礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

小仏峠で命拾いをする

2025-02-08 00:03:56 | コラムと名言
◎小仏峠で命拾いをする

 川島武宜『ある法学者の軌跡』(1978)から、第Ⅳ部「戦時中のこと」の第八章「与瀬での生活の思い出」を紹介している。本日は、その三回目。

       ⑶ 命拾いをする
 与瀬の生活の中で、忘れられないことが一つあります。それは、私が命拾いをしたことです。少し傍き道〈ワキミチ〉にそれますが、話しておきます。
 私は当時一時間半ぐらいかかって与瀬から東大の研究室にほとんど毎日通いました。或る日、「きょうは空襲で危ないから早く帰ったほうがよい」という情報が入りましたので、いつもより早く帰途につきました。ところが、新宿へ行ったら、もう汽車は動かなくなっていました。ほとんど暗くなってからやっと汽車が動き出しましたが、八王子を過ぎて少したったころ、八王子の爆撃が始まったのです。それは大変に猛烈なもののようでした。そのころから、私の乗っていた汽車は、止まっては動き止まっては動きした末、とうとう長時間立ち往生しました。爆撃機の編隊が通るたびに何時死ぬかと思いながら緊張した気待で、非常食用に携帯していた大豆をかじったりしていました。そのうち夜半近くになって汽車は動きだし、どうにか浅川(いまの高尾)の駅に着きました。しかし、その先のトンネルの手前で先発の列車が銃撃を受けて立ち往生しているので、われわれの列車は浅川から先へは行けなくなった、という情報が拡声器でアナウンスされました。そうして、列車の中にいると危いから乗客は早く降りてくれと言われ、照明を全部消したまっくらの駅に降り、手さぐりのようにして駅の建物を出て、他の人々と一しょに小仏〈コボトケ〉峠に向って、星あかりを頼りに山道を歩いてゆきました。
 小仏峠の上にたどりついた時に振りかえって見ると、八王子あたりは空一面にまっ赤になって燃えていました。あの火の中で多くの年寄りや幼児や病人が焼け死んでいるのかと思うと、その残酷悲惨さに、居ても立ってもいられない気もちでした。
 私のまわりの人々は黙々として誰一人声を出さずに歩いています。しかし、私は昼も夜もほとんど食べていないので、おなかがすいて時々目の前がぼうとなり、眠りそうになりました。とうとう私は路傍の石に腰をかけて休みましたが、いつの間にか眠ってしまったのです。ふと気がつくと、私の肩に手をかけて、「もし、もし」とゆり起している人がいるのです。夜半の小仏峠の頂上ですから、相当に寒いのです。その人は、「こんなところで寝ちまったら、あなたは死んでしまいますよ。歩かなきゃだめです」と言って、私の腕を引っぱってむりやりに歩かせるのです。その人は私を半分抱きかかえるようにして与瀬まで連れていってくれました。歩いているうちに少しづつ正気になり、とうとう下宿させてもらっていたお医者様の家にたどりつきました。私はその人にお名前を伺わせてくださいと言ったのですが、その人は何も告げずに立ち去られました。私は、いまでも、何とかしてその人にお礼を言いたいと思っていますが、どこのどなたか分らないのでどうすることもできず、本当に心のこりです。
 そのお医者様の家では、中央線が不通になっているとラジオで聞いて、心配していて下さったのですが、私が帰ったので大へん喜ばれ、私は温かいみそ汁と白米のごはんとをいただいて、ホッとして床について熟睡しました。今私が生きているのは、ほんの一寸した偶然のおかげであった、しかも一人の人の暖い親切のおかげであった、と思うと、感慨無量です。
 与瀬というところは、色々な意味で、私は感謝の気持ちで思い出されるのです。

 八王子空襲は、1945年(昭和20)8月2日の未明から始まったという。その前日、8月1日午後8時20分に警戒警報が、午後8時55分には空襲警報が発令されている。
 川島武宜は、8月1日、勤務先の東大研究室で、「きょうは空襲で危ない」と聞き、早めに勤務先を出た。新宿から汽車に乗ったところ、これがなかなか発車せず、発車しても立ち往生を繰り返した。
 川島ら乗客が、浅川駅(現・高尾駅)で降ろされたのは、2日午前零時前後だったのではなかろうか。川島らが乗っていた列車は、八王子空襲が本格化する前に、八王子市内を通過しており、川島は、この意味でも「命拾い」をしていたことになる。

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