礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

ポパイことドイル刑事がフランスに乗り込む

2025-03-04 00:03:34 | コラムと名言
◎ポパイことドイル刑事がフランスに乗り込む

 俳優のジーン・ハックマンさんが亡くなったという。死体で発見されたので、亡くなった日付は不明、死因も、今のところ不明のようである。
 ハックマンさんが出演した映画としては、『宇宙からの脱出』(1969)『フレンチ・コネクション』(1971)『フレンチ・コネクション2』(1975)『ザ・ファーム』(1992)『エネミー・オブ・アメリカ』(1998)を観た(たぶん、これ以外にも観ていると思う)。これらの映画の中で、ジーン・ハックマンさんの「代表作」を選ばせていただくと、やはり、『フレンチ・コネクション2』になる。
 本日は、ジーン・ハックマンさんを追悼する意味で、過去のコラムを再掲させていただきたい。2013年3月17日に載せた「『フレンチ・コネクション2』とミッキー・マントル」というコラム(付・名言)である。

◎『フレンチ・コネクション2』とミッキー・マントル
 先日、DVDで、ジョン・フランケンハイマー監督の映画『フレンチ・コネクション2』(20世紀フォックス、一九七五)を鑑賞した。これは、今年になって見た映画では、最も印象に残る傑作だった。ウィリアム・フリードキン監督の『フレンチ・コネクション』(20世紀フォックス、一九七一)も良かったが、それに勝るとも劣らない傑作だと思った。
 ジョン・フランケンハイマーのベスト1は、『終身犯』(一九六一)だと思うが、この『フレンチ・コネクション2』は、二位か三位に挙げられるのではないか。
 ニューヨーク市警の「ポパイ」ことドイル刑事(ジーン・ハックマン)は、麻薬王シャルニエ(フェルナンド・レイ)を追って、フランスのマルセイユに乗り込むが、ここで組織に拉致され、麻薬漬けにされてしまう。このあとドイルは、禁断症状と闘って、これを克服する。この禁断症状と闘うシーンが、壮絶である(しかも長い)。
 このとき、ドイルは、見守っているマルセイユ警察のバルテルミー警部(ベルナール・フレッソン)に向かって、野球の話題を振ろうとするが、ほとんど話が通じない。妙にリアルなシーンである。あとで、インターネットで調べたところ、「フライヤーズ・ノスタルジア」に、このシーンについて、次のような解説があった。
《周知の通り、ハックマン演じるポパイと云うキャラクターは、NY市警察の麻薬捜査課で2度の大きなヤマを体験したエディ・イーガンと云う実在する人物がモデル。前作「フレンチ・コネクション」の劇中ではポパイの上司として登場していたエディ・イーガンだが、本作では、彼が警察官になるまでの現実のエピソードをスクリプトで挿入している。その登場シーンは、ヘロイン中毒からの再起を図るポパイとバルテルミーが対峙する独房での場面。メジャーリーグのNYヤンキースのトライアウトに合格するも、無名時代のミッキー・マントル(伝説のスラッガー)のプレイに自信を失いNY市警になったと語るポパイだが、あの話は、エディ・イーガンのバイオグラフィーそのまま。》
「周知の通り」というが、全く知らなかったので、勉強になった。なお、これもインターネットで調べたところ、ミッキー・マントルは、ニューヨーク・ヤンキースの外野手で、背番号7は、ヤンキースの永久欠番だという。アメリカンリーグMVP三回、三冠王一回(スイッチヒッター初)、首位打者一回、本塁打王四回、打点王一回などの記録があるという。
 これだけの大打者にもかかわらず、一九五一年にメジャーデビューしたあと、一度、マイナー落ちの経験があるという。「ポパイ」のモデルとなったエディ・イーガンが、ミッキー・マントルに出会ったというのは、この時のことであろう。ちなみに、ミッキー・マントルは、一九五一年のワールドシリーズには出場しているようなので(この時、スプリンクラーに足をひっかけて膝を痛めたという)、マイナー落ちは、ごく短い期間だったのではないだろうか。
 なお、手元の『1956ポケット・ベースボール・アルマナック』(ポケットブックス、一九五六)で調べると、ミッキー・マントルは、身長5フィート11インチ(178㎝)、体重175ポンド(79.3㎏)とある。アメリカの野球選手としては、それほど大柄ではなかったようだ。
今日の名言 2013・3・17
◎すげえ野郎がいたんだ、足が速くてな。
 映画『フレンチ・コネクション2』のドイル刑事のセリフ。バルテルミー警部に向かって、野球の話をする場面。「すげえ野郎」というのは、ミッキー・マントルのこと。彼は、左打席から一塁までを、3・1秒で走ったという。

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