『モンゴルはなぜ、全世界最大の帝国になったか! 1』
1206年から1368年、僅か160年の間に、 中央アジアの 遊牧民が草原を越えて爆発し、歴史上世界最大の隣接する帝国であるモンゴル帝国を樹立。 チンギスカンが率いるモンゴル人は、頑丈な小さな馬の後ろから約24,000,000㎢のユーラシア大陸を支配。

ウエブ情報から引用
『大モンゴル帝国と言えば、その歴史はいつも、波乱万丈の野戦や攻城戦の攻防の大絵巻を、追いがちですが、実際は巨大統治国家!』
『大モンゴル帝国の規模拡大の推移と、それができた要因のキーワードは、①カラコルム、②千戸制、③大都、④元、』
カラコルム
「黒い砂礫」の意味。 モンゴル帝国は、チンギス=ハンのころは定まった都を持たず、天幕で移動していたので、これがモンゴル帝国最初の都。
千戸制
チンギス=ハンが組織した行政・軍事組織。全国の遊牧民を九五の千戸集団に分け,さらにそれを百戸・十戸に区分して各々に長を置き、各集団は行政集団と軍事集団を兼ねた。
大都
大都(だいと)は、 モンゴル帝国(元朝)のクビライ・カアンが 1267年 から26年を費やして現在の北京の地に造営した都市で、元朝の冬の都(冬営地)。 現在の中華人民共和国の首都の北京の直接の前身であり旧市街に匹敵するほどの規模を持つ、壮大な都市。
元
中東アジアから 東ヨーロッパ まで広大な領域にまたがったモンゴル帝国 の後裔の一国であり、そのうち中国本土とモンゴル高原を中心領域とした モンゴル民族 による 征服王朝。 モンゴル帝国皇帝の直轄地として 1271年から1368年まで東アジアと北アジア を支配した。
『大モンゴル帝国の重要人物は、①チンギス=ハン(ハンは皇帝の意味)②オゴタイ=ハン、③モンケ=ハン、④フビライ=ハン、 チンギス=ハンの遊牧民族の巨大な帝国構想のもとはどこから?』
『ハーン・ハン』のこと
ハン(可汗)は遊牧民国家の君主の称号で、チンギス=ハンももちいたが、モンゴル帝国第二代オゴタイ(オゴデイ)からはチンギス=ハンの直系子孫の皇帝のみが「ハーン」と称し、それ以外の王族は「ハン」と区別されるようになった。ハーンを「大ハーン」とする場合もある。
『チンギス=ハンの時代に千戸制のもと遊牧世界を支配し、オゴタイ&モンケ&フビライのころには農耕世界に進出し、ユーラシア大陸一帯をおさめた。』
チンギス=ハンが創始した大モンゴル国、その後の元朝、そして中央アジアから西方に広がる諸ハン国が領有する広範囲にわたるこの帝国を築いた時代は、積極的な遠征によるモンゴル支配拡大の時代であるとともに、東西交易の活発化による文化交流の時代でもありました。 先ずは、モンゴル帝国の変遷を大まかに整理し、備忘録にした上で、モンゴル帝国の形成と元朝の行政・文化などについて、今後、詳しく調べてみます。
(事投稿日:2025/01/12、#977)