◎国家を維持する四本の綱は「礼・義・廉・恥」
鈴木治の『白村江』(学生社、初版一九七二、新装版一九九五)を読んでいたところ、藤原広嗣〈フジワラ・ノ・ヒロツグ〉の上表文に言及しているところがあった。
その内容に興味を抱いたので、少し調べてみると、この「藤原広嗣の上表文」なるものは、どうも後世の偽作らしい。しかし、鈴木治は、これを真正のものと捉え、その前提に立って話を進めている。
その真偽の議論は暫くおき、その全文を読みたいと思い、インターネット上で探してみたところ、辻憲男氏の論文「藤原広嗣の上表文を読む」がヒットした。『神戸親和女子大学研究論叢』第三〇号(一九九六年一〇月一日)所載。
同論文に紹介されている上表文は、漢文の白文のみで、書き下し文は付いていない。ただし、辻憲男氏によって詳細な脚注が施されている。
上表文は、およそ五項から成っておりそれぞれの項で、「臣愚」(臣が愚かにも案ずるところ)が、縷々、述べられる。各項の最後には、それぞれ、「臣愚一矣」(以上が、臣が愚かにも案ずるところの第一です)、「臣愚二矣」、「臣愚三矣」、「臣愚四矣」、「臣愚五矣」という言葉がある。非常に整然とした構成であり、ナミの書き手ではない。
ザッと読んでゆくと、第四項のところに、次の言葉があった。
復八柱之已傾。
張四維之将絶。
「八柱のすでに傾けるを復す。/四維のまさに絶えんとするを張る。」と読むのであろう。「八柱〈ハッチュウ〉」とは、国家を支える八本の柱、「四維〈シイ〉」とは、国家を維持するのに必要な四本の大づな(礼・義・廉・恥)のことだという。
辻氏の脚注にはないが、この言葉は、『貞観政要〈ジョウガンセイヨウ〉』にある、「復八柱傾而復正、四維絶而更張」を踏まえているのではないか。
ところで、国家を維持するに必要な四本の大づなとは、「礼・義・廉・恥」のことだという。順に、「礼儀、スジミチ、ケジメ、羞恥心」の意味であろう。
奈良時代における日本の政治情況をイメージすることは難しくない。今日における日本の政治情況から、容易に類推できるからである。