◎菅原文太さんと『獅子の時代』
昨日、インターネットで、菅原文太さん関係の記事を検索していたところ、「et5652さん」のブログに、「福島県知事選が終盤戦に突入~菅原文太を応援弁士に招いた熊坂陣営」(本年一〇月二四日)という記事を見つけた。
それによれば、菅原文太さんは、福島県知事選の熊坂義裕候補者を応援する「全国勝手連」の賛同人になっていて、本年一〇月二三日に郡山市文化センターで開かれた同候補の決起大会に参加したという。
以下は、同ブログからの引用。
続いて、菅原がマイクを握った。司会者が「俳優の菅原文太さんです」と紹介すると、「俳優は引退しました。今は農業をやっています。無農薬の農業を」と言った。菅原もまた、官僚に敵意を露〈アラワ〉にした(同〔発言の要旨〕)
「ここに集まっている人たちの力を結集して、勝ちましょう。勝たなかったら、アホみたいなもんですよ。今回の選挙では自民党と民主党が一緒になってやっています。バカなことですよ。普段はケンカをしているのに、選挙になったら、なぜ、手を組むのか。
かつて『獅子の時代』というドラマに出演しました。会津藩士の役で、自由民権運動などのシーンもありました。いろんな映画やドラマに出演しましたが、いちばん好きな作品です。
そのあと、伊東正義先生(衆院議員)から電話がかかってきまして、『外務大臣室に来い』という。ヤクザ映画ばかりやっていたので、怒られるんじゃないかと思いました。一張羅〈イッチョウラ〉で大臣室に行くと、伊東先生は腰に手ぬぐいをぶら下げていました。伊東先生は『あのドラマをずっと見ていた。俺は会津(出身)だから、感銘を受けた』とおっしゃいました。『ああ、そうか』とホッとしました。以来、伊東先生と付き合うようになりました。今でも生きていたら、福島の人たちに何と言うでしょうか。今は伊東先生のような人はいませんね…。自民党にも民主党にも。
今回の選挙は、これまでとは違います。誰でもいいというわけにはいきません。(対立候補は)副知事をやっていたというが、これまでの知事は何をしましたか。何もしていない。何もしていないどころか、ここに来て逃げてしまった。その代わりに、官僚出身の副知事が出てきた。役人のどこがいいのか。頭が切れるだけです。あんな人を恐れる必要はありません。【中略】
福島は特別な地域です。原発事故で、住民が移民のようになっています。いまだに仮設住宅に何万人もの人が住んでいる。役人がこれを放っておくのはどういうことでしょうか。そこまで日本という国がおかしくなっている。
今回はみなさんも覚悟してもらいたい。あっちはどうかな?こっちはどうかな?なんて考えないで、福島生まれの熊坂さん一本で。経験は十分だし、岩手に居たのは理由があってのことです。(震災のとき)病院で何百人という人を助けた。その後、自分のふるさとに帰って、知事になろうとしている。共に生まれて暮らした人と新しい福島をつくろうとしている。でも、みなさんが寄り添い、助けてやらないと。いくら才能があっても、一人では何もできません。みなさんの協力が必要です。ただ、熊坂さんはお願いの仕方がやわっぽい。知事になったら、やさしく、なおかつ力強くやってもらいたい」
今から、一か月ほど前までは、お元気だったのである。改めて哀悼の意を表したい。
マスコミは、菅原文太さんが、こうした活動をしていたことを、ほとんど報じなかった。また、その逝去後の、追悼番組、追悼記事に関しても、あまり事情は変わらない。
それは措くとして、上記の記事を読んで、個人的に最も印象に残ったのは、『獅子の時代』のことを、菅原さんが、「いろんな映画やドラマに出演しましたが、いちばん好きな作品です」と位置づけておられることである。やはりそうだったのか、と思った。一九八〇年に放映されたこのNHKドラマは、菅原さんにとって、いろいろな意味で、「転機」になった作品だったのではないか、と推測する。【この話、続く】
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