夕方. ふと家の窓から 数十メートル先の満福寺を眺めました。800年の昔、義経弁慶をはじめとした一行が頼朝に会うべく京都からやってきて、ここに留め置かれたと言われるお寺。
最近の研究では、ここで書かれたという腰越状も、実は後世の作であるとの説があるということです。また、この腰越にも義経一行は来ておらず、留め置かれたのは小田原であったという説や、 頼朝との面会がなかったっというのも事実ではなく、実は頼朝ともこの時に会っていたという説もあるらしいです。 800年の昔の歴史は、そこに様々な想像が入り込む余地があります。
歴史を学んでいて 楽しいなと思うことの一つに、記録に残る出来事に絡んでいた当時の人々の思惑や人間関係を推し量れるというところです。 この 、義経一行の話についても 後世の人がこうであって欲しい、そうであったらいいなと思って作り上げた ストーリーが全くないとは言い切れません。いささか邪道ではありますがこういう歴史の見方、楽しみ方もあるのだと思います。