礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

福沢諭吉君、俗談、平易ノ文章ヲ好ム

2018-05-10 00:51:11 | コラムと名言

◎福沢諭吉君、俗談、平易ノ文章ヲ好ム

 昨日は、高瀬松吉編の『明治英名伝』(績文社、一九八三)という本を紹介し、同書から、「福沢諭吉伝」の一部を引用した。このあとは、そこに出てくる二代目松林伯円に話題を振るつもりだったが、その前に、やはり、「福沢諭吉伝」の全文を紹介しておくべきだと考えなおした。そこで本日は、昨日、紹介した部分も含めて、「福沢諭吉伝」の全文を紹介する。
 この本は、明治前期に出版されたものだけに、文体も古いし、表記も今のものとは違う。しかし、文章の骨格はシッカリしていて、文意も明白である。その内容も、初期の福沢諭吉論として、注目すべきものがある。
 原文には句読点がないが、読みやすさを考え、適宜、これを施した。厳密に言うと、原文には、句点(。)を、今日でいうナカグロ(・)のように用いている部分があるのだが、これは、そのままの形で残した。原文は濁点を用いているが、徹底していないので、適宜、これを補充した。また、誤植と思われるものは、引用者の責任で訂正した(昨日の引用で、「又ク」をママとしたところも、「又タ」と訂正した)。〈 〉内は、引用者による読み、〔 〕内は、引用者による語注である。

  ○ 学 士 伝
    福 沢 諭 吉 伝
余、此伝ヲ編ムニ方リ〈あたり〉、福沢君ヲ以テ才子伝ニ加へント思ヘリ。君〔福沢君〕ガ経歴ニ就テ、其成績ノ如何ヲ検スレバ、甚ダ学士タルニ似ズ、或ハ商估〈しょうこ〉ノ如キアリ、或ハ書生ノ如キアリ、或ハ政治家ノ如キアリ。是皆、君ノ才ノ反射スル所ナラザルヲ得ンヤ。故ニ君ハ宜ク〈よろしく〉才子伝ノ人ナルベシト思ヒタリキ。而シテ君ガ平常ノ言行、若クハ〈もしくは〉著書、若クハ経歴ニ就キ深ク考察ヲ下スニ至テハ、君ハ亦タ自ラ学士ノ位地ヲ免レザル也。余、便チ〈すなわち〉君ヲ学士伝ニ加へ、其ノ事跡ヲ叙ス。君ハ豊前中津〈ぶぜん・なかつ〉ノ人、天保六年(今ヨリ四十九年前)乙未ノ歳〔一八三五〕ヲ以テ生ル。君ガ家ハ、世々奥平大膳大夫昌服〈まさもと〉朝臣ノ小吏タリ。父百介〈ひゃくすけ〉君、漢学者ナリ。君、幼ニシテ過庭訓〔家庭教育〕ヲ受ク。不幸ニシテ、早ク父ヲ喪ス。君、人トナリ、最モ穎敏〈エイビン〉、其容端正ニシテ長身ナリ。弱冠、大坂ニ遊ビ、緒方洪庵ノ門ニ入リ、始テ蘭書ヲ学ブ。安政五年〔一八五八〕、君、年二十九、蘭書ノ業、漸ク成ルニ及テ江戸ニ至リ、蘭学ノ力ニヨリテ英書ヲ学ブ。時ニ幕府、木村摂津守〔喜毅〕、勝麟太郎ニ命ジ、軍艦咸臨丸〈かんりんまる〉ニ塔ジテ米国ニ赴カシム。君、及ビ土佐ノ漁夫ニテ久シク米国ニ在リシ中浜万二郎ヲシテ随行員タラシム。是レ君、英蘭ノ文字ヲ知ルヲ以テナリ。此時、始テ、ウエブストルノ大辞書ヲ得テ帰ル。帰朝後、君、幕府ノ訳官トナル。文久元年〔一八六一〕三月廿四日、幕府又タ、竹内下野守〔保徳〕、桑山左衛門〔桑山左衛門尉元柔〕、京極兵庫ニ命ジテ、西洋各国ヲ巡視セシム。君、及ビ松木弘庵(今ノ寺嶋宗則卿)、箕作秋坪〈みつくり・しゅうへい〉等、使節ニ随フ〈したがう〉。十二月十一日ニ至テ帰朝ス。此行、亦君ノ知見ヲ広メ、且ツ英蘭ノ書籍ヲ多ク購ヒ帰ル。君ノ才能、是ヨリ現ハル。文久元年十月、君、箕作秋坪ト共ニ外国奉行支配トナル、始テ幕臣タリ。君、天授ノ文才アリ。最モ、俗談、平易ノ文章ヲ好ミ、僅々〈きんきん〉千余種ノ文字ヲ使用スルニ止マル故ニ、其論、其説、一ノ奇語ナク、一ノ怪字ナシ。之ヲ読ムニ、太羹醇酒〈たいこうじゅんしゅ〉ノ如ク、其至味〈しみ〉ヲ覚フ〔ママ〕。実ニ近古ノ大手筆〔大著作〕ナリ。慶応ノ初メ、西洋事情ヲ著ス。原書ノ翻訳ニ出ルト雖モ〈いえども〉、多クハ、君、実際ニ見聞スル所ヲ抑シ〔おさえ〕、政治。税法。国債。紙幣。会社。外交。兵制。学校。新聞等ヨリ、盲院。痴院ノ末ニ至ルマデ、之ヲ記シテ漏サズ、傍ラ〈かたわら〉自己ノ意見ヲ添ヘタリ。此書、大ニ天下ノ喝釆ヲ博シ、君ガ名声、是ヨリ高シ。而シテ、君ノ最モ世人ヲ敬服セシメタル者ハ、訳字ナリ。当時、洋学、未ダ精ナラズ。訳字ノ適当ナル者ヲ見出スニ苦ミ〈くるしみ〉シニ、事情〔西洋事情〕ノ一タビ世ニ出ヅルヤ、多ク新訳字ヲ案出シ、世ノ学者ヲシテ之ニ倣ハシムルニ至レリ。此書、明治三年〔一九七〇〕ニ至リ再版シ、同六年〔一八七三〕ニ至リ三版ス。洛陽ノ紙価ヲ貴カシメタリト云フ。慶応ノ初メ、君、小幡篤二郎〈おばた・とくじろう〉君等ト図リ、一ノ私塾ヲ開ク、慶応義塾ト称ス。生徒数百人、皆ナ英漢ノ書ヲ授ク。蓋シ、洋学私塾ノ嚆矢タリ。同〔慶応〕三年〔一八六七〕、再ビ米国ニ航シ、多ク英米ノ書籍ヲ購フ〈あがなう〉。君、帰ルヤ、適マ〈たまたま〉更始維新ノ事アリ。伏見鳥羽ノ役、東軍、敗績〈はいせき〉シテ、将軍、江戸ニ退ク。官軍、東山、東海ノ両道ヨリ進ミ、忽チニシテ徳川ノ覇業、忽諸〔たちまちつきる〕。君、自ラ学士ヲ以テ任ジ、敢テ世ノ風潮ニ関セズ。偶々、幕府ノ彰義隊、東叡山ニ拠ル。官軍、之ヲ挟撃ス。其事、不意ニ出テ、都下騒然、幼老、狼狽シテ街路ニ泣号ス。君、時下、義塾ニ在リテ、英氏〔ウェイランド〕ノ経済書ヲ講読ス。砲声ノ轟々タルモ更ニ動ゼス、神色自若〈しんしょくじじゃく〉、生徒ヲ制シテ徐ニ〈おもむろに〉其業ヲ卒ル〈おえる〉。見ル人、君ノ胆力ニ服ス。維新ノ後ニ至リ、西洋ノ学術日々ニ進ミテ君ノ塾〔慶応義塾〕ノ如キハ年ヲ追テ益々盛ンナリ。明治五年〔一八七二〕、文部省布達シテ曰ク、旧藩ニ於テ従来官費ヲ以テ支給シタル学生ノ如キ、其学力甚ダ優劣アリ。今度大学南校〈だいがくなんこう〉ニ於テ更ニ試験ヲナシ、其落第スル者ハ自今官費支給ヲ止ム可シ〈やむべし〉ト。君〈くん〉、之ヲ聞テ則チ書ヲ文部ニ奉リテ曰ク、教育ノ為メニハ費金ヲ吝ム〈おしむ〉可ラズ、且、試験ヲ以テ一朝ニ学力ノ深浅ヲ定メントスルハ抑モ〈そもそも〉難矣〈なんなるかな〉。依テ〈よって〉私塾教師ニ委ネ〈ゆだね〉、其学力ノ優劣ヲ験定セシメンコトヲ請フト。官、之ヲ許ス。同六年〔一八七三〕、君、諸学士ト図リ、一社〔明六社〕ヲ起シ、明六雑誌ヲ刊行ス。其論ズル所、大ニ〈おおいに〉文化ノ進歩ヲ補フニ足ルモノアリ。又タ日本ニ演説会ヲ創始ス。君、初メ西洋演説ノ風ヲ移シテ、日本ニ開カントス。弁舌、未ダ滑ラカ〈なめらか〉ナラズ。密ニ〈ひそかに〉講談師松林伯円〈しょうりん・はくえん〉ニ就テ、其弁を学ブ。此〈ここ〉ニ於テ、其弁、流ルヽガ如ク、巧ニ〈たくみに〉滑稽ヲ挿ミ、言語平易ニシテ事理〔ことがらとスジ道〕燦然〈サンゼン〉タリ。実ニ弁士ノ泰山北斗〔泰斗〕ト謂フ可キ耳〈のみ〉。明治十二年〔一八七九〕府会議員ニ公撰セラル。君、中途ニテ之ヲ辞ス。当世種々ノ世評アリ。或曰〈あるひと・いわく〉、君初メ府会ニ出ルヤ自ラ議長タル可キヲ期ス。然ルニ福地源一郎君議長トナリ、君ハ之ガ副タリ。君ノ株〔地位〕ヲ以テ源一ノ下ニ立ツ、外聞悪キヲ以テ辞スルノミト。或ハ然ラン、然レドモ亦咎ムル〈とがむる〉ニ足ラザル也。君、常ニ人ニ語ルニ、余ハ政治海ニ入ルノ念ナシ、飽マデ〈あくまで〉学者ヲ以テ世ニ立ツト。故ニ君ノ所論、常ニ官民ノ中間ニ在ルコトヲ示シ、中立ヲ以テ主義トス。著書中。学問ノすゝめ。文明論概略。通俗国権論。通俗民権論。時事小言。福沢文集。等ノ最モ著名ナル者ナリ。近頃ヤ自ラ一大新聞ヲ起シテ時事新報ト云フ。議論着実ニシテ頗ル当世ノ人気ニ適セリ。君ノ如キハ亦非凡ノ人ト言フ可シ。或ハ君ノ畜財ニ妙ヲ得ヲ得タルト、時ニ商法ニ手ヲ出シテ巨万ノ利ヲ占ムル事アルヲ見テ、甚ダ学士ニ似ザル所アリトナスモ、既往ノ成跡ハ、未ダ学士社会ヨリ取リ除クコトヲ得ザルナリ。

 福沢諭吉の文章について、「僅々千余種ノ文字ヲ使用スルニ止マル故ニ、其論、其説、一ノ奇語ナク、一ノ怪字ナシ」と指摘しているのは興味深い。そうした文章術を持っていた福沢は、さらに「演説会」を創始する一方、みずから「演説」についての研鑽を重ねていたわけである。
 文中、「更始維新」という言葉が出てくるが、四字熟語としては「更始一新」が一般的である。ここでは、明治維新のことを指している。また、「太羹醇酒」という言葉が出てくるが、文脈からして、肯定的なニュアンスで使われているようである。ちなみに、「太羹玄酒」という四字熟語は、「面白味のない文章のたとえ」として使われるという。

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