機会を放棄するということは

2011-09-02 20:00:12 | 学習塾・勉強の仕方

PC活用(併用)の自立(律)型学習について、これを上手く活用出来ない子のケースについては、実際に教室内で観察してきた結果、概ね共通する理由があるように思えます。 

 

もともと自学の習慣がないから、などといった抽象的なものではありません。 

なぜなら、ここでこれを行う目的がそもそもそういうものが欠けている子を対象にしているからです。 

 

では、何が欠けているのかといえば、それはローマ字の読み書きです。

 

 

これが出来ないばかりに、PCに向かってキーボードを打てない、操作できないという現実に直面してしまい、それだけのことで多くの子がそこから先の可能性をいとも容易く放棄してしまいます。 

 

ローマ字というのは、小学4年生で一通り習うものですが、ここで習うものといえば、日本語の50音が正しく理解できてさえいれば、何も難しいものはありません。

 

ですから、これを理解しないまま中学生になった子が少なからずいるということが信じ難い気もするのですが、でも、そういう子は厳然としています。

 

これは偏にその子の学習態度に問題があったはずですし、ひいてはその子の家庭において、本来大人が注いでおくべきであった注意が欠けていたことを意味しますよね。

 

これはもう、誰がなんと言っても、この二つしか「ローマ字が分からない」という理由はありません。

 

そして、ここが少し厄介なのですが、そういう子の多くが、得てして自分がローマ字を使えない事実を隠すか、或いは他に理屈を引っ張ってきて問題のすり替えを行ったりもします。

 

そして、決定的な問題が、家庭内において、親がその嘘や言い逃れや屁理屈を鵜呑みにしてしまうという現実にあります。

 

考えてみるまでもなく、「ローマ字を理解していない」という事実は、当の本人がなにをどう言おうと変わりはしないのです。

 

そして、それを乗り越えなければPC一つ操作できないわけで、いまどきこれほど便利で効率的な機器をそんなつまらない理由で遠ざけて頬かむりするということが、どれほど大きな損失であるかを何故もっと重要視しないのかが分かりません。

 

教室内での実例で言えば、この「PCを使ってする自学」(繰り返しますが、これは「指導」ではありません。授業なり指導なりはそれとしてしっかり行った上で行う自立(律)学習のことをここでは言っています)をしたくない、したがらない或る子は、その真の理由は隠して、「一から講師が目の前に座って教えてくれなければ理解できない」などと言ってスポイルし、そしてその親はそれをそのまま鵜呑みにして、結局その時点でその子にとって唯一ともいえる効率的自立(律)学習習慣の根付けの機会を放棄してしまいました。

 

実に勿体無いことであり、しかもその理由が他愛ないことであるが故に、まさに「ほぞをかむ」とはこのことか、という思いがします。

 

 

 

 


 

 

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