風吹く豆腐屋

内容はいろいろ。不定期更新中。

2008-06-04 03:41:28 | Weblog
死ぬっていうのはどういうことなんでしょうね。


生きているものは全て、死ぬ・・・これは否定しようのない真理。

そして、皆がかならずたどり着く行く先なのに、
その先に何があるのか誰も知らないという、絶対的な恐怖の対象となるもの。



まだ小さかった頃、死ぬことが不意に恐ろしくなって
一晩泣きつづけた夜がありました。

今思えば、子供だなーと笑ってしまうようなエピソードですが、
死に対する認識はあの頃も今も何も変わっていません。




星新一のショートショートに、死んだ人と連絡が取れる機械の話があります。


ある人が死んだ人と通話できる機械を発明しました。
その機械を通せば、「あの世」にいる死者と話が出来ます。

死んだ人は異口同音に「あの世」を絶賛します。

「肉体なんて窮屈なものに縛られているなんて、生きている人はかわいそうだ。
死後の世界がこんなにも快適だと知っていればもっと早く死んだものを・・・」

人々はその機械に殺到し、信頼できる故人を呼び出して確認しては自殺しました。
その機械の前には累々たる屍の山が出来ました。

そうして、世界規模で人類の自殺が流行しました。


しかし、人類は「滅亡」しませんでした。
その機械を使っても尚、なぜか死のうと思わない少数の人たちが、新しい世界を築いたから。




ブラックユーモアの効いた話です。

僕の記憶違いもありそうなので、興味がある人は探して読んでみてください。
新潮文庫の「ボッコちゃん」にあった「殉教」という話です。

まぁ、読んだことある人も多いですよね?



そんな星新一も既に故人。

その機械が発明されたら、
真っ先に「あの世」について教えてくれるかもしれません。


しかし、その機械が発明され、

「あの世は本当にひどいところだ。生きていた頃に戻りたい・・・」

なんて死者が口をそろえていったら、どんな世の中になるでしょうね?


とりあえず確かなのは、今の世の中では
大抵の人は死後のことなど分からないから生に執着している、ということ。


間近に差し迫った「死」を感じたとき、何を思うか・・・


やはり僕の死に対する認識はあまりに浅かったと今更になって思うわけです。
結局、人の痛みは人の痛みでしかなかったのかという・・・