学習塾の本分といいますか、存在意義の第一に来るものは、なんと言っても子供たちに対する学習指導ですから、私たちは常にそのための方策をあれやこれや考えながらこれに当たっています。
そういう中、もう随分前から、子供たちの勉強意欲や、そこから来る学習到達度と「挨拶」とに、少なからぬ相関関係があるように思えて仕方ありません。
はっきり言ってしまえば、きちんと挨拶できる子の多くは、学習意欲もそれなりか、またはそれ以上にありますが、そうでない子は、明らかにその反対が多いように見受けられます。
挨拶が出来ない子は、元々の性格的な問題或いは障害などがあってそうであるというケースもあるかもしれませんが、それでも大抵はこちらから辛抱強く挨拶することを続けているうちに、次第にこれが出来るようになることが多いです。
もっと単純に、ご家庭の中でそういう習慣や、いわゆる躾が出来ていない子もいますが、むしろこちらの方が重症のような気がします。
こういう子は、そもそも最も身近な生活集団の単位である家庭の中においてその意味や必要性、もっと言えばマナーや社会生活上あって然るべきものなどに対するこれらの欠如がありますので、外部の者がいくらこれを言ってみても、その場では何とか体裁を保つことは出来たとしても、根本的なところが不完全なままですので、長続きしません。
それはそれで、その子或いはそのご家庭の生活方針なのかもしれず、であるなら他人がどうこう言うことではないかもしれませんが、冒頭書いたように、勉強の仕方やその効果などを考えた場合、その確たる相関関係は別として、私にはこの挨拶と出来不出来との経験的な存在を、これを出口の面から見た場合には、どうしても気になる昨今です。