曹洞宗の修行記を読んで

2022-02-14 20:27:58 | 学習塾・勉強の仕方

私は平均して月に20冊くらい本を読みます。好きな分野はノンフィクションです。最近は、佐佐木吉之助さんの鎌田戦記、バーバラ・ハリスさんの臨死体験など、今読んでいるのは野々村馨さんの「食う寝る座る 永平寺修行記」です。これが結構面白い。

例えば、修行中の身にはとてもきつくて窮屈だろうとしか思えないのですが、曹洞宗の修行というのは、日常のこと全てが修行なのだそうで、食事やトイレなどの所作の一つ一つがそれこそ息が詰まるような細かなルールと、そしてそれに付随した乱暴なまでの強制力からなっていて、読んでいてひたすら大変だわこれは、と思います。

今日、教室に来る車の中で、ふと思ったことがあります。

教室は今まさに学年末試験の対策授業の最中ですが、勉強が苦手か、好きでない子の特徴の一つに、日常生活の中で忘れ物が異常に多いというものがあります。

実際、そういう子たちは大概なにがしかの忘れ物をしてきます。

先日などは、授業後バスで帰宅する際、スイカがないないと言って騒いだ末にカバンの中に落ちているのを発見したのはよいのですが、それを机の上において帰りの身支度をした際、その肝心のスイカを堂々と机上に置き忘れたまた「さよなら~」などと言って出て行った子もいました。

思ったのは、こういう子たちに対しては、程度の違いはあっても、本の中に書いてあった日常生活の中の細かな所作を厳しく厳しく強制的に叩き込むことは、それ自体がこうしたしょうもない忘れ物の癖もなくし、ピリッとしまった生活の実現に向けた大きなバックアップになるのではないでしょうかということ。

 


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やることをやるという、当たり前の事について

2022-02-14 12:14:10 | 学習塾・勉強の仕方
中学高校生たちの学年末テスト対策を連日行っています。小学生でもない、この学年になると、テストに向けて持つ意識の濃さの違いがはっきりと表面に出て、それはそのまま普段の学習態度や学習意欲をストレートに表してもいるので、テスト前だからといって付け焼き刃的な捉え方でしかない子とそうでない子との差は、この間の限られた日数の中ではもうどうにも埋めることは出来ません。従って、多かれ少なかれ、各自にふさわしい点数の積み上げしか実際のところ望めないことの方が割合として高いです。私たちは、普段からこの子達ならびにその保護者の方々には、付け焼き刃はだめです、限界があるんですと説明していますが、悲しいかな、目の前に緊急のイベント(学年末テストのような)でもないと、どこか違う世界の話でもあるかのような受け止め方しかしていないようで、はあとかそうとか、気のない反応が殆どです。私はよく子供たちに言います。「やることをやった結果が仮に不満足であったとしても、それはそのまま受けとめます。でも、嫌なのは、そして怒るのは、やりもしないで、やってもいないでグダグダ言ったり、その時になって過去を悔やんだりして見せること」。そこにはっきりとした価値の有無があるんです。
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