およそ10年前、僕まだ高校生だった頃、
ホリエモンについてどう思うか友達とよく議論しました。
当時、彼は「金で買えないものはない」などの過激な発言でメディアに取り上げられていました。
高校生だった僕は、世の中の大多数の人と同じように単に不快に感じていただけですが、
今思えば、彼はあえて耳障りなことを言って人々の注目を集める戦略だったんでしょうね。
それが正しいかどうかなんて、当の本人にすればどうでもいいことだったんでしょう。
友人はホリエモンみたいな生き方をしてみたいと言っていました。
あれだけアンチが多い中、そういう風に思える若い感性って今思えば貴重でした。
あいつが今どういう生活を送っているか全く知りませんが、
そういうみずみずしい感覚を失っていないといいなと思います。
ただ、最近はあの発言にも一理あるなと思うようになりました。
金で買えないものは間違いなくあるけれど、
意外と金で買えてしまうものが多いのもまた事実。
例えばお世辞とかね…笑
星新一の小説には、
子供のころは純粋なのに大人になると賄賂にまみれてしまう登場人物が多数出てきます。
僕もまたそういう道をしっかり歩んでいるんだなと思うことが最近多くなりました。
お金で解決できることがあるという意識が少しずつ強くなってきているのを感じます。
(うちの病院の偉い先生から「俺が若い頃は手切れ金を用意して―」なんて話も最近聞いた 笑)
高校の時に社会で習ったアダム・スミスの「神の見えざる手」を思い出しました。
需要と供給があり、「神の見えざる手」によって最適なポイントに落ち着く。
需要があって、供給がある。
それに見合ったお金が動く。
とてもシンプルな原理ですっきりしています。
ネーミングも素敵 笑
最近の話題で言えば、
政治家が8億の資金提供を受けたことの問題点が僕にはよくわかりません。
使用用途が不明瞭なこと?
額が大きすぎること?
献金パーティがOKでそれがダメな理由って何?
ルールを知らない僕には何がいけないのか分かりません。
お金が動いた。見返りが生じた。それだけの話じゃないですか。
色々考え方は変わったけど、今も間違いないと思っているのは
心を買うことはやっぱりできないということ。
できるという主張はつきつめれば勘違いだと思います。
薄汚れた大人になった僕だけど、まだホリエモンの意見に賛同はできません。
少なくとも心を買うために必要な対価は金ではない。
じゃあ、何なのかと言われるとやっぱり僕にはわからないんだけど。
ホリエモンを見るたびに思い出すあいつ、ほんと今何してるんだろうな・・
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