
(記事投稿日:2023/01/13、#618)