礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

国策を否定した危険なヘイトスピーチ

2014-12-16 07:46:08 | コラムと名言

◎国策を否定した危険なヘイトスピーチ

 昨日の続きである。クルト・コフカ著、平野直人・八田眞穂訳『発達心理学入門』(前田書房、一九四四)の「後記」の中に、次のような一節があった。

 大東亜戦争は、これをはつきり言へば、有色人種対白色人種の争闘であると云ふことが出来る。白人の云ふ如く、果して有色人種が彼等より劣つてゐるものであるならば、この戦争の帰趨〈キスウ〉は既に見えてゐると言つてよいであらう。しかし吾々はさうは思はない。人類学的に見て、人種学的に見て、果たまた〈ハタマタ〉心理学的に見て、吾等日本人が白人如きに劣つてゐるとは断じて考へられないのだ。彼等はこの地球上から日本人の影を消してしまふ、と豪語してゐる。それならばよし、吾等も彼等をして地球上より消滅せしむるであらう。白人の一人も居なくなつたこの地球上は、何とさばさばとした住み心地のよいものとなるであらうか、考へただけでも楽しいではないか。

 まさにヘイトスピーチである。訳者らのこの主張には、誰にでも気づく難点がある。それは、この「後記」が書かれた一九四三年(昭和一八)三月の段階で、大日本帝国は、ドイツおよびイタリアを同盟国としていたという事実である(イタリアの降伏は、同年九月)。
 日米開戦直後、大政翼賛会は、「進め一億 火の玉だ/屠れ〈ホフレ〉米英 われらの敵だ」というスローガンを発表した。その後、「鬼畜米英」という流行語も生まれた。しかし、当時、憎悪(ヘイト)すべき対象は、あくまでも「米英」であって、「白人」一般ではなかった。ということは、この「後記」は、当時の国策を否定する、きわめて危険な主張であったということになる。
 なぜ、訳者らは、このことに気づかなかったのか。なぜ、検閲担当者は、これを問題にしなかったのか。

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心理学者のレヴィンとコフカはユダヤ系

2014-12-15 06:04:17 | コラムと名言

◎心理学者のレヴィンとコフカはユダヤ系

 今月一二日に、クルト・コフカ著、平野直人・八田眞穂訳『発達心理学入門』(前田書房、一九四四)の「後記」を紹介した。
 その中に、次のような一節があった。

 くやしい話だが、一番最初に述べた如く、現在の日本には真の心理学者が非常に少い。そこでそれ白人の科学取り上げなる手段をめぐらして、現代心理学の巨星の一人クルト・コフカの著書を槍玉にあげたのである。由来日本人は清濁併せ呑む国民と言はれてゐる。現在は濁は必要ない故こいつは遠慮なく吐き出して、清だけすゝり込めばよい。本書もその清としてかまふことはないから、腹一杯がぶ呑みをしてかまはない。どうせ相手は先が長くないのだから、早くやらねば損である。
 先に述べた心理学の三巨星とは、ケーラー(Wolfgang Köhler)レヴイン(Kurt Lewin)及びこのコフカ(Kurt Koffka)である。三人共以前はドイツの禄を喰んだ〈ハンダ〉身でありながら、現在では怨敵アメリカヘ寝返りを打つた奴輩〈ヤツラ〉であるから、どうせ皆ルーズベルトと共にこゝ三年の命しかないあわれな連中だ。こうなると巨星も虚勢に通ずるから妙である。

 ここで、訳者のいう「心理学の三巨星」のうち、クルト・レヴインとクルト・コフカの二人は、ユダヤ系とされている。彼らが、もしそのまま、ドイツにいたら、間違いなく、「絶滅」の対象となったであろう。その危険性を察したからこそ、アメリカに脱出したのである。すなわち、彼らは、「怨敵アメリカヘ寝返りを打つた」わけではない。これは、同じくユダヤ系であった、精神分析学の創始者・フロイトの場合についても言えることである。
 おそらく、訳者の平野直人・八田眞穂は、こうした事実を知っていたと思う。にもかかわらず、「怨敵アメリカヘ寝返りを打つた奴輩」というふうに書く。先学に対して、ひとかけらの敬意もない。また、つとめて虚偽を排するという、学問に携わる者として守るべき最低限の心得すら見られない。今さら、言っても仕方がないことだが、一言、コメントしておきたい。

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伊藤尚賢とその娘・伊藤克

2014-12-14 04:21:15 | コラムと名言

◎伊藤尚賢とその娘・伊藤克

 今月の一〇日に、伊藤尚賢という医学系のジャーナリストの編著書、計七九冊を紹介したところ、伊藤尚賢のお孫さんを名乗られる方から、再びコメントをいただいた。
 まず、これを紹介させていただきたい。

 コメントをさっそく取り上げて下さいまして、ありがとうございます。
 10年ぶりで尚賢の名をネットで検索したところ、こちらのブログに行き当たりました。祖父に関心を持って下さる方がいらしたこと、そしてそれが礫川さまであったことに驚き、また大層嬉しくもありました。ちょうど、御著「サンカと三角寛」を再読しようと思っていたところだったからです。
 先日書き込んだことに、余分ながらいささか追記を致します。
 名前の読みは父が「尚賢(しょうけん)」と書いていますので、本人がそう名乗っていたのだと思いますが、それが本来の読みであったかどうか。
 父の姉の誰かの手になる「我が父病床の記」というものが残っていたそうで、「(27日)午后5時25分死亡す。丹毒に敗血症を併発す。行年53才。」そして父は<後日譚>として次のように記しています。「杉本医師は…ドイツに留学したのかどうか知らないが、ドクトル・メジチーネという肩書きをもっていた。…父の死のことで医者たちが騒ぎ出し、誰かが告発したのか、子供だったのでよく分からないが、裁判沙汰になったらしく、その時は母杉本氏を庇い、結局杉本氏は何の処分も受けなかった。」
 次はまったくの蛇足となりますが、お許しください。
 尚賢の娘で父のすぐ上の姉伊藤克は、日本文学を中国に、中国文学を日本に紹介した翻訳者でした。その自伝「悲しみの海を越えて」(講談社、絶版)から紙数の都合で割愛された部分が、その死後娘の手で中国で出版されております。そこに大塚の医院の様子などが描写されているようなのですが、本は手元にありますものの、何分にも中国語なので、私には漢字を拾い読みして想像することしか出来ません。
 さて、昨日以上の文を書き込もうとしたところ、パソコンがトラブルを起こし、書き込むことが出来ませんでした。本日改めてブログを拝見したところ、祖父の膨大な著書目録が出ていて、またまたびっくり致しました。
 父は戦時中仙台に疎開しておりましたが、新婚の母とともに一時東京に戻り、父親の著作を荷造りしては疎開先に送り出したと聞いております。そのようにして避難させた書籍類も、今ではどれだけ家に残っておりますことか。
 以上長々と失礼致しました。

 伊藤克〈イトウ・カツ〉さんという翻訳家のことは、存じ上げなかった。この方が、伊藤尚賢さんの娘さんであることも、もちろん初めてうかがった次第である。国立国会図書館のデータを、この名前で検索すると、計二五件がヒットし、うち二四件が翻訳書、一件が著書である。その一件の著書が、『悲しみの海を越えて』(講談社、一九八二)である。同データによれば、生没年は、一八九五~一九八六となっている。
 もし、「尚賢の孫」様が、ブログなどを持っていらっしゃるようでしたら、お父上の書き残された手記、「父の姉」の手になる「我が父病床の記」、伊藤克さんの『悲しみの海を越えて』で割愛された箇所、あるいは今日残っている伊藤尚賢さんの蔵書、などを紹介していただけたらと思う。

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コフカ『発達心理学入門』の戦後版

2014-12-13 05:44:09 | コラムと名言

◎コフカ『発達心理学入門』の戦後版

 気になることがあって、昨日、国立国会図書館におもむいた。国会図書館のデータによれば、クルト・コフカ著、平野直人・八田眞穂訳『発達心理学入門』には、一九四六年(昭和二一)に出た「再版」があるという。これが気になったのである。
 さっそく閲覧してみた。閲覧といっても現物は出てこない。モニターの画面上で見るだけだが、たしかに同書には、戦後に出た「再版」が存在した。「昭和二十一年五月二十日再版発行」、発行所は前田出版社である。
 となると、妙なことだが、同書には、ふたつの「再版」が存在することになる。一九四三年一〇月二〇日に発行された再版、および一九四六年五月二〇日に発行に発行された再版である。
 当然、両者の間には、相違がある。この相違を整理してみよう。

・戦中の再版には、本扉の前に、「本書を、大東亜戦争の真の功労者である/日本の母へ/捧ぐ 著者」という献辞があるが、戦後の再版には、これがない。
・戦中の再版には、本扉をめくったところに、著者・コフカの肖像があり、その裏には、訳者の平野直人、および八田眞穂の肖像があるが、戦後の再版には、これらがない。
・戦中の再版には、刊末に「後記」五ページ分があるが、戦後の再版には、これがない。
・戦中の再版には、「後記」のあとに、「参考文献」二ページ分があるが、戦後の再版には、これがない。
・戦中の再版の発行所は、前田書房(東京市小石川区柳町二二)、戦後の再版の発行所は前田出版社(東京都神田区神保町一ノ五三)。ただし、発行者は、どちらも前田豊秀。
・戦中の再版の定価は、三円五〇銭。特別行為税相当額一〇銭を合わせ、三円六〇銭。戦後の再版の定価は、二五円(税共)。
・戦中の再版は、奥付のあと、白ページが三ページあるが、戦後の再版は、奥付のあと、新刊広告のページが三ページ続く。

 戦後になって、『発達心理学入門』を「再版」しようとしたのは、誰の発案だったのだろうか。同書が翻訳書として一定の水準に達しており、また、読者からの需要もあるということであれば、増刷を躊躇する理由はない。ただし、これを三版とせずに、再版としたのは、何か理由があったのだろうか。なぜ正直に、「三版」としなかったのだろうか。
 また、一言の断りもなく、「後記」を削ったのは、いかがなものか。敗戦後の状況において、公表できるような内容のものでなかったことはわかる。それにしても、何か一言、釈明なり反省なりがあってしかるべきだったのではないか。ちなみに、昨日、国会図書館で確認したが、この「後記」は、初版の段階から付されていたものであった。
 平野直人、あるいは八田眞穂という人がどういう人だったのか知らない。しかし、国立国会図書館のデータで見るかぎり、この『発達心理学入門』という翻訳書以外に、著書・論文等はないようだ。あるいは、この「後記」が災いし、学者としての道を断念せざるをえなくなったのか。このあたりの事情について、情報をお持ちの方のご教示を俟つ。
「後記」の最後のほうに、「原書をお貸し下さつた松村康平氏に御礼を申上げねばならぬ」とある。この「松村康平氏」というのは、おそらく、東京帝大の心理学科を出て、お茶の水大学教授などを歴任した、教育学者の松村康平(一九九七~二〇〇三)のことであろう。もし、平野直人、八田眞穂の二人が、この翻訳書を出さなかったとしたら、あるいはその翻訳書に、過激な「後記」を付さなかったとしたら、この二人は、戦後、松村康平のように、学者としての道を歩み、多くの学問的業績を残した可能性があったと思う。
「後記」については、なお、コメントしたいこと、コメントしておくべきことがあるが、明日は話題を変える。

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昭和18年(1943)のヘイトスピーチ

2014-12-12 05:14:43 | コラムと名言

◎昭和18年(1943)のヘイトスピーチ
 
 本年一〇月二五日は、「東京名物・神田古本祭り」の初日だった。この日、古書会館で、計三冊を買い求めた。そのうちの一冊、仲村研『山国隊』(学生社、一九六八)については、同月二七日のコラム「『宮さん宮さん』と丹波山国隊歌」のなかで言及した。
 あとの二冊というのは、クルト・コフカ著、平野直人・八田眞穂訳『発達心理学入門』(前田書房、一九四四)、および矢部貞治『デモクラシーとは?』(日本放送出版協会、一九四六)である。古書価は、それぞれ、三〇〇円、二〇〇円だったと記憶する。
 本日は、このうち、『発達心理学入門』について紹介したい。実は、この本で最も注目すべきは、その本文ではなく、「後記」である。
 戦中における言論家、文化人の発言には勇ましいものが多いが、この本の「後記」は、それが特に極端である。このことは、心理学に関心を持つ知人から、かつて聞かされたことがあった。そのことを聞いていたからこそ、この本を買い求めたのである。なお、私が入手したのは、一九四三年一〇月二〇日発行の「再版」である(初版は、同年六月二〇日発行)。
 とにかく、同書の「後記」を引用してみたい。

 後 記
 心理と云ふ言葉が今日位多く使はれてゐる時代は、日本の歴史の何処〈ドコ〉を探しても無いであらうし、又今日位多くの心理学書が出版された事もないであらう。
 しかし、心理々々とわめきちらしてゐる人々が、果して正確にその言葉の意味を知つてゐるかどうか、と云ふ点になると、いさゝかうら淋しいものがある。と同様に、汗牛充棟もたゞならぬ心理学の本の中で、科学的に見て正しい心理学書が何冊あるであらうか。その数を数ヘてみて十指に満たぬのに驚く人も多いであらう。
 大東亜戦争は、これをはつきり言へば、有色人種対白色人種の争闘であると云ふことが出来る。白人の云ふ如く、果して有色人種が彼等より劣つてゐるものであるならば、この戦争の帰趨〈キスウ〉は既に見えてゐると言つてよいであらう。しかし吾々はさうは思はない。人類学的に見て、人種学的に見て、果たまた〈ハタマタ〉心理学的に見て、吾等日本人が白人如きに劣つてゐるとは断じて考へられないのだ。彼等はこの地球上から日本人の影を消してしまふ、と豪語してゐる。それならばよし、吾等も彼等をして地球上より消滅せしむるであらう。白人の一人も居なくなつたこの地球上は、何とさばさばとした住み心地のよいものとなるであらうか、考へただけでも楽しいではないか。
 さて、白人が一人もこの地球上に居る必要がないにしても、彼等が創造した科学だけは此方〈コッチ〉へ取り上げねばならない。それでなくては、数百年もの間彼等を此の地球上にたゞ住まはせた事になるではないか。家を借りても家賃が要るのに、地球を貸しておいたのにたゞといふべらぼうな話はない。
 と考へて、本書の訳述は起稿されたのである。くやしい話だが、一番最初に述べた如く、現在の日本には真の心理学者が非常に少い。そこでそれ白人の科学取り上げなる手段をめぐらして、現代心理学の巨星の一人クルト・コフカの著書を槍玉にあげたのである。由来日本人は清濁併せ呑む国民と言はれてゐる。現在は濁は必要ない故こいつは遠慮なく吐き出して、清だけすゝり込めばよい。本書もその清としてかまふことはないから、腹一杯がぶ呑みをしてかまはない。どうせ相手は先が長くないのだから、早くやらねば損である。
 先に述べた心理学の三巨星とは、ケーラー(Wolfgang Köhler)レヴイン(Kurt Lewin)及びこのコフカ(Kurt Koffka)である。三人共以前はドイツの禄を喰んだ〈ハンダ〉身でありながら、現在では怨敵アメリカヘ寝返りを打つた奴輩〈ヤツラ〉であるから、どうせ皆ルーズベルトと共にこゝ三年の命しかないあわれな連中だ。こうなると巨星も虚勢に通ずるから妙である。
 本書の原書は、“The Growth of the Mind”と云ひ、原著のドイツ語版に増補改訂を加へた英訳で、参考文献としてはこの英訳の方が選ばれ、ドイツ語版は今では価値なきものとされてゐる。
 武力戦には勿論勝たねばならぬ。と同様に科学に於ても絶対に勝たねばならぬ。その意味に於て、数少き心理学書の一〈ヒトツ〉として本書を世に送る事が出来るのは訳者望外の喜びである。本書により、あまりにも心理々々とわめき散らされた為に、頭が混乱してしまつて、何が何やら判らなくなつてゐる人々に、少しでもその正確な意味が判つてもらへたら、本書の訳述の目的は達せられたのである。又本書が、第二国民の養成上少しでも役立つならば、これぞ敵の武器を刹用して敵を制し得たものとして、訳者は逆立ち〈サカダチ〉でもせねばおつつかない事になる。
 少し与太〈ヨタ〉をも並べたが、以上の事は決して冗談事ではない。原書の難解な言ひ廻しを、如何にしたら易しい日本語に直せるか、と云ふ事は訳者の最も苦心した処で、原著者の序文にも見られる如く、原書はもともと教師及び専門家の為に書かれたものであるのを、本書は一般的に、又解読的に翻訳したものであつて、ごく読み易く書いたつもりである。しかしそれだからと云つて、原文にある語句を一字一句も除いた処はない。原文と参照して読まれても決してそんな個処〈カショ〉はないから、もし専門家の人で原書を御持ちの方はどうぞ対照して御読み下さる様におすゝめしておく。
 本書の発行に当りて、原書をお貸し下さつた松村康平氏に御礼を申上げねばならぬ。氏は先年九月名誉あるお召しを受けて、今ば何処の戦場にゐられる事か、氏の応召以前に於ける種々なる御指示は如何に吾々を勇気づげはげまして呉れた事か。はるかに氏の武運長久を祈る。まだまだ御礼を申上げねばならぬ方々は多々あるが、こゝには述べきれないから略させていたゞく事にするが、本書は決して吾々のみの微力で出来上つたものではなく、多くの方々の御尽力により出来上つたものである事は云ふ迄もない事である。
 昭和十八年三月    平野直人/八田眞穂 記

 以上が、「後記」の全文である。憎悪(hate)の対象は異なるが、今日におけるヘイトスピーチに通ずるものがある。【この話、続く】

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