知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『ボクシングのこと、グローブは付けるが、所詮人の殴り合い! 1』  『階級制とグローブの軽量化は、ボクシングのリスク「ドランカーは減ったが、ボクサー骨折と網膜剥離の増加」になったのか?』

2024-05-11 15:28:53 | 寺院・仏閣・神社・お社
『ボクシングのこと、グローブは付けるが、所詮人の殴り合い! 1』

『近代ボクシングの発祥はイギリス、当時は時間無制限の一本勝負、階級制なく、どちらかが立てなくなるまで闘うというルールが!』

『階級制とグローブの軽量化は、ボクシングのリスク「ドランカーは減ったが、ボクサー骨折と網膜剥離の増加」になったのか?』

先ずは、何度見ても驚いたのはこのウエブ情報です。
宙に“浮いた”井上尚弥に米衝撃、『追撃左フックの決定的瞬間が海を越えて話題「魂を左拳に込めた」に』。 井上の両足が浮いた実際の写真(画像はトップランク社公式インスタグラムより)

 ウエブ情報から引用
無敗王者だったフルトンを右ストレートから追撃の左フックでマットに沈めたが、8回、パンチを放った瞬間の井上の姿に米ファンも「クレイジーだ!」と衝撃を受けている。 井上の両足はリングについていなかった。

これは余談ですが、半世紀も昔の高校時代に山岳部員の自分がロードワーク中によく一緒になる、ボクシング部の『モスキート級(当時、今はミニマム級)の対戦相手なしで「不戦の県チャンプ」になった!』部員との三回戦のスパーリングを申し込まれて、無謀にもうけて、貴重な経験ができました。 互角に戦えたのは、15㎏の体重差もありますが、先輩セコンドのアドバイス『腰を入れて、体重をのせて打ち返せば!』、そうすれば、モスキート級に、倒されることはないとのアドバイスでしたのを思い出して、この『井上の両足はリングについていなかった』常識では考えられない、衝撃的な打撃に驚きました。

表題に戻ります。
圧倒的な実力と完璧なボクシングスタイルから『日本ボクシング史上最高傑作』と呼ばれており、世界で最も権威あるアメリカのボクシング専門誌『ザ・リング』が格付けするパウンド・フォー・パウンドランキングにおいて、日本人として初めて1位の評価を受けた怪物とも言われる『井上尚弥』を調べるために、ボクシングのことを少し整理しました。

この整理を思いついたのは最近見つけた、森合正範氏の著書『井上尚弥と闘うということ 怪物に出会った日』、この本は、負けた側の難しい取材に基づいて書かれていました。

プロボクシングの根強い人気は、ローマ時代の格闘技のように命がけではありませんが、プロボクシングには大きなリスクが三つ『ドランカーと、ボクサー骨折、と網膜剥離』もあり、人生をかけた試合が多くあります。

ドランカー(蝶の様に舞い、蜂の様に刺すで、打たれ強かった、マホメッド・アリは晩年発症した。)
ボクシングなどのスポーツで頭部に繰り返し衝撃が加えられた結果、数年~数十年後に進行性の神経変性疾患が現れる遅発性脳障害。 一般的に、ボクサーで現れる"パンチドランカー"として知られている。

ボクサー骨折(“カミソリ・パンチ”を武器にKOを量産したボクサー、海老原博幸は、そのパンチの強さゆえに、自分の拳まで痛めた。)
ボクサー骨折(中手骨骨折)は、繰り返しの強いパンチ動作によって、中手骨に過度な外力が加わることが原因です(疲労骨折)。 ただし当たりどころが悪かった時や、最大の力でパンチを出した場合には、わずか1回のパンチ動作でも起こり得ることがあります。

網膜剥離辰吉丈一郎が網膜剥離の手術の後は、片目の視界が狭くなり、得意だったフットワークが消えた。)
スポーツなどで眼に強い衝撃を受けると、その衝撃で網膜裂孔(進行すると網膜剥離)が起こることがあります。 ボクシングなどの激しいスポーツをする方によくみられます。

古代ボクシングはグローブに鉄の鋲を仕込んで戦う壮絶なもので、ローマ時代に入ってからは「ピュージリズム」との名前で行われていましたが、ローマ教皇によって禁じられました。

階級制の採用は、体重の重い選手と軽い選手を公平にする目的で、1746年にヘビー・ウェイト(重量級)とライト・ウエイト(軽量級)が設置され、その後、間にミドル・ウェイト(中量級)がさらに細分化、現在の17階級になりました。

プロボクシング全17階級(掛ける4団体=68チャンピオンに)
ミニマム級・・・47.26kg以下
ライトフライ級・・・48.97kg以下
フライ級・・・50.80kg以下
スーパーフライ級・・・52.16kg以下
バンダム級・・・53.52kg以下
スーパーバンダム級・・・55.34kg以下
フェザー級・・・57.15kg以下
スーパーフェザー級・・・58.97kg以下
ライト級・・・61.23kg以下
スーパーライト級・・・63.50kg以下
ウェルター級・・・66.68kg以下
スーパーウェルター級・・・69.85kg以下
ミドル級・・・72.57kg以下
スーパーミドル級・・・76.20kg以下
ライトヘビー級・・・79.38kg以下
クルーザー級・・・90.72kg以下
 ヘビー級・・・90.72kg以上

実際的には68階級あるのと同じです。 放映権とインターネット配信競争で
何階級制覇!と煽り立ていることが多々あります。

プロボクシングには大きなリスクが三つ『ドランカーと、ボクサー骨折、と網膜剥離』もありますので、ボクシングの試合に使用するグローブは2種類、男子の場合、63.50kg以下のスーパーライト級までは8オンス(片方227.0g)、それ以上の階級は10オンスのグローブ(片方283.5g)。  女子の場合、57.15kg以下のフェザー級までは8オンスで、それ以上の階級は10オンスのグローブ。 グ

12オンス(片方340.2g)のグローブもありますが、これは、ヘッドギアをつけてやるスパーリングなどに利用されます。 

重い体重の階級ではそれだけパンチの威力も強く(グローブは大きくして衝撃力は軽減、言い換えれば、小さくすればボクサー骨折しやすくなる。)なるため、グローブも重い(大きい)10オンスが使用されているのです。 グローブは大きく・重いほど、安全性が高くなるとは、言い切れません。 ドランカーのリスクがありますので、良い塩梅のグローブなどあるハズがありませんので、ボクシングは、やはり厄介なスポーツです。

兄弟げんかや取っ組み合い(スキンシップ)の機会がない今こそ工夫して、良い形で『ボクシング』進められるよう期待しております。
(記事投稿日:2024/05/11、#745)
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『本「チャイニーズ・タイプライター(漢字と技術の近代史)」2』『簡体字は1950年代に制定「チャイニーズ・タイプライター」の開発と同時期』

2024-05-07 23:28:01 | 読書

本「チャイニーズ・タイプライター(漢字と技術の近代史)」2』

『そこにアルファベットなし、和文タイプライターにはアルファベットあり』

『中国語タイプライターの“不可能性”から繙かれる圧巻の言語技術文化史』

『簡体字は1950年代に制定「チャイニーズ・タイプライター」の開発と同時期』

 

結構読書は頑張っています。 残酷な内容で苦労した本もありますが、タフな内容で読み切れずいる本が表題の『チャイニーズ・タイプライター(漢字と技術の近代史)』です。 その他には『松本清張著 古代史疑』と『クラウゼヴィッツ著 戦争論(上下)』等があります。

 

この本を読んでいる途中で気が付いたのですが、『簡体字(かんたいじ、体字、: jiǎntǐzì)は、1950年代に中華人民共和国で制定された、従来の漢字を簡略化した(略字)字体体系』とありますので、これは『チャイニーズ・タイプライター』の開発と同時期ですので、簡体字のことは、興味津々な今後の課題です

 

本書は、この圧倒的な四面楚歌状態の中でさまざまな試行錯誤の末、中国語タイプライターが完成する経緯を丁寧に跡づけていく。 そこには和文タイプライターも深く関与しており、ローマ字入力を当たり前としている日本人にも考えさせるところ大です。 『チャイニーズ・タイプライター(漢字と技術の近代史)』については、腰を据えて、読み通したいと思っています。 理由は最近考えさせられる日本語についての関心からです。

 

進化・複雑化する日本語は、AIの発達する中で、ウエラブル通訳機・翻訳機で、対応ができるだろうと期待する反面、これらの機器のデータ「多言語辞書」の作成・力仕事が大きな課題になりそうです。 デジタル化の遅れも、IT後進国の背景には、世界でもまれな表現豊かな、日本語ですが、その複雑さと難しさを考えてしまいます。

 

日本語は世界にも稀な言語で、表意文字(漢字)と表音文字(ひらがな・カタカナ・ローマ字と三種類!)の混合で豊かな表現ができます。 昔、漢字文化圏であった東アジアの国々、韓国・マレーシア・タイ・インドネシア等は、漢字を一部(寺院・宗教・冠婚葬祭関係等)残しているところもありますが、漢字は、ほとんど廃止され、表音文字に戻っています。 ある中国のメディアが、漢字文化圏の縁にいた日本は、なぜ漢字を捨てなかったのかと言っていたような記憶があります。

 

この本の『タフさ』が分かりかけてきたので、じっくりと腰を据えて、『表意文字と表音文字、漢字とアルファベットの違い、それぞれの発生とその後の進歩と、今、そこにある実態『英語をどん欲に、カタカナで取り込み、進化続ける日本語の凄さと複雑さ』を、この本をテキストに勉強したいと思っています。

 

漢字・文字を5万種以上持った国・中国が見事に科学技術を発展させましたことは、よい時期・タイミングに恵まれたこともあるとは思いますが、この『チャイニーズ・タイプライター(漢字と技術の近代史)』の一端も、関与しているように思われます。 特に思うのは簡体字と『チャイニーズ・タイプライター』のことです。

 

和文タイプライターは、日本語の文章を活字体で作成する機械装置。 杉本京太によって発明され、1915年に『邦文タイプライター』(2400文字)としてその原型が製品化されて以降、ワードプロセッサー登場以前に長い間使用されていた。 和文タイプと略称される。

 

『英文その他言語タイプライター』(40~50文字)

だが、言語種ごとのタイプライターは異なっており、メカニズム的に言うと、欧文用タイプライターはおおむね似たようなメカニズムで実現されているという面はあるが、ひとつひとつの言語ごとにキーボードの配列および活字は異なっている。

 

『チャイニーズ・タイプライター』(2000~50000文字)

要するにラテン・アルファベットが主導する情報技術(モールス信号、速記、タイプライター、ワードプロセッサー、光学文字認識、デジタルタイポグラフィー等々)の「普遍性」にとって、中国語の文字体系は無視・度外視すべきものとされていた。

 

この本は、漢字についての発想の転換や戦時中の日中関係、入力や予測変換といった現在につながる技術の起源まで、波瀾と苦渋に満ちた展開を鮮やかに辿る著書です。

 

序論  そこにアルファベットはない

国際オリンピック委員会(IOC)の規則によれば、入場行進の順位は『ホスト 国で使われているアルファベットの順番に従う』とあるが、中国には『アルファベット』はない。 そこで使ったのはアルファベットではない、発音記号の 『ピンイン』。

ピンイン:拼音(pīnyīn)は、中国語で音節を音素文字に分け、ラテン文字化して表記する発音表記体系を指す、日本語のひらがなで書いた読み仮名のようなもの。

 

第1章 近代に不適合

もしも標準的な西欧式タイプライターのキーボードに全ての漢字を配列するキーボードは縦1.5m、横4.6ⅿになり、卓球台を2台つないだ大きさになる。

これを実用的なサイズに、するために『チャイニーズ・タイプライター(漢と技術の近代史)』の通り、広範囲での凄まじい努力がされたようです。

 

  •     

    From Wikipedia, the free encyclopedia

    ウエブ情報から引用

勝手ながら、第2章以降は次のブログとさせていただきます。

第2章 中国語のパズル化

第3章 ラディカル・マシン

第4章 キーのないタイプライターをどう呼ぶか?

第5章 漢字圏の支配

第6章 QWERTYは死せり!QWERTY万歳!

第7章 タイピングの反乱

結論 中国語コンピューターの歴史と入力の時代へ

 

著者 トーマス・S・マラニー,

スタンフォード大学歴史学部教授。 専攻は中国史。 ジョン・ホプキンス大学で修士号、コロンビア大学で博士号を取得

以下ウェブ情報からの抜粋・引用です。

中国人はタイプライターに憧れを抱いた。  しかし、アルファベットを基礎とする西洋発の技術で、漢字のタイプライターを作ろうとすると「問題」が生じる。 文字数の多い漢字の文字体系は普遍性を欠く。

『4000年に及ぶ優れた古典や文学、歴史を投げ捨てるほどの優越性が、単なるタイプライターごときにはない』。 なんとしても中国独自の中国語タイプライターを作ろうと、常用漢字に絞ったり、漢字を分割して組み合わせたり、漢字を数字やアルファベットのコードで仲介して伝送するなど、あらゆる方法が試された。

本書は、10年以上かけて20カ国で資料を収集して行った精緻な実証研究に対して、さらに、歴史記述を『論争的』なものとして、批判的省察を果敢に行う筆者の姿勢にも、マニアックな研究だが、ユーモアにあふれるエピソードが豊富。

満洲国成立後は、日本語タイプライターと日本製中国語タイプライターが勢力を拡大する。 日本語タイプライターを微修正した中国製も現れ、日本人との「結託」も告発された。

漢字をタイプするのは簡単な作業ではない。 和文タイプの存在を知っていたので、中国語タイプも同じようにあると思っていたが、ひらがな・カタカナ・常用漢字と、日常的に使う文字がある程度絞られている日本語と比べ、中国語は事情がまったく違う。

中国語(漢字)にはそれを並べる基準がない。 当然漢字にも「音」はあるわけだが、その音を表す文字がない。 音節の研究はされていたのだから、反切とか考えるより、何か音を表す文字を考えた方が早かったのかとさえ思う。 そう思うと、五十音は素晴らしい。

 

現代に入り、最終的に中国語タイプライターには日本が大きく関わった。 現代中国にとって、どこを見ても日本の影響のないところはないのかもしれない。  特に最後の方で、タイピストたちが活字の配列を工夫するあたり。 和文タイプがまだ現役だった頃、すり減った活字を取り替える業者がいて、一番よく減る活字はひらがなの「の」だと聞いたことがある。 

 

本書は、和文ならぬ、中国語のタイプライターの歴史を実証的に論じたものである。 諸橋の大漢和辞典では見出し字だけで5万字を超えていることから分かるように、表意文字である漢字の数は万単位。 

 

最大の問題は、数万ある漢字を入力するキーを、一人の人間の操作範囲内の盤面にどうやって納めるかということだった。その解決法として案出された方法が、「常用(字数制限)」→「合成(要素分解)」→「代用(符号化)」、そして検索というように流れていった。 

 

本書は1950年代の中国タイプライターの確立期までで終わっており、その確立期におけるタイピストの「工夫」が現在の機械学習による自然言語処理につながっており、非常に興味深い。 本書の末尾において、続編として、中国語のワードプロッセサーの歴史についての書籍が準備されているとのこと。


本書のパースペクティブは、日本語の「書」について論じられている石川九楊「二重言語国家・日本」にも通ずるものがあり、同書を再読しようと思っている。 

 

本書の主軸をなすのは、西洋のラテン・アルファベットを基にして作られた『近代』の象徴としてのタイプライターと、中国語との間にある距離感である。 その隔たりゆえに中国語そのものに「問題」があるとみなされ、それを克服するための「パズル」が形作られることになる。 常に西洋の「本物」のタイプライターを意識しつつ、この「パズル」を解こうとしていく人々の群像を描いていくなかで、漢字についての発想の転換や戦時中の日中関係、入力や予測変換といった現在につながる技術の起源に至るまで、さまざまな話題が展開されている。 タイプライターというモノを起点としつつ、それの単なる発明史をはるかに超える射程を持った本であり、関心や専門を問わず広く読まれるべき一冊である。 

繰り返しになりますが、『表意文字と表音文字、漢字とアルファベットの違い、それぞれの発生とその後の進歩と、今、そこにある実態「英語をどん欲に、カタカナで取り込み、進化続ける日本語の凄さと複雑さ」を、この本をテキストに勉強したい』と思っています。

 (記事投稿日:2023/02/05、#625)

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『日本の城郭 015(臼杵城 ヨーロッパの香りただよう海城(NHK)』

2024-05-02 21:12:41 | 城。城郭。城塞。宮殿
『日本の城郭 015(臼杵城 ヨーロッパの香りただよう海城(NHK)』
『「日本最強の城スペシャル」でみた、日本にもあった珍しい「陸繋島」の海城「臼杵城」の縄張りと総構えが凄い』
『世界に海城は少ないが、陸繋島「モン・サン=ミッシェルに城郭」と「丹生島に臼杵城」対して「江ノ島には築城されず」はなぜ』

『NHKの日本最強の城スペシャル・初夏に行きたくなる城を大特集!』
l  フォトジェニックな城として、天守群が映える松山城。
l  名橋とのコラボが美しい岩国城。
l  東海道から眺める掛川城。
l  天然要害の要塞として小諸城・臼杵城(陸繋島の)が登場。
l  アウトドア派にオススメな城は、山城をVRで楽しめる飯盛城。
l  独眼竜政宗の居城・仙台城。
のセンセーショナルな紹介に魅せられて、しっかりと視聴しました。

傘寿プラスのブログのトップバッターは「陸繋島の臼杵城」です。
海城(うみじろ)は、水運を押さえるため海に直面して築かれ、海水を堀に用い、その一部に舟入や船着場を設置または兼用している城、あるいはその形式。 河川や湖沼に隣接する城と併せ、総じて水城(みずじろ)とも呼ばれる。 水城の中でもユニークな城郭が『陸繋島の海城・臼杵城』です。

臼杵城(城郭あり)
 海抜22ⅿ
 広さ(データ見つからず、推定江ノ島の約四分の一

『江ノ島(城郭なし)』
 海抜61ⅿ
 広さ0.42平方㎞

『モン・サン=ミッシェル(城郭あり)』
 海抜80ⅿ
 広さ0.97平方㎞

臼杵城春景色
 
ウエブ情報から引用

臼杵城(中央右寄りの島)総構えの縄張り絵図
 
ウエブ情報から引用

堅固な要塞化された丹生島城(陸繋島)の対岸は武家屋敷と城下町が構築され、石高90万とも言われた大友氏ですので、この縄張りの総構えは見事であったと想像できます。
陸繋島
陸繋砂州の形成によって主陸地と陸続きと化した、島のこと。 海岸近くに島があると島の本土側では沖からの波が島を回り込んで衝突しあって弱まり、結果として波の静かな海域ができる。 この海域は沿岸流や周辺の河川などから運ばれてきた砂が堆積しやすく、やがて海岸と島を結ぶ砂州が成長し陸続きとなる。 この砂州のことは陸繋砂州あるいはトンボロという。

臼杵城俯瞰図
 
ウエブ情報から引用

大分県臼杵市にあった日本の城。 城跡は大分県の史跡に指定されている。 戦国時代、大友宗麟により臼杵城の前身となる『丹生島城(にうじまじょう)』が築かれ、大友氏の拠点となった。

丹生島は北、南、東を海に囲まれ、西は干潮時に現れる干潟の陸地でつながるのみという天然の要害をなしていた。 なお、『丹生』とは丹(に、鉱物の辰砂)が採取される土地を指し、丹生島とは『金属鉱石の産出する島』という意味。 大友義鎮(宗麟)は、この島一つを城郭化して干潟を干拓して城下を形成した

城には3重の天守と31基の櫓が上げられた。 総二階造り(上下階の平面が同規模)の重箱櫓と呼ばれる形状をした二重櫓が特徴的であった。 廃藩後は天守以下の建物は一部を残し取り壊され、周囲の海も埋め立てられた。 現在、城郭主要部は都市公園として整備され、石垣、空堀が残る。 また、二の丸に畳櫓が、本丸に切妻造りの卯寅口門脇櫓が、それぞれ現存する。

この城郭の強さが分かる戦国時代の対島津戦です。 『天正14年(1586年)の島津軍の侵攻(丹生島城の戦い)に対して『国崩し』と呼ばれたポルトガルから入手の大砲『フランキ砲』を動員するなどして島津軍を退けたが、城も城下も大きく損失した。 その翌年、大友義鎮は死去した。

この城の大絵巻は、これからさらに勉強をしたいと思いました。
(記事投稿日:2024/05/02 #744)

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