◎東条英機『自殺決心時の遺言』の来歴
今月一一日のコラム「東条英機『自殺決心時の遺言』の真偽」で、ウィキペディアに依拠しながら、私は次のように書いた。
ウィキペディア「東條英機の遺言」の項によれば、作家の保阪正康氏は、この遺書に疑問を抱いているという。【中略】
私はまだ、保阪氏の『昭和良識派の研究』(光人社FN文庫、一九九七)を読んでいないので、保阪氏が、この「遺書」をニセモノと断言しているかどうかは知らない。
その後、図書館に赴いて、光人社FN文庫『昭和良識派の研究』を借り出してきたので、本日は、この本について述べてみたい。
同書は、一九九七年に出た『良識派の模索』(光人社)を改題したものだという。
さっそく、該当する部分を引用してみよう(五四~五六ページ)。
東條の「遺書」といわれるものは、これまでにもいくつか存在したが、それらは、一般的には二つに大別される、ひとつは、昭和二十年九月十一日の自決未遂に至るまでの間に書かれたといわれている「遺書」である。そしてもうひとつは、東京裁判で絞首刑の判決(昭和二十三年十一月十二日)を受け、刑が執行(昭和二十三年十二月二十四日未明)されるまでの間に書かれたとされる「遺書」である。
前者の代表的なものは、UP通信の記者A・ホープライトが東條の側近の陸軍大佐から入手したとされる三通の「遺書」である。ホープライトは、これを『中央公論』昭和二十七年五月号に発表している。それによると、この三通は「英米諸国人ニ告グ」(四百字)、「日本同胞国民諸君」(四百八十字)、「日本青年諸君ニ告グ」(四百字)であり、ホープライトは、「この遺書は、東條が口述し筆写させたくだんの大佐から私に贈られたものであり、そして私は、これが本物の東條の遺書であると信ずる一切の理由をもっている。東條の遺書の内容は――この小論中に全文が収録されているが――しばらく前にUP発信で全世界に報道された」といっている。
この「遺書」について、当時早大教授だった戒能通孝〈カイノウ・ミチタカ〉(東京裁判で海軍、外務省側被告の弁護人を務めた)は、これらにおいて東條が「正理公道は我に存し」と言い、敗戦後も国民に命令し青年に訓を垂れているのは、「東條的無責任論」といって冷たい目を向けている。同時に、戒能は東傑と同様に「今ですら国民に対する命令権をもつと信じこんでいる人たちがどれほど膨大か」とも批判している。依然として日本には、東條的無責任ははびこっていたのである。
三通の「遺書」は確かに、「英米人」の考えを責め、日本人にあてては戦争の責任は「我ニ在ラスシテ彼ニアリ」といい、「日本ハ神国ナリ。永久不滅ノ国家ナリ」と檄をとばす。日本の青年にあてても「日本ハ神国ナリ」といい、「忠君愛国ノ日本精神是レノミ」と書き、この精神で国家再建に起ちあがれといっている。
ホープライトは、この「遺書」がいつ書かれたかを明確にしていない。ただ、彼の文章からすると、九月十一日以前に東條が陸軍大佐を呼んで、「最後のステートメントを口述させた」といいたいらしい。しかしその大佐が誰かは明確にはしていない。
結論から書くが、私はこの三通の「遺書」に疑問を持っている。
これが『中央公論』に発表されたのはサンフランシスコ講和条約が発効したころだが、当時、欧米には日本がまた戦前のような国家に戻るのではないかとの危惧があった。
ホープライトがこの「遺書」を発表した裏には、そういう危惧を「東條」という名前をつかってさらに強めようとの意図があったかのようにさえ感じられる。
現に私は、この口述筆記をしたとされる二人の大佐をさがして会ったのだが、ひとりは「知らない」といい、ひとりは「東條さんは在任中から日本文は必ず徳富蘇峰さんに見せていたからそれも見せているかもしれない」と答えるにとどまった。
いずれにしろ、真相は関係者が存命していない今となっては確認出来ない。ただ、私はこの三通の「遺書」は、東條が雑談で話した内容をまとめたにすぎないという印象をぬぐえないでいる。
保阪氏は、この遺書はニセモノだとまでは断定していない。しかし、やはりこれは、ニセモノと位置づけるべき文書ではないのか。そう思う理由は、次回、述べる。
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ところで、先日失念したと申し上げた人物は、「竹越与三郎」でした。
明治から昭和に至る長きにわたって、歴史家として、ジャーナリストとして、政治家として
活躍した人物です。
実は二か月ほど前、あるシンポジウムで憲法学者の樋口陽一先生がこの人を紹介していたのです。
樋口先生は竹越の著書『人民読本』の一節を、その場で読んでくれました。
その本の第4章「虚偽の愛国心」からの一節とのことで、それは、ほんとうの愛国心とは何か、
世界に通用する愛国心とはどういうものか、についての内容でした。
まさに今の政治家、為政者に読ませたい内容である、とその時わたしは強く思いました。
この竹越の時代、この分野はまさに礫川さんの守備範囲と思い、竹越与三郎のこと、その考え、
『人民読本』のことなど詳しくお教えいただけないものかと存じた次第です。
今、国家主義を前面に出し、憲法学者のほとんどが違憲であると反対し、国民の大多数も
よく分らないとしている安保法制、それを無理やり通そうとしている現政府。
その政府の考え方は、竹越の考える愛国心に沿うものなのでしょうか。
礫川さんのご意見もお聞きしたく存じます。