◎非農業民を狙っていたわけではない(網野善彦)
『文藝』「日本論特集号」(季刊秋季号、一九八七年八月)から、対談・吉本隆明×網野善彦「歴史としての天皇制」を紹介している。本日は、その八回目。文中、(……)は、引用の際、省略した箇所を示す。
網野 勉強の経緯からいえば、たしかに異類異形とか、非農業民について、まず天皇との関係がわかってきた。しかしそれだけでは天皇制を支えてきたものはわからない、ということでいまは、公民、平民について考えてみようと思っているわけです。吉本さんがおっしゃったほど深刻ではなかったとしても僕自身も戦争中、天皇に対して何の否定感も持っていなかった。「海ゆかば」が歌われると、いまだって、昔オーッとなったような感じを思い出すことだって起るんですよ。そういうことが自分のなかにもありますからね。それがやはり、僕の一つの出発点だから、どこにいても同じことをやったと思うとさきほどいったんです。
そのことを考えるのには公民、一般平民の問題も考えなくてはならない。「公」を支えつづけているのはなんだろうということは、僕の絶えざる疑問であることは確かなんですね。ただこれもたまたま漁村を勉強していたこともあって、それから戦後歴史学のあり方に対する引っかかりをある時期から持ちつづけていたものですから、最初、非農業民を集中的に考えてみる結果になった。これも偶然、鋳物師の史料にめぐりあったのがキッカケで、なにも戦略的にはじめたわけではない。これからも非農業民の勉強はずつと続けていくつもりですけれども、もちろんそれだけではなくて、常民と通常言われている人々――それをさきほどは自由民と言いましたけれども、これも勉強したい。結局は両方から押していかないとだめだと思っているんですよ。
何を答えているのかわからなくなったけれど、ともかく最初から中世や非農業民を戦略的に狙ってやったなんていうことは、ぜんぜんないんです。
吉本 でもおありになるんじゃないでしょうか。たいてい天皇制論でも歴史的な政治権力論でも農本的な基盤をもとにして考察されているという主な流れがあって、『異形の王権』みたいに、非農民的なものを基盤にした王権を掘り出すというのは、やはり網野さんの、非農民考察のモチーフがおありだったんじゃないでしょうか。
網野 それも偶然なんで、たまたま日本常民文化研究所に入って漁業の勉強をしたということと、鋳物師のことを知ったのが契機でしかないんです。ただ漁業のことをやっていると、否応なしに、そうなっていくところはありますね。第一、漁業研究は一九五〇年代以後無視されつづけていましたのでね。いま吉本さんがおっしゃったとおり、そのころ皆さんが農業や農民だけをやっていらっしゃるから、非農業のほうを、もっとやりたいという気持は強く持っていたことは事実です。かと言って戦略的にそっちから、はじめたなんて、そんなカッコイイものじゃない。たまたま執拗にこだわっているうちに、少し道がひらけたという感じがしてきたという程度なんですから。
川村 吉本さんもお生まれとか環境とか、舟とか漁具とか海とかにまんざら関係がないわけでもないと思うんですが、そのあたりはどうなんでしょうか。
吉本 僕はモチーフという意味では、さっき言いました天皇制以前みたいなものを掘ればというモチーフ以外にはないのです。それは明瞭なモチーフで、戦後の課題、自分の課題だというふうにしてありました。それ以外にはあまりないんです。いまも被差別部落の問題はいろいろあるでしょうが、それも農民のほうが多いんです。農民でない者よりもね。ただ天皇制という問題は、ちょっと戦後どうしようもなくのしかかって、こんなものは過ぎたという観点は、敗戦直後からあったわけでしょうが、僕はそう思えなくてずいぶんこだわってきたように思います。
はじめは沖縄というのを見ていけば、必ずこのモチーフは遂げられるみたいに思っていたんです。でも一時期すこぶる怪しくなりました。どう自分が考えかたを変えていったかは、それなりに経緯はあるんです。
沖縄の沖縄研究者は、伊波普猷〈イバフユウ〉からずっと俺たちだって日本人だばかりを言いたいわけなんです。つまり九州にいた人が、枝分かれして、そっちへ行ったんだみたいなことばかり言いたがるんです。そんなことを言われても僕らのモチーフはぜんぜん立つ瀬がないぜというわけです(笑)。
やっと、このごろそうじゃないんだ沖縄とアイヌの問題は同一性の問題として追及できるところがあるんだよという印象を持てるようになりました。沖縄学は、本土の沖縄学と、沖縄の人の沖縄学とがあるわけで、地元の沖縄学は、潜在的なモチーフはそれが多いんです。(……)【以下、次回】
吉本隆明・網野善彦対談の紹介も、すでに八回目となったが、ここまでで、ようやく半分といったところである。今さら、やめるわけにもいかないので、このまま紹介を続ける。
なお、吉本隆明・網野善彦の両人が、意気投合してゆく様子が感じとれるのは、このあとの「後半部」である。
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