風吹く豆腐屋

内容はいろいろ。不定期更新中。

今日は簡単に

2008-06-26 23:36:35 | Weblog
●血抜きすぎ

成分献血がしばらくの間できなくなりました。
献血が習慣化している自分にとってはちょっと悲しいです。

普通なら成分献血は2週間おきに可能なんですが、
「半年に何回以内」という制約もあるそうです。
どうやら、その限界回数に達してしまったらしく―。

短期間に造血能を酷使しすぎるとやっぱり弊害が出てくるもんなんだろうか。
自分の寿命と引き換えに社会奉仕っていうのも個人的には燃えるけど・・・。


●紹介文

Jリーが書いてくれのたで、mixiの紹介文が11件になりました。
マイミクの数の割りには多いほうだと思います。ちょっと嬉しい。

あれも実は時々変更されてるんですよね。
例えば、ナタリーさんからの紹介文。
以前あった「真面目」「熱い」という内容は最近訂正されました(笑

書いてもらった人にはこちらからも書くべきだとは思っているんですが、
一体僕はその人の何を知っているんだろうと考え始めると書けなくなる・・・

紹介文のお返しがまだの人、数にして7人。
なんかすみません・・・いずれ・・・。


・・・ところで、「もへみあ」って何?


●塾の生徒に逃げられた

春から受け持っていた高3の男の子が来週を最後にやめると言ってきたそうです。

僕の指導がまずかったか・・・
確かにこの前受けたセンター模試の結果、壊滅的だったしな…

色々反省しましたが、
なんてことはなく、ただ単に推薦枠で私立大学へ行けることになったからだとか。

やめる理由が自分にあったわけではないのでとりあえずほっとしましたが、
今度は心配になってきました。
その数学力で経済学部って・・・苦労するのが目に見えてる・・・

それにしても、人が受けた試験の結果を見てショックを受けるというのも変な感覚です。

影響

2008-06-26 01:22:21 | Weblog
ふと思ったんです。

親が子に与える影響って並々ならぬものがあるよな、って。


例えば価値観。
幼少の頃からずっと親の価値観の元で育てられれば、
それがどんなものであっても刷り込まれてしまうと思います。
その価値観が自分自身のものなのか、親によって植え付けられたものなのか、
そう簡単に区別することは出来ませんよね。


親に限る話ではありません。

例えば、自分は小学校だったとき、
「自然の家」(林間学校)でこっぴどく怒られた経験があるんですが、
そのことは確実に自分の人格形成に影響を与えました。


でも、親や学校の先生が知らず知らずのうちに価値観を植えつけていく期間は限られています。
幼児から小学生の高学年、もしくは中学生あたりまででしょうね。
当然、幼ければ幼いほど柔軟に受け入れると思います。

しかし、ある頃からそのことに違和感を覚えるようになります。

それは反抗期の頃。


エディプスコンプレックスの話はもう何度も書いたので繰り返しませんが、
こういう面から来る反発もきっとあるんだろうと思います。


それまでずっと受け入れ続けてきた価値観に疑問を感じるようになり、
一方的に書き込まれた存在でしかない自分を恐れ、
その不安を打ち消すために既に手にした価値観(=親)に反発する。
そして自分独自の価値観を確立しようとする。


僕の反抗期はそんな感じでした。
自分の中に植えつけられてきた親の価値観全てを全否定していたわけです。

価値観を植えつけたのは父だけでなく母もですが
父ばかりにぶつかったのは、まぁ性的な理由によるのかな。


結局、植えつけられた価値観の呪縛は解けませんでした。

父と同様に医学系の道を選び、学生オケに入り、
勉強を真面目にやらずに進級が危うくなるようなところまで同じです。


今でこそ、その植えつけられた価値観に反発はしていませんが、
ちょっと恐ろしく思う時もあります。
僕はどこまで自分の意思で動いているんだ、と・・・。


反抗期の無い人も近年増えているという話ですが、
反抗期って重要だと思うんですよね。

その真っ只中にあるときはその全てを否定しようとするけれど、
それが終わるころには価値観を取捨選択したり、アレンジしたりできるから。
あえて一度全否定してみることでその自由度がまし、
植えつけられるだけの存在ではなくなります。

価値観のルーツはともかく、自分自身の判断能力は備わってくる時期だから、
それまで受動的に行われていた作業に能動性が加わるわけです。

つまり、反抗期は主体性、能動性を培う絶好の機会だと言えます。



問題になってくるのは、価値観が植えつけられる時期です。

幼い頃植えつけられた価値観は、そのままの形で残ることが多いと思うんです。
やっぱり柔軟で従順なころに手にしただけあって。

三つ子の魂百まで、というのにも納得。



林間学校の経験も、僕の無意識によって選択され、人格形成に取り入れられてしまったようです。

そのとき、怒られたのは枕投げをしていたから。
だけど、僕が特に怒られたのは、
先生が来ると分かったので、その前に片付けさせたこと。
僕は司令塔としての役割をきちっと果たしたのに 笑

ばれなきゃいいっていうのは現代日本の誇る立派な精神だと思いますが、
そのときの経験は効きました。


「ばれなくても悪いことはやっちゃいけない」と学んだのか?

否。

そのときに学んだのは、「悪いことをするなら堂々としろ」ということ。



・・・小学生って素直 笑