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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

あの講釈にも種本が有るのだらう(伊勢屋万右衛門)

2018-05-03 00:16:06 | コラムと名言

◎あの講釈にも種本が有るのだらう(伊勢屋万右衛門)

 本日は、憲法記念日。それにちなむ話題の用意もあるが、これは、「石川一夢」を紹介し終えてから、ということで。
 野村無名庵著『本朝話人伝』(協栄出版社、一九四四)から、「石川一夢」の紹介も本日で四回目になる。本日は、「石川一夢 (三)」の全文を紹介する。

  石川一夢 (三)
 委細を聞いた万右衛門が、
「成程なア、二百二十九ケ村、何万何千人を助けるため、一身一家一族を投出したといふ、天下の義民宗吾様の伝を、読物にしなさるだけあつて、先生の義心つくづく感服しました。外ならぬお前さんのこと、いかにも御用立しませうが、平生【ひごろ】の懇意は懇意、贔屓〈ヒイキ〉は贔屓でこれは別物だ。私も何分何厘といふ、細かい十呂盤【そろばん】をはじく質屋が渡世であつて見れば、何にも抵当なしで、兎に角百両という大枚をお貸し申すことはどうかと思ふ。そこが即ち商売冥利【しやうばいみやうり】だ、先生どうだらう何か抵当【かた】を預けては下さらんか」
 言はれて一夢が当惑いたしまして、
「旦那、出来ない相談を仰【おつ】つしやられては困りますねえ、タカの知れた講釈師、家中の家財道具を有つたけ舁【かつ】いで来たつて、とても百両の抵当には足りますまい、そりやア到底【たうてい】駄目でございます」
 と申しますと万右衛門が、
「先生、何を言ひなさる。私は何も、先生に朝夕の不自由をさせて、夜具布団や鍋釜を預からうといふのではありませんよ。形のある品物では、百両に足りるか足りないか、そんなことは他人様【ひとさま】の財産だから私【わし】は知らないが、先生は形のない品物で何千両何万両という価値【ねうち】のあるものを持つてゐなさるではないか」
「エ、形のない品物で何千両……」
「さうですよ、お前さんが高座で売物の講釈は、先生でなくてはといふ折紙つきのものばかり、これが皆何千両の品物ぢやアないか、とりわけて佐倉義民伝は天下一品、どうですえ、あの読物を私が質物【しちもつ】として預からうではありませんか」
「へえー、講釈を質に取るのですか」
「どうだえ、前代未聞で、面白いぢやア無いか、いづれあの講釈にも、種本とか台本とかが有るのだらう、それを抵当にして、百両御用立いたしますよ」
 言はれてホツとした一夢が心づいて見ると、昨夜から心配のあまり、まだ衣類【きもの】も解かず横にもならないので、佐倉の種本【たねぼん】は昨日の侭、まだ懐ろへ入つて居りました。そこでこの台本を伊勢屋へ預けることになり、引替【ひきかへ】に百両借り受けましたが、正しく伊勢屋の主人の申した通り前代未聞、講釈といふ無形のものを、質に置いたというのは、後にも先にもこの一夢ばかりであります。それもどんな本かと申せば、半紙一帖、つまり唯た〈タッタ〉二十枚を二つ折りにして綴ぢたもので、上下の表紙を除きますと、中味は只の十八枚、それへ講釈の要所々々を記入してあります。所謂【いはゆる】点取【てんとり】の種本ですから、他人が見たのでは何が書いてあるのやら要領は分りません。表紙には「宗吾神霊美談」、傍ヘ「石川一夢」としてあるばかり、これで大枚百両借りたんですから大へんなもの。その頃の百両は、当今の千円以上かも知れません。一夢が伊勢万の知遇を感謝して、帰ろうとすると万右衛門が、
「ところで先生、お断り申すまでもないが、これを抵当として預かつてゐる間は先生も佐倉義民伝は読みなさるまいね」
 念を押されましたから、
「勿論でございます。私も不肖【ふせう】ながら石川一夢、決してそのような不徳はいたしませんから、御安心を願ひます」
 堅く誓いまして二葉町へ帰る。芳次郎お浜はどうなる事かと、青くなつて心配して居ります所へ、一夢が戻つて参りまして、
「サア二人とも、金は出来たから安心しな、万事は私が話をつけてやる」                           
 と申しまして、これから一夢が仲町【なかまち】の富田屋へ参つて主人に逢ひ、一伍一什【〔いち〕ぶしじふ】を話して芳次郎の取なし〔仲裁〕をいたしました。使ひ込みの百両を弁償した上、あらためて一夢が身元を引き受けての詫び言ですから、これは円満に解決します。そこで、
「またもや間違いが出来るといけないから」
 といふので、これを機会に芳次郎とお浜を夫婦にして、二階借りながら世帯【しよたい】を持たせ、芳次郎は富田屋の店へ通ひ番頭、忠実に店務【しごと】を励む事となり、思ひ合つた男女が晴れて添はれましたのも一夢のお蔭と、これは天へも上る喜びだつたに違ひありません。一夢もまことにいゝ心持、ところがその後始末に気をとられ、迂【う】つかりしてゐた一夢がいつもの通り、五郎兵衛の席の高座へ上つてからヒヨイと気がつきましたのは、
(サア大変、モウ今日からは昨日の続きと演【や】ることが出来ない。佐倉は質に入れちまつた、これは困つた)
 と思つたが仕方がない。拠【よんどこ】ろなく、
「エヽ伺ひ続きの佐倉義民伝、これよりは仏光寺【ぶつくわうじ】光然【こうねん】の逆の祈りから、怪異のお話に相成りますが、怪談と申せば同じこの下総の木下川【きねがは】にありましたのが、有名な累【かさね】のお話、元来この累と申します婦人は……」
 と巧みに脇道へ入つて、祐天上人累解脱【ゆうてんしやうにんかさねげだつ】の物語に転向してしまつた。ひどい事になればなるものだが、これが又一夢の得意とするところゆゑ、聴衆も喜んでいる中に、恰度【ちようど】月末【つきずゑ】になつて五郎兵衛の席も千秋楽となりました。

 この(三)は、比較的、短いが、ストーリーの上では、重要な展開を見せている。言うまでもなく、「佐倉義民伝」の質入れである。
 文中、「点取の種本」という言葉が出てくる。これは講談の用語で、後輩が楽屋で先輩の高座を聞き、要所要所を書き取ったものを言う。おそらく野村無名庵は、実際に、そのの態様を見ていたのであろう。その上で、「半紙一帖……を二つ折りにして綴ぢたもの」といった描写をおこなったものと思われる。なお、この文章においては、「種本」と「台本」とは、ほぼ同じ意味で用いられている。

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