礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

吉事の支度には三本杵が用ゐられた

2025-01-03 00:01:52 | コラムと名言
◎吉事の支度には三本杵が用ゐられた

『社会経済史学』第3巻第9号(1934年1月)から、柳田國男による講演の記録「餅と臼と擂鉢」を紹介している。本日は、その三回目。

          
 元来食物の褻【け】と晴【はれ】との区別は、必ずしも材料の優劣を意味しては居なかつた。晴の日の食物とても皆うまい物とは限らず、常の日以下のものさへ折々は用ゐられて居る。たとへば稲苅り終つて後の農神祭には、土穂餅【つちぼもち】又はミヨセ団子などゝ称して、仕事場の臼のこぼれを掃き寄せたものを食料とし、夏のかゝり〔初め〕の水の神祭には、小麦の粉をこねてボロソ餅などを製して居る。たゞ大いなる二者の相違は、其調整の為に費さるゝ労力の量であつた。ケシネ即ち平日の飯米は、一度に多く搗いて始から粟稗〈アワ・ヒエ〉の定量をまぜて置き、それを毎日片端から炊いて居た。アハセもしくはオカズといふ副食物も、大体に手数のかゝらぬ物をきめて、いつも同じ様な献立をくりかへして居た。是に反して時折〈トキオリ〉と称する節〈セチ〉の日には、必ずシナガハリを拵へ〈コシラエ〉て食つたので、カハリモノは通例皆多分の準備を要するものであつた。女が当然に其役目をつとめる。家に女性の重んぜられた理由の、最も大いなるものは晴の食物の生産と分配にあつた。酒の歴史に於ては此点が既に認められて居るが、餅や団子に就いても女の機能は同じであつた。
 是を説明するには一通りハタキモノの沿革、即ち臼の歴史を叙述しなければならぬ。神代の記録の中にも、既に葬式の日に舂女〈ツキメ〉が働いたことが見えて居るが、その風は今でも田舎には尚残つて居る。独り突如として起つた死喫の場合のみならず、予て〈カネテ〉定まつて〈キマッテ〉居る祭典祝賀のすべての日にも、元は是に先だつて臼の仕事があり、其臼はすべて手杵であつた。(碾磑〈テンガイ〉の輸入は可なり古いけれども、其用途は薬品香料の如き、微細なものに眼られて居たやうである)。吉事の支度には三本杵が用ゐられた。即ち三人の女性が是に参与したので、臼に伴なふ古来の民謡は、何れもこの手杵の操作を其間拍子〈マビョウシ〉に用ゐて居る。其臼には大小の種類があつて、米麦でいふならば粗搗【あらづ】きから精白を経て、是を粉にしてしまふ迄、以前は悉く搗き臼の作業であつた。籾摺り臼の普及は一般に新らしいことであるが、製粉の方だけは土地によつて、百年以上も前から石碓〈イシウス〉をまはして挽いて居た。しかし是も亦曽つては皆はたいて粉にして居たことは炒粉【いりこ】をハツタイと謂ふたゞ一つの語からでも判る。さうして限在もまだ辺隅の地に於ては、其方法が持続して居るのである。
 臼で穀物を粉にする方法は、昔から三通りあつたやうである。其中でも最も面倒なのは、今の製粉工業の如く生のまゝで粉にはたくことであつた。他の二つは是に比べると共に遥かに簡便なもの、即ち炒つて脆く〈モロク〉して之を搗き砕くのと、今一つは水に浸して柔らげて押し潰すものとであつた。米にも東北ではシラゴメと称して、妙つてはたいて食ふものがある。津軽秋田等のシラゴメは、八月十五夜の祭の正式の供物で、或は女には食ふことを許さぬ土地さへある。大豆の炒粉〈イリコ〉はキナコと謂つて今も普通であるが、是には今一つの水浸けの法も行はれて居る。炒り搗きを主とするのは麦類が多かつた。是は他の方法の殊に施し難いのと、今一つには斯うして食ふのが最も旨かつたからであらう。色々の名称があるが、コガシといふ語は最も弘く行はれ、又夙く〈ハヤク〉新撰犬筑波集〈シンセンイヌツクバシュウ〉にも見えて居る。是を訛つて大和ではコバシ、土佐ではトガシとも謂つて居る。東京附近のコウセンは、香煎との混同だと思つて居る人も多いが、或は亦コガシの転じたものかも知れぬ。以前の標準語でオチリ又はオチラシと謂つたのは、此粉のこぼれ易い所から出た名で、乃ち又粉のまゝで食ふ食物なることを語つて居る。
 此以外にやゝ珍らしい一例は、淡路でワカトと称する正月八日の晴の食物で、是は米と大豆とを交ぜて炒つたものを、挽いて粉にして神にも供へて居る。他ではあまり聞いたことは無いが、現在オイリと称して雛の節供などに、豆と米粒と霰餅〈アラレモチ〉とを併せて炒つたのを食ふのが是に近く、たゞ一方では臼の役目を、めいめいの臼歯に委譲したゞけの相違である。それから考へて行くと、滋賀県北部などで麦の炒粉〈イリコ〉をカミコと謂ふのと、飛騨で焼米をカミゴメといふのと、二つの言葉の似て居るのは偶然で無く、双方共に以前は儀式の食物であつたことが推察せられる。記録の側でも焼米の出現は古い。はたいて是を粉にする風習は、是に次いで起つたものであらう。〈7~9ページ〉【以下、次回】

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