風吹く豆腐屋

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目的

2008-06-02 00:39:09 | Weblog
欧米は罪の文化だが、日本は恥の文化であるって言ったのは誰でしたっけ。

確かに日本人は世間体をかなり気にするし、
見られていなければ何をしてもいいという隠蔽体質も未だに強いと思います。
そして自分自身の中にも、そういう意識が根を張り巡らせているのを常に感じます。


だけど、罪に思う意識だって、外国人のそれと比べれば弱いかもしれないけれど、確実にありますよね。

僕はその意識が強く、恥と同程度の非建設的な罪の意識にいつも苛まれています。
非建設的、って付けざるをえないところがどうしようもないですが。

罪の意識も溜め込むと「慣れ」みたいなのが生じてくるんです。
堕落した自分への失望とともに、それを許容しようとする防衛機制が働くんです。
すると後負荷が下がって、新たな罪が生まれやすくなるという。

・・・人の堕落の負の連鎖(笑)

きれいなところは汚したくないが、
汚い場所なら平気でポイ捨てする日本人の心理が滲み出ていますね。


そういうことを考えると、
罪を告白する存在がある宗教というのは実に機能的だなと思いました。
罪は、一方的に溜め込むものではなく、告白によって処理されるもの。
不必要な「慣れ」を防ぐ働きがありそうです。

さっきの例えで言うと、それは掃除する作業に当たるのかな。



「神は人を造ったのではない、人に造られたのだ」


最近本でであった言葉ですが、穿った意見だと思いました。
人は、自らのためにありもしない神を規定した、と―。




まぁ、そんなことはさておいて。

実家がまたどたばたしています。

「ナルコーシスって分かるか?」「うん、習った」

なんて会話は家族とはしたくないもんだとしみじみ思いました。



せめて自分くらいは親に迷惑や心配かけないように生きなければならないと感じました。

自分のために頑張ることができない性分なので、
今ちゃんと勉強して早く自立することが最大の親孝行になるんだ


・・・と思えばちゃんと学校行けるかな(ぁ