そのときの僕にとって、それは衝撃的な光景でした。
火事の跡地に花束を携えて訪れる二人の女性。
彼女らの嗚咽する声は離れていた僕の耳にも届きました。
場所は神戸。
時は1995年の春。
震災が起こってからまだそう時間が経っていない頃です。
8歳だった僕は死について深く考えたことなどありませんでした。
だから、亡くなった人を悼んで泣いているんだな、とは分かっても、
その重みまでは察することは出来ませんでした。
父がボランティアするんだと息巻いて
入れ歯の治療などをしに行くことが何度かありました。
僕もそれについていき、被災して間もない神戸を訪れたことがあります。
そのとき、その光景を見たわけです。
普通に考えれば足手まといにしかならないはずですが、
なんで父は僕を連れて行ったのかな…。
実際、自分がしたことといえば、
何かの薬品の瓶をひっくり返して、現場から追い出されたことくらい。
後はせいぜい、仮設住宅のおばあちゃんと話をしたくらい…かなぁ。
今朝の新聞に、仮設住宅に住む人の高齢化が進んでいるとか
来客がなく寂しい生活を送っているといった内容の記事がありました。
そのときに神戸で知り合い、
以後毎年うちに年賀状を送ってくれるおばあちゃんがいます。
それが、今年、行き先不明でこちら(父)が出した年賀状が帰ってきました。
役所に問い合わせてみると言っていましたが…どうなったのか…。
無償で診療活動を行うことについて、現地の歯科医とかなりもめたと後で聞きました。
父は正義は自分にあるといわんばかりに相手の非難をしていましたが、
僕にはその現地の歯科医の気持ちも分かります。
やっぱりその人だって震災で打撃を受けているんですから。
遠くない将来に起こるといわれている南海地震。
実家の寝室にある箪笥が倒れたらそばに寝ている家族は即死だから、
この正月の帰省で自分が対処しておこうと思ったのに、すっかり忘れてしました。
岡山に戻る前に思い出して念押ししておいたけど…まだ何もしてないだろうな…。
被災しても誰も救いの手を差し伸べてくれないほど冷たい世の中ではありませんが、
できることなら少しでも被害を小さくとどめられるように何かしておくべきだと思います。
火事の跡地に花束を携えて訪れる二人の女性。
彼女らの嗚咽する声は離れていた僕の耳にも届きました。
場所は神戸。
時は1995年の春。
震災が起こってからまだそう時間が経っていない頃です。
8歳だった僕は死について深く考えたことなどありませんでした。
だから、亡くなった人を悼んで泣いているんだな、とは分かっても、
その重みまでは察することは出来ませんでした。
父がボランティアするんだと息巻いて
入れ歯の治療などをしに行くことが何度かありました。
僕もそれについていき、被災して間もない神戸を訪れたことがあります。
そのとき、その光景を見たわけです。
普通に考えれば足手まといにしかならないはずですが、
なんで父は僕を連れて行ったのかな…。
実際、自分がしたことといえば、
何かの薬品の瓶をひっくり返して、現場から追い出されたことくらい。
後はせいぜい、仮設住宅のおばあちゃんと話をしたくらい…かなぁ。
今朝の新聞に、仮設住宅に住む人の高齢化が進んでいるとか
来客がなく寂しい生活を送っているといった内容の記事がありました。
そのときに神戸で知り合い、
以後毎年うちに年賀状を送ってくれるおばあちゃんがいます。
それが、今年、行き先不明でこちら(父)が出した年賀状が帰ってきました。
役所に問い合わせてみると言っていましたが…どうなったのか…。
無償で診療活動を行うことについて、現地の歯科医とかなりもめたと後で聞きました。
父は正義は自分にあるといわんばかりに相手の非難をしていましたが、
僕にはその現地の歯科医の気持ちも分かります。
やっぱりその人だって震災で打撃を受けているんですから。
遠くない将来に起こるといわれている南海地震。
実家の寝室にある箪笥が倒れたらそばに寝ている家族は即死だから、
この正月の帰省で自分が対処しておこうと思ったのに、すっかり忘れてしました。
岡山に戻る前に思い出して念押ししておいたけど…まだ何もしてないだろうな…。
被災しても誰も救いの手を差し伸べてくれないほど冷たい世の中ではありませんが、
できることなら少しでも被害を小さくとどめられるように何かしておくべきだと思います。