◎無人の野をゆくカモシカのようなアベベ
先週、送られてきた古書展目録を見たところ、作家の小沢信男(1927~2021)の「自筆日記」を出品している書店があった。1964年の日記で、その一部が紹介されている。(中略)は、古書目録のまま。
「新宿の甲州街道口でマラソンの帰りをみる。(中略)アベベがやってきた。先導の車がスルスルときたと思うと音もなく黒いアべべが大股に飛ぶようにやってきて、角をまがる時、チラとうしろをふりかえった。沿道の連中は溜息のような嘆声をあげるだけ。それからしばらく待って円谷を先頭に、5・6人つながってきた。アべべが無人の野をゆく、カモシカのようなとすれば、この連中は、中古のキカン車のように走ってきた。(中略)あきれるほど全く声がかからない。なにかお葬式が通るような感じ。マラソンというのはひどくしずかなものだ。それにしてもせっかく円谷が2位で、ケツにすいつかれているというスリリングな場合なのに、しんとして見ているというのはどういうわけだろう。どうぞご声援くださいと警官が云ったら、ワアッとばかりに声援するのだろうか。ぼく自身もふくめて気味が悪い。そのあとぼくはすぐ人垣をはなれて表通りへ出た。三重子と紀伊国屋で待ちあわせていたから。あちこち交通制限のせいで、車の数も人の数も少ない。いつもこの程度の街ならいいものだと思う。デパートもスいていた」(10月21日)。
この日、10月21日は、東京オリンピック(第18回)の終盤にあたり、マラソン競技がおこなわれた。当時、小沢信男は37歳。
沿道の観客が、「しんとして」いたという観察が興味深い。「三重子」というのは、小沢信男の夫人である。
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