知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『古事記と日本書記から古代史の不思議を(神話-邪馬台国-大和へ)』 『大国中国のように文字による記録を!と記した歴史書「記紀」』

2023-04-11 17:29:13 | 日本・歴史・先史-古代

『古事記と日本書記から古代史の不思議を(神話-邪馬台国-大和へ)

『大国中国のように文字による記録を!と記した歴史書「記紀」』

 

傘寿プラスはせっかち(語源は急き勝ち)で、いつも結論を急ぎ過ぎてしまいます。 『文字記録と歴史』、『文字記録と文明・文化』とかいろいろ言われますが、縄文(文明・文化)時代が1万年以上も続いた日本です。 無文字文化とは民俗学の世界でよく言われるそうですが、当然だと思っています。 ケルトも日本(縄文)も同様に文字を持たない文化であり、かなり高度な文明を育んでいる。

 

専修大学 文学部 斎藤達哉教授の日本への漢字の渡来・伝播の様子が分かり易いウエブ情報ありましたので抜粋・引用させて頂きます。

 

日本語は,当初は文字を持っていませんでした。 文字は言語を記録するために、後から誕生するものです。 したがって,日本語に限らず,どの言語も最初から文字を伴っていたわけではありません。 現在,地球上に存在する言語の数は諸説あって,3000,5000,6500,8000とも言われています。 これは,数え方の規準の違いによるものですが,いずれにしてもかなり多くの言語があることが分かります。 一方で,文字を持っている言語は400程度と言われており,文字を持たない言語の方が圧倒的に多いことが分かります。

 

漢字の歴史

ウエブ情報から引用

 

『古事記』は、一般に現存する日本最古の歴史書であるとされる。 その序によれば、和銅5年(712年)に太安万侶が編纂し、元明天皇に献上されたことで成立する。 上・中・下の3巻。 内容は天地開闢(日本神話)から推古天皇の記事を記述する。 8年後の養老4年(720年)に編纂された『日本書記』とともに神代から上古までを記した史書として、国家の聖典としてみられ、近現代においては記紀と総称されることもあるが、『古事記』が出雲神話を重視するなど両書の内容には差異もある。

ウキぺデイア情報の引用

真福寺収蔵の『古事記』(国宝。信瑜の弟子の賢瑜による写本)

 

『日本書紀』は、奈良時代に成立した日本の歴史書。 養老4年(720年)に完成したと伝わる。 日本に伝存する最古の正史で、六国史の第一にあたる。 神代から持統天皇の時代までを扱い、漢文・編年体で記述されている。 全30巻。系図1巻が付属したが失われた。 同じく奈良時代に編纂されたとされる『古事記』と共に、日本のみならず東アジアの古代史、文学史、言語学における重要史料の一つであり、両者合わせて『記紀』と呼ばれる。

ウキペデイア情報から引用

巻第一(神代巻上)の写本(吉田本、2巻のうち)京都国立博物館蔵 国宝 鎌倉時代・弘安9年(1286年)卜部兼方奥書 画像は巻頭部分

 

六国史(りっこくし)とは、古代日本の律令国家が編纂した6つの一連の正史のことである。一部に紀伝体的要素をとりいれつつも、概ね編年体で記されている。

 

最初の「書かれた歴史」とみなされるのが、ギリシアのヘロドトスの『歴史』,中国の司馬遷の『史記』,日本の『古事記』などと言われます。 『歴史』と『古事記』についてはこれからの調査ですが、中國の『史記』について印象に残っていることがあります。 時のトップ武帝に書かされたものではないことです。

 

『史記』のような歴史書を作成する構想は、司馬遷の父の司馬談が既に持っていたが、歴史書を完成させる前に憤死した。 司馬遷は父の遺言を受けて『史記』の作成を継続する。 司馬遷は、匈奴に投降した友人の李陵を弁護したゆえに武帝の怒りを買い、宮刑に処せられる。 獄中にて、古代の偉人の生きかたを省みて、自分も歴史書を作り上げようと決意した。 出獄後は、執筆に専念し『史記』が成立した。 

 

古事記の神話部分について、表題の『古事記と日本書記から古代史の不思議を(神話-邪馬台国-大和へ)』『大国中国のように、文字による記録をと記した歴史書「記紀」』に入ります。

 

先ずは、歴史書・史書と歴史小説について予習です。

歴史書、史書は事実(とその当時判断されたことも含めて)を列記する書物。 歴史小説は虚実を問わず、著者の主張を物語の形式を借りて記述した書物。 最大の違いは『著者、編纂者の首長が文章内に含まれるかどうか』。 ただし、小説という形式の書物が現れる前は史書自身の主張を紛れ込ませた史書編纂者もいるのでその境界は厳密なものではないと言われ、素人には微妙な境目の判断は難しいと思っています。 

 

更に、最近はメデイアの、出版物でも、映像(ドラマかドキュメントを問わず)でも、センセーショナルなキャッチフレーズと内容で『歴史書・史書と歴史小説』の区別が分かり難いことがあります。

 

こんな時に、中田力氏の『古代史を科学する』という書物に出会いました。この本の目次に沿って、これから、古代史を調べて、備忘録に纏めてみたいと思いました。 同氏の経歴と著書も凄いです。

経歴 

  • 1976年東大医学部医学科 卒業。
  • 1978年 渡米。カルフォルニア大、スタンフォード大にて臨床研修。
  • 1982年-1992年 カリフォルニア大学デービス校 脳神経学 准教授。
  • 1992年 カリフォルニア大学デービス校 脳神経学 教授。
  • 1996年- 新潟大脳研究所 脳機能解析学 教授。
  • 2002年- 新潟大学脳研究所 統合脳機能研究センター長(併任)。
  • 2018年7月1日サンフランシスコで死去。

 著書

  • 『脳の方程式 いち・たす・いち』
  • 『脳の方程式 ぷらす・あるふぁ』
  • 『アメリカ臨床医物語―ジャングル病院での18年』
  • 『天才は冬に生まれる』
  • 『脳のなかの水分子―意識が創られるとき』
  • 『脳脊髄MRA―基礎と臨床-流れの画像化』(共著)
  • 『穆如清風(おだやかなることきよきかぜのごとし)―複雑系と医療の原点』
  • 日本古代史を科学する
  • 『科学者が読み解く日本建国史』 

漢字から、ひらがな・カタカナを創り、さらにローマ字までも、表意文字の漢字に、表音文字のひらがな・カタカナ・ローマ字を持ちました、昨今話題の『キラキラネーム』や『カタカナ英語』の氾濫は、傘寿プラスは。大変混乱させられています。

(2023/04/11、#645)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『昔の日本は・日本人は凄かった 2(古代史のエポックを調べる』 『情報氾濫の昨今ですが、さらに継続して調べるために備忘録に』

2023-04-09 07:04:02 | 日本・歴史・先史-古代

昔の日本は・日本人は凄かった 2(古代史のエポックを調べる』

『情報氾濫の昨今ですが、さらに継続して調べるために備忘録に』

 

今までは、歴史も歴史小説も戦国や幕末時代に興味を持っていましたが最近は、俄然古代史で、いろいろあります。

 

・縄文の土偶(縄文のビーナスと遮光器土偶)、

・大和王権と出雲王朝の関係、

・大和言葉と漢文の融合、

・古墳時代の大規模古墳、

・聖徳太子の実像、

・二千年近くも続いた皇室、

・古代史からは外れますが、菅原道真の遣唐使廃止

等々、興味は尽きません。

 

さらには、下記情報も参考に、情報氾濫の昨今ですが、さらに調べるために備忘録にしました。 

 

松本清張氏の『古代史疑義』『火の路』などありますが、『古代史疑義』は、特に難解でした。 近く再挑戦です。

ウエブ情報から引用

梅原猛氏の『梅原古代学』は著名です。 最初の衝撃を受けた著書が『隠された十字架 法隆寺論』、その二年後には『水底の歌 柿本人麻呂論』を発表、遺作が『葬られた王朝-古代出雲の謎を解く-』でした。

 

百田尚樹氏は『永遠の0』や『海賊と呼ばれた男』の著者で知られています。 最新の著書『日本国紀』がいろいろ議論されていますが、この著書の古代史部分に興味がありました。

 

先ずは、世界史の古代史の地域別区分です。 先史時代と歴史時代の区分は文献の存在有無とありますので、エジプトの初期王朝は、エーゲ海文明より古く、古代史に入るのではと思っています。

 

西洋史: 約3000年から約5000年前、古代ギリシャのエーゲ海文明の成立から、476年の西ローマ帝国の滅亡まで。

 

東洋史: 中国、紀元前778年の秦王朝の成立から220年の後漢王朝の崩壊まで。

 

日本史:  日本、縄文・弥生時代の後の562年の飛鳥時代(もしくは古墳時代)から12世紀末の平安朝後期まで。

 

中南米:  約3500年前の先古典期・古典期・後古典期から、15世紀に始まった植民地化まで。

 

縄文の土偶 縄文のビーナス

約4000年から5000年前といわれる、縄文時代中期のもの。 エジプトの大ピラミッドの時代に、日本でもこの豊かな表現力。

 

縄文時代の土偶:遮光器土偶

約3000年から4000年前と言われる東北地方から出土し、縄文時代晩期のものが多い。 この時代にこのファッション、ただ驚くばかりです。

 

大和王権と出雲王朝の関係

弥生時代の日本について書かれた記録は、『魏志』の中の「東夷伝・倭人の条」

とある。

 

これからは、腰を落ち着けて、項目ごとに調べていきます。

(記事投稿日:2023/04/09、F644)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『自然の不思議・樹木のこと 10(樹木の樹形・枝張りのこと 2)』 『セコイアは、定期的山火事でも生き残り、混生林から純林になった優れもの』

2023-04-07 10:11:02 | 植物・花

『自然の不思議・樹木のこと 10(樹木の樹形・枝張りのこと 2)』

『セコイアは、繰返す山火事でも生き残り、混生林から純林になった優れもの』

『地球上で最大の樹木「セコイア」vs 生きていた化石植物「メタセコイア」』

 

繰り返しになりますが、この歳、傘寿になって、早とちり的ですが、解かったことは、樹形は人間の手が及ばず、自由にのびのびと成長できれば、一般的には、温かい地方では広く・低い『洋傘形』と、寒い地方では、鋭く・高い『円錐形』に大別されるようです。 セコイアも、メタセコイアも、鋭く・高い『円錐形』です。

 

実生の植物の場合、『根』と『幹・枝』の量には相似比があると言えるそうですので、樹形の空中の枝張りと、地中の根張りは相似に近いと解ってきました。 根張りは、浅根型(メタセコイア・セコイア)と深根型(マツ)があるようです。 

 

特にメタセコイアも浅根型ですので、津波対策の防潮林としては、最前線にマツ、二番線にはメタセコイアが、間には、潮風に強い、マテバシイの木などが、向いているようでは? と、ずぶ素人判断です。 セコイアもメタセコイアも、浅根型ですが驚くほど、樹間距離が小さくとれますし、成長が早いので、防潮林として最適かと思います。

 

セコイア(浅根型ですが驚くほど、樹間距離が小さい)

ウエブ情報から引用

常緑性の高木であり、大きなものは樹高60–115m、幹の直径 3–9m になる。 樹冠は若い木では円錐状、古くなると不規則になる。

 

 

 

 

メタセコイア(浅根型ですが驚くほど、樹間距離が小さい)

横浜市三ツ池公園のメタセコイア

イチョウとともに化石植物といわれる遺存種で、当初は日本を含む北半球で化石として発見されるのみで、絶滅した植物と考えられていたが、20世紀半ばに中国南西部で自生していることが確認された。 

1949年に日本政府と皇室が、それぞれメタセコイアの挿し木と種子を譲り受け、全国各地の公園、並木道の街路樹、校庭などに植えられている(とにかく成長が早いのに驚かされる)。 

発見地の中国では、各地に植栽が奨励されたが、道路の並木としてだけでなく、造林木としての伐採利用も期待された(北京国際空港から北京市内への高速道路の両側の並木)。 

(記事投稿日:2023/04/07、#643)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『自然の不思議・樹木のこと 9(樹木の樹形・枝張りのこと 1)』 『「国営昭和記念公園」の樹木は樹間距離が大きく、自然な樹形・枝張りに近い』

2023-04-02 16:40:03 | 植物・花

『自然の不思議・樹木のこと 9(樹木の樹形・枝張りのこと 1)』

『「国営昭和記念公園」の樹木は樹間距離が大きく、自然な樹形・枝張りに近い』

『街路樹、屋敷林、人工林を見慣れ、この公園の樹形・枝張りで、目から鱗』

 

この度、この歳、傘寿になって、早とちり的ですが、解かったことは、樹形は人間の手が及ばず、自由にのびのびと成長できれば、一般的には、温かい地方では広く・低い『洋傘形』と、寒い地方では、鋭く・高い『円錐形』に大別されるようです。

 

アメリカネムノキ(台風・大風に備えた樹形、その木何の木で有名)

ウエブ情報から引用

 

モミノキ・針葉樹(雪の重さと寒さに耐え、太陽光を求め、円錐形に)

ウエブ情報から引用

先日(2023/03/28)広大な『国営昭和記念公園、季節を問わず、散策が楽しい!』に行ってきました。 一日では、四分の一回るのがやっとでした。 とにかく広い公園で、カメラぶら下げての散策には2-3日かかりそうです。 公園は『緑の回復と人間性の向上』をテーマに1978年(昭和53年)度より建設省の手で施設整備が進められ、1983年(昭和58年)広大な、約70haで開園した後、レインボープールや子供の森、日本庭園、砂川口、盆栽苑等次々と施設が整備された。  

この公園は立川基地跡に開設されており、レクリエーション施設としての面もあるが、立川市と昭島市の広域避難場所の一つに指定されている。 防災関係機関が所在する立川広域防災基地が公園に隣接している。 

この度、広大な『国営昭和記念公園』の散策で気が付いたことは、表題の通りです。 世界の20数ヶ国で、ボーッと、見てきた樹形のこと、この歳、傘寿まで、気にも留めませんでした。 その樹形の理解と記憶は『樹冠』と言われるくらいですので、半球形(球形で代表される)と円錐形でした。 

見慣れた樹形は、人工林の北山杉に代表されるような徹底した『人工下枝払い』が圧倒的に多い中で、本当に珍しいのは、①北米の巨木・セコイアは『自ら下枝払い』をするそうですが? ②バオバブの樹形、と合わせて今後の課題です。 

これまで、いつも見ていた大半の『樹形』の風景は、人間に剪定・矯正されたもので。 人間の都合で『半球形(球形で代表される)と円錐形』になれなかったようで、まさに標題『「国営昭和記念公園」の樹木は樹間距離が大きく、自然な樹形・枝張りに近い』、『街路樹、屋敷林、人工林を見慣れ、この公園の樹形・枝張りで、目から鱗』でした。 

 

『国営昭和記念公園』の代表的なケヤキの樹形

全容

幹と根回り

 

これから勉強するために、樹形のこと、ウエブ情報で、少し調べて備忘録にしました。

 

樹木が本来持っている自然な樹形

樹木には樹種によって特徴的な形、「樹形」があります。 代表的な形は円錐型卵型です。  

これらの形に、

  • 盃型:ケヤキやムクノキなど
  • 円柱型:ポプラやイタリアンサイプレスなど、
  • 傘型:イタリアカサマツなど

以上で、樹形のパターンとしてはほとんど網羅できている。

イタリアカサマツ;老木になると途中の枝が失われ、先端の枝のみが茂り傘状となる。umbrella pine, parasol pineの別名はその成長した老木の外観に因る。

 

樹木の地上部は幹と枝葉で構成されていますので、樹形はそれらの成長の仕方によって特徴が生まれます。 一般に、針葉樹は1本のまっすぐな幹をもつ円錐形の形になるものが多い。 それは、先端の芽(頂芽)が側芽よりも強く伸長する性質を持つ針葉樹が多いからです。

 

円錐形の樹形が特徴的なヒマラヤシーダ

ウエブ情報から引用

 

これに対して、広葉樹は頂芽優性が弱い。 このため、側芽も頂芽と同じように良く伸びて幹や枝がたくさん分岐していく結果、卵型になっていきます。

 

きれいな卵型の樹形(スダジイ)

ウエブ情報から引用

「頂芽優勢」の性質は、植物ホルモン「オーキシン」の作用(頂芽を伸長させ、側芽の伸長は抑制する)であることが知られていますが、進化の過程でどうして樹種による違いが生まれたのかを説明するのは簡単ではありません。 

ただ、基本的には、太陽の光を最大限に得られるように枝葉を広げること、倒れず折れない構造的な強さを持つこと、受粉と種子散布の戦略に合致すること、生育環境(気候・気象・土壌・生態系)に適応することなどの要素の兼ね合いによって最適な形が選択された結果と考えて差し支えないでしょう。 

たとえば、寒冷地や高緯度の地域に多く見られる針葉樹。

その円錐形の樹形は、多雪地域で雪を自然に落とすのに(合掌造りの屋根のように!)役に立ちそうですし、高緯度の地域で低く上る太陽の光を最も効率的に受けることができる形に見えます。 

一方で、雪や風などの外力や光が当たる方向のような環境的制約がないのであれば、全方位へ均等に枝葉を広げられた方が光の獲得に有利なはずです。 日本の太平洋側に分布するヤブツバキが卵型の樹形で10m以上に成長するのに対して、日本海側の多雪地帯に分布するユキツバキは下枝が良く伸びて枝分かれし、樹高も2mほどにしかなりません。 このようなユキツバキの樹形は、多雪地域の環境に耐えられるように適応した結果であることが知られています。

 

台風の通り道となる沖縄では、低いところからよく分岐して下枝を横へ大きく伸ばし、その下枝をさらに気根で支える、ガジュマルやアコウのような樹木が分布しています。 これらの樹形は重心を低く下げて強風でも倒れにくい形です。

ウエブ情報から引用

重心を低くして強風に耐える樹形(アコウ

(記事投稿日:2023/03/30、#642)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする