何かを得るって事は、同時にそれを失う恐怖にも悩まされ続けることになるんだと思う。
そして、
砂場に作った山を手ですくおうとすれば指の間から砂が零れ落ちるように、
何かを得ようとすれば必ず何かを失っているんだろうと思う。
多くの場合、得たものに目を奪われて失うものについて意識することは少ないけれど、
時間が経つなどして得たものを客観的に評価できるようになれば
失ったものにも目を向けられるかもしれない。
得たものと失ったものが等価であることなんてまずない。
等価交換なんて万人が抱きたい幻想にすぎず
実社会でもそんなものがどれだけ実在しているのか疑問だ。
少ない代価で大きなを結果を手に入れられることもあるし
大きな代価を支払ったにも拘らず手にしたものが少ない場合だってある。
同じ商品を買おうとして、他の人には安く売っているのに自分には高く売りつけられえたら不公平だと感じるはず。
そんな理不尽がまかり通るこの世界のどこに等価交換があるというのやら。
(そもそも単一の価値基準で物事を評価しようと言うこと自体無理があると思うけれど。)
砂場に作った山に話を戻す。
零れ落ちた砂の量の多寡は人によって大きく異なるし
一度にすくえる砂の量も人によって全く違う。
でもまぁだからなんだ・・・って言うことないんだけど。
こんなゴールのないことをぐだぐだと考えたこの数日。
そして、
砂場に作った山を手ですくおうとすれば指の間から砂が零れ落ちるように、
何かを得ようとすれば必ず何かを失っているんだろうと思う。
多くの場合、得たものに目を奪われて失うものについて意識することは少ないけれど、
時間が経つなどして得たものを客観的に評価できるようになれば
失ったものにも目を向けられるかもしれない。
得たものと失ったものが等価であることなんてまずない。
等価交換なんて万人が抱きたい幻想にすぎず
実社会でもそんなものがどれだけ実在しているのか疑問だ。
少ない代価で大きなを結果を手に入れられることもあるし
大きな代価を支払ったにも拘らず手にしたものが少ない場合だってある。
同じ商品を買おうとして、他の人には安く売っているのに自分には高く売りつけられえたら不公平だと感じるはず。
そんな理不尽がまかり通るこの世界のどこに等価交換があるというのやら。
(そもそも単一の価値基準で物事を評価しようと言うこと自体無理があると思うけれど。)
砂場に作った山に話を戻す。
零れ落ちた砂の量の多寡は人によって大きく異なるし
一度にすくえる砂の量も人によって全く違う。
でもまぁだからなんだ・・・って言うことないんだけど。
こんなゴールのないことをぐだぐだと考えたこの数日。