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『新大陸のメキシコ古代文明「オルメカ」は、四大文明に敵う』 『古大陸の4大文明(紀元前14000年~紀元前5000年)は大河のほとりに』

2023-09-16 17:30:58 | 歴史・世界・古代
『新大陸のメキシコ古代文明「オルメカ」は、四大文明に敵う』
『古大陸の4大文明(紀元前14000年~紀元前5000年)は大河のほとりに』
『オルメカ文明(紀元前1200年~紀元前後)、メキシコ湾岸の密林に誕生』

古大陸の大河の畔の四大文明
『四大文明』は『四大河文明』とも表現しているが、国際的な用語では『文明のゆりかご』(Cradle of civilization)。 温暖な気候で大河川が流れる地域において定住生活を始めた人類は、農業の発展によって食糧生産を安定させたことで爆発的に人口を増やしました。 大河川は定期的に氾濫を繰り返すために、それに備えて天文学が発達して、治水のための技術も発展、さらに人口とその組織化が必要であった。 その結果、都市や国家が形成されて、四大文明が誕生することになりました。 

アジア、ヨーロッパ、アフリカの三大陸の『四大文明』
特徴は、大河(定期的氾濫)の近く、暖かい、文字の開発、青銅器の利用
  • 中国文明(紀元前14000年から紀元前12000年頃)
  • インダス文明(紀元前7000年頃)
  • メソポタミア文明 (紀元前5500年頃)
  • エジプト文明(紀元前5000年頃)

繰り返しになりますが、文明発祥・発展には、
  • 年間に河川の水位が数メートルから十数メートルと大きく変化するが、
  • 河床勾配は、小さい『大河の近く』で、
『治水と農業』のために、『数学・天文学ベースの文明』が発祥・発展したと考えられています。

新大陸最古のメキシコ湾岸の密林に発祥した『オルメカ文明』
新大陸でも大河川の畔で『農耕定住』であったら、もっと早く文明が発祥したかもしれません! アマゾン流域熱帯林というのは樹木に栄養源を徹底的に吸い上げられており、実は相当やせた土地であり農業に向かない地域です。 遅れてきたオルメカ文明ですが、アメリカ大陸で最も初期に生まれた文明です。

最近見つけました『メキシコ古代文明年表』 タイトルの通り『とても分かりやすい』、特にオルメカの位置付けです。
ウエブ情報から引用

アメリカ大陸最古のオルメカ文明
  • マヤ文明よりも1000年も前の(紀元前1500年頃)

オルメカ文化が栄えた領域(洪水・氾濫を繰り返す大河はなかった様)
ウキペデイア情報から引用


メソアメリカ(Mesoamerica)は、メキシコおよび中央アメリカ北西部とほぼ重複する地域において、共通的な特徴をもった農耕民文化ないし様々な高度文明(マヤ、テオティワカン、アステカなど)が繁栄した文化領域を指し、地理的には、北はメキシコのパヌコ川からシナロア川あたりまで、南はホンジュラスのモタグァ河口あたりからコスタリカのニコヤ湾あたりまでで、この境界線は歴史的に一定していたわけではない。

壮麗な神殿ピラミッドなどを現在も残すメソアメリカ文明が繁栄した地域であるメソアメリカでは、
  • 定住農村村落の成立(紀元前2000年以後[)
  • オルメカ文明(メキシコ湾岸;紀元前1250頃-紀元前後)
  • テオティワカン文明(メキシコ中央高原;紀元前後-7世紀頃)
  • マヤ文明(メキシコ南東部、ユタ韓半島グアテマラ、など;紀元前3世紀-16世紀)
  • トルテカ文明(メキシコ中央高原;7世紀頃-12世紀頃)
  • サポテカ文明(メキシコ・オアハカ地方;紀元前10世紀-16世紀)
  • ミシュテカ文明(メキシコ・オアハカ地方;)
  • タラスカ王国(メキシコ西部地域、ミチョアアカン州など;)
  • アステカ帝国(メキシコ中央高原;15世紀前半-1521年)
などが興亡した。

これらは、オルメカ文明に続いて、メキシコに繁栄した古代文明は、ピラミッド型神殿や都市を築き、独自の宗教観に裏付けられた天文学によって正確な暦を発明していたこと、特に数学の分野では、人類史上初めて『ゼロ』の概念を発明したといわれる。

これらの文化は、古大陸(アジア、ヨーロッパ、アフリカの三大陸)の文明との交流を経験せず、地理的に孤立した環境で発展した。 そのため、製鉄技術を知らず、宗教においても独自な体系を成立させるなど、他大陸の文明とは際立った特徴を有していた。  神殿文化は紀元前二千年紀の末に起こり、それから約2500年の間、外部世界の影響や干渉を受けることなく自力で発展し続けた。 ところが15世紀の末、コロンブスに率いられたスペイン人が突然侵入してきた。 その後のメソアメリカの歴史は、よく知られています。

表題『新大陸のメキシコ古代文明「オルメカ」は、四大文明に敵う』に戻ります。

オルメカ(Olmeca)は、紀元前1200年頃から紀元前後にかけ、先古典期メソアメリカで栄えた文化・文明で、アメリカ大陸で最も初期に生まれた文明であり、その後のメソアメリカ文明の母体となったことから、「母なる文明」と呼ばれる。

「オルメカ」とは、ナワトルで「ゴムの人」を意味し、スペイン植民地時代にメキシコ湾岸の住民を指した言葉である。 巨石や宝石を加工する技術を持ち、ジャガー信仰などの宗教性も有していた。 その美術様式や宗教体系は、マヤ文明などの古典期メソアメリカ文明と共通するものがある。

オルメカの影響は中央アメリカの中部から南部に広がっていたが、支配下にあったのは中心地であるメキシコ湾岸地域に限られた[。 その領域はベラクルス州南部からタバスコ州北部にかけての低地で、雨の多い熱帯気候のため、度々洪水が起こった。しかし、河川によって肥沃な土地が形成され、神殿を中心とした都市が築かれた。

オルメカの文化は、出土する様々な石像に現れている。 人間とジャガーを融合させた神像は、彼らにジャガーを信仰する風習があったことを物語っている。
祭祀場では儀式としての球技が行われ、その際には人間が生贄として捧げられた。 また、絵文字や数字を用い、ゼロの概念を持つなど、数学や暦が発達していた。

特徴的な美術としては、巨石人頭像やベビーフェイスと呼ばれる石像が挙げられる。 大きな石彫だけでなく、ヒスイのような宝石を使った小さなものもあった。 巨石人頭像は、大きいもので3メートルもの高さがある巨大な石像である。 胴体は存在せず、頭部だけが作られたものと考えられている。 左右に広がった低い鼻や厚い唇といった顔立ちは、ネグロイド的ともモンゴロイド的ともいわれる。

巨石人頭像(Colossal Head)とは、メキシコ湾岸のオルメカ文化の遺跡に見られるネグロイド的風貌の人物の頭部を表現した巨大な石像のことをいう。 集落の境から出土している。

材質は玄武岩や安山岩で、最小のもので高さ147cm、最大のものでは340cmに達するが、大きさは概ね2mから3mである。 ベラクルス州で12個体、タバスコ州で4個体確認されているほか、ベラクルス州で1個体確認されている。 
巨石人頭像
ウキペデイア情報から引用

美術
特徴的な美術としては、巨石人頭像やベビーフェイスと呼ばれる石像が挙げられる。 大きな石彫だけでなく、ヒスイのような宝石を使った小さなものもあった。 

ヒスイの仮面
ウキペデイア情報から引用

長頸壺

ウキペデイア情報から引用
オルメカ独特の文様が施される。(年代は異なりますが、縄文火焔型土器とは随分異なる。)

四大文明は、いずれも気候が温暖な大きな川の流域に、紀元前3000〜前1500年の間におこった。 対して気候のハンデを負ったメソアメリカのこと、特にオルメカのこと興味は尽きません。
(記事投稿日:2023/09/16、#684)


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