礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

フィヒテ『ドイツ国民に告ぐ』の復刊を望む

2025-02-05 00:04:21 | コラムと名言
◎フィヒテ『ドイツ国民に告ぐ』の復刊を望む

 本日は、先月22日以降に提供した話題について、若干のまとめをおこなってみたい。以下、箇条書きで述べる。

○岩波文庫『独逸国民に告ぐ』から同『ドイツ国民に告ぐ』への改訳は、佐藤通次が担当した。この際、佐藤は、「凡例」の書き直しもおこなった模様である。この書き直しは、第一項から第三項については、文体・用字等の変更であった。
○岩波文庫『ドイツ国民に告ぐ』の「凡例」には、第四項と第五項があるが、この両項は、岩波文庫『独逸国民に告ぐ』初版(1928年3月)の段階で付されたものと考えられる(初版は未確認)。
○凡例は、どのように書き直されたのだろうか。文部省版『独逸国民に告ぐ』と岩波改版『ドイツ国民に告ぐ』で比較してみよう。
 文部省版「一、本輯は、一八〇七年の末より八年の初頭に亘りフィヒテが伯林大学に於て学者教育者その他愛国の士を集めて行へる講演「独逸国民に告ぐ」Reden an die deutsche Nation を翻訳せるものなり。この講演は実にフィヒテの熱列なる愛国心とその勇気とを証明せるものにして、当時伯林は仏軍の蹂躙する所となり、フィヒテの講演は幾度か仏軍の太鼓の響に妨げられたりと云ふ。」
 岩波改版「一、本輯は、一八〇七年の末より八年の初頭に亘りフィヒテがベルリン学士院に於て、学者、教育者その他愛国の士を集めて行へる講演(ドイツ国民に告ぐ)Reden an die deutsche Nation を翻訳したものである。この講演は実にフィヒテの熱列なる愛国心とその勇気とを証明したもので、当時ベルリンが仏軍の蹂躙するところとなり、フィヒテの講演は幾度か仏軍の太鼓の響に妨げられたりといふ。」
 おおむね妥当な書き直しと言えるが、最後の「妨げられたりといふ」は、「妨げられたといふ」とすべきであった。
○第三項においては、意図的な書き直しが見られる。
 文部省版「一、フィヒテが教育史上に於ける意義は、汎愛主義及び人文主義の曖昧なる理想を棄てて、強健なる人間の陶冶を説き、国民的教育の精神を鼓吹せるにあり。而してその主張に幾分極端なる点無きに非ずと雖も、よく時勢を洞察し、国民の覚醒を、促したる所、今日の我社会に対して参考となるべきもの尠からざるべきを思ひ茲に之を訳出し「時局に関する教育資料」特別輯として上梓することゝせり。」
 岩波改版「一、フィヒテが教育史上に於ける意義は、汎愛主義及び人文主義の曖昧なる理想を棄てて、強健なる人間の陶冶を説き、国民的教育の精神を鼓吹するにある。しかしてその主張がよく時勢を洞察し、国民の覚醒を促したるところは、今日のわが社会に対して参考となるべきもの多きを思ふ。」
 文部省版には、「その主張に幾分極端なる点無きに非ずと雖も」という字句があったが、岩波改版では、この字句が削られている。岩波改版の書き手は、意図的にこれを削ったものと考えられる。
 しかも岩波改版では、文部省版にあった「茲に之を訳出し」も削られている。文部省版の凡例を見れば、その書き手が訳者(大津康)であることは明白である。岩波改版では、書き手がアイマイになっており、したがって、「その主張に幾分極端なる点無きに非ずと雖も」という字句を、誰が削ったかもアイマイにされている。
○岩波文庫改版『ドイツ国民に告ぐ』の凡例第三項の書き直しは、意図的なものであり、最初の執筆者・大津康に対して、甚だ非礼である。あえて、この非礼をおこなったのは、改訳者の佐藤通次であった。
○佐藤通次による岩波文庫の改版、凡例の書き直しという経緯と、今日、国立国会図書館に、岩波文庫改版『ドイツ国民に告ぐ』が架蔵されていないこととの間には、なんらかの因果関係があると推定される。
 この因果関係について、現段階では説明を控えるが、傍証をふたつ挙げておく。ひとつは、戦中、佐藤通次は大日本言論報国会の理事であり、そのことから、戦後の一時期、公職追放になっているという事実があること。
 もうひとつ。富野敬邦『フィヒテ 独逸国民に告ぐ』(玉川学園出版部)は、戦後、「GHQ焚書」(故西尾幹二氏の用語)の対象となっているというインターネット情報があるという事実。
 富野敬邦(とみの・よしくに、1904~1968)は、社会学者で、戦後、徳島大学教授。富野の『フィヒテ 独逸国民に告ぐ』には、戦中版と戦後版とがあって、戦中版は、富野敬邦著『フィヒテ 独逸国民に告ぐ』(玉川学園出版部、1941年9月)、戦後版は、富野敬邦訳補『フィヒテ 独逸国民に告ぐ』(玉川学園出版部、1948年3月)である。富野の『フィヒテ 独逸国民に告ぐ』が、「GHQ焚書」の対象となったというのが事実だとすれば、対象となったのは、たぶん、戦中版のほうであろう。
○フィヒテの『ドイツ国民に告ぐ』が、岩波文庫から復刊されることを望みたい。その際、「解説」の中で、日本で同書の翻訳書がたどった悲しい運命について、詳細に、かつ冷静に検討していただきたいと願う。

付記 本日午後、久しぶりに国立国会図書館を訪れた。目的は、ただひとつ、岩波文庫『独逸国民に告ぐ』(1928年3月初版)を閲覧するためである。ところが、わざわざ出かけて初めて、同図書館には、同書が架蔵されていないことに気づいた。つまり、国立国会図書館には、岩波文庫『独逸国民に告ぐ』が架蔵されておらず、岩波文庫『改訂 ドイツ国民に告ぐ』(1940年3月改版)もまた、架蔵されていなかったのである。となると、本日の記事もそうだが、当ブログの過去の記事で、記述を修正しなければならないものがある。過去にさかのぼって修正した場合は、「付記」で、その旨を明記するので、読者は、これを了とされたい(2025・2・5)
付記その2 下から二番目の箇条書きで、「佐藤通次による岩波文庫の改版、凡例の書き直しという経緯と、今日、国立国会図書館に、岩波文庫改版『ドイツ国民に告ぐ』が架蔵されていないこととの間には、なんらかの因果関係があると推定される。」と書きました。これを、次のように訂正します。「佐藤通次による岩波文庫の改版、凡例の書き直しという経緯と、今日、国立国会図書館に、岩波文庫初版『独逸国民に告ぐ』ならびに岩波文庫改版『ドイツ国民に告ぐ』が架蔵されていないこととの間には、なんらかの因果関係があると推定される。」(2025・2・5)

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