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アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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水平社博物館からの帰り道で考えた事

2019年10月25日 21時08分23秒 | ヘイトもパワハラもない世の中を

一昨日の公休日に、奈良県御所市の水平社博物館に行って来ました。左上の写真が水平社博物館、右上の写真が創立者の一人、西光万吉の生家である西光寺というお寺です。

そもそもとは何か?

1922年(大正11年)に差別の解消を掲げて生まれた団体です。今の解放同盟や全国解放運動連合会(後に全国地域人権運動総連合と改称)の前身に当たります。江戸時代の士農工商の身分制度の更にその下に、一部の人が・として差別され、崖下や河原などの劣悪な土地に住まわせられました。農民の不満が幕府や武士に向かわないようにする為に、農民の下にさらに低い身分が作られ、互いに反目し合うように仕向けられたのです。それが差別です。差別は明治維新で一応は廃止されますが、通り一遍の布告(解放令)だけで済まされ、実際の差別解消策が何も取られなかった為に、明治以降も差別は無くなりませんでした。逆に、それまでの地場産業とされ保護されてきた皮革・食肉などの産業も、自由競争にさらされる事になり、民の暮らしは更に貧しくなって行きました。その中で、それまでの同情や憐れみに基づく差別解消運動ではなく、民自身の手で解放を勝ち取る運動が始まりました。それがの運動です。その創立の原動力となった3人の青年、西光万吉、阪本清一郎、駒井喜作の業績を称えるために、1998年、3人が生まれ育った今の奈良県御所市の被差別に、この博物館が建てられました。

 

創立大会で採択された宣言文(左上)と、それを記念して建てられた記念碑(右上)。その宣言文も「日本最初の人権宣言」と言われる程の名文です。下記にその全文を掲載しておきます。

宣言

全國に散在する吾が特殊民よ團(団)結せよ。

 長い間虐められて來た兄弟よ、過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々によつてなされた吾らの爲めの運動が、何等なんらの有難い効果を齎もたらさなかつた事實(実)は、夫等それらのすべてが吾々によって、又他の人々によつて毎つねに人間を冒涜されてゐ(い)た罰であつたのだ。そしてこれ等の人間を勦いたわるかの如き運動は、かへつて多くの兄弟を堕落させた事を想へば、此際このさい吾等われらの中より人間を尊敬する事によつて自ら解放せんとする者の集團運動を起せるは、寧ろ必然である。
 兄弟よ、吾々の祖先は自由、平等の渇仰者かっこうしゃであり、實行者であつた。陋劣ろうれつなる階級政策の犠牲者であり、男らしき産業的殉教者であつたのだ。ケモノの皮剝ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剝取られ、ケモノの心臓を裂く代價(価として、暖い人間の心臟を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の惡夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸れずにあつた。そうだ、そして吾々は、この血を享けて人間が神にかわらうとする時代にあうたのだ。犠牲者がその烙印らくいんを投げ返す時が來たのだ。殉教者が、その荊冠けいかんを祝福される時が來たのだ。
 吾々がエタである事を誇り得る時が來たのだ。
 吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦きょうだなる行爲によつて、祖先を辱しめ、人間を冒瀆してはならぬ。そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を勦いたはる事が何なんであるかをよく知つてゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃がんぐらいさんするものである。
 は、かくして生れた。
 人の世に熱あれ、人間に光あれ。
 大正十一年三月 

では何故、そんな博物館に行く気になったのか?

台風19号では多くの被災者が出ました。未だに住宅補修も生活再建も出来ずに途方に暮れています。福島では除染作業で集めたフレコンバッグも台風の大雨で流出してしまっています。しかし、安倍政権はオリンピックやラグビーの応援ばかり力を入れて、災害復興を後回しにしています。消費増税で景気も冷え込み、中小企業の倒産や老舗の廃業が後を絶ちません。ところが、マスコミは新天皇の即位の礼ばかり報道して、祝賀ムードを演出し、災害や増税の影響については何らまともに報道しようとはしません。

即位の礼と災害・増税問題の、一体どちらが国民にとって切実な問題なのか?誰がどう考えても、後者の方がずっと大事な問題じゃないですか。祝賀ムードに浸っている場合じゃないでしょう。そもそも、この国の主権者は一体誰なのか?天皇なのか、国民なのか?国民に決まっているでしょう。我が国も、一応建前上は主権在民の民主国家なんだから。ところが、即位の礼では、新天皇が高御座(たかみくら)という一段高い所から、国民をまるで見下ろす様に即位宣言を行い、内閣総理大臣の安倍晋三が、国民の代表でありながら、まるで天皇の家来であるかのように、天皇を仰ぎ見るような格好でお祝いの言葉を述べました。

マスコミのニュースを見ても、国民全部が即位の礼に浮かれているかのような報道ぶりです。しかし、実際はどうなのか?少なくとも私の周囲には、そんな人は誰一人いませんでした。非正規労働者は祝日も仕事です。即位の礼の休日も例外ではありません。逆に祝日という事で商品の取扱量が増え、普段以上に仕事に追いまくられます。幸い私の住んでいる大阪は台風被害は大したことは無かったものの、消費増税の影響は生活のあらゆる所を直撃しています。今まで800円だったチャーハン・唐揚げセットも千円に値上がりしてしまいました。消費税が8%から10%に上がっただけでも、この有様です。

めでたい事なんか何もないのに、何故、主権者でも何でもないオッサン、オバハンのお祝いを強制されなければならないのか?「即位の礼の時に虹が出た」と喜んでいる人の事がニュースで取り上げられていましたが、これも、「新しい指導者が就任した時に虹が出た」と言って喜んでいた北朝鮮国営放送のニュースと、一体どこが違うのでしょうか?

 

左上が戦前のポスター。「封建的身分制を廃止せよ!」とのスローガンも。右上が西光寺前にかかる水平橋。単なる平等ではなく「水平」という名前の結社にしたのも、羅針盤でより良い未来を目指して船をこぎ進もうという気持ちが表れていると思います。

戦前、は「封建的身分制度の撤廃」を掲げ、差別と闘いました。その身分制度撤廃、人間平等思想が、私のアンチ天皇制の主張とも重なり合い、それを実際の目で確かめてみようと、水平社博物館を訪れる気持ちになったのです。明治維新で士農工商の身分制度が廃止されたはずなのに、実際は平民の上に華族・士族という新しい身分制度が作られました。士農工商の4身分が華族・士族・平民の3身分に変わっただけだったのです。廃止されたはずの差別も、新しい身分制度を補強する為に温存されました。差別を本当になくすには、天皇を頂点とする身分制度を無くさなければならなかったのです。

ところが、当時は天皇絶対崇拝の軍国主義の世の中でした。面と向かって民主主義や戦争反対を唱えようものなら、残虐な弾圧を覚悟しなければなりませんでした。その中で、最初はあれだけ「封建的身分制度の撤廃」を叫んでいたの幹部も、次第に、「天皇陛下の善政に期待する」「民も天皇陛下の赤子(赤ん坊)なんだから差別しないでほしい」「戦争で得た分け前を我々にも恵んでほしい」とトーンダウンするようになって行きました。そして、大政翼賛会結成で日本の全政党が解散した後は、も一時解散を余儀なくされます。

創立者の一人、西光万吉も、を立ち上げた後は農民運動と連携して、労働農民党や共産党の活動に加わりますが、治安維持法違反容疑で検挙された後は右翼に転向し、大日本国家社会党を結成します。戦後はまた平和主義を唱えるようになり、原水禁運動に加わったりしますが、解放運動とは距離を置くようになりました。

これも何やら今と似ていますね。今の天皇が靖国参拝を拒否し、「日本国憲法にのっとり」とか「象徴としての務めを果たす」という発言を繰り返している事を過大評価して、まるで天皇がアベ政治の防波堤に成り得るかのように思い込んでいる人も一部にはいます。確かに、天皇と言えども、政治的発言が制約される中で、それなりに苦労されているのだとは思います。でも、そこまで憲法の民主主義や平和主義の理念に賛同するなら、一層の事、自分から「もう天皇なんてヤーメタ!」と口にしても良いのではないでしょうか?実際に、生前退位も、法律に書いていなかったにも関わらず、「もう疲れた」と言って、特例法の形で実現してしまったのですから。

天皇には、それをするだけの義務があると思います。祖父の昭和天皇は、本当は戦争犯罪人として裁かれるべき人物でした。統帥権(軍隊を統率する権利)は、時の内閣にも無く、天皇にしか無かったのですから。終戦の詔を発する事が出来たのなら、開戦の詔も拒否できたはずです。それを開戦時だけ「時の政府や軍部に引きずられて出来なかった」と言うのは、単なる言い訳にしか過ぎません。その言い訳、保身の為に、一体どれだけの人間が、あの戦争で殺されたと思っているのか!

それに対して今の天皇は、確かに戦争犯罪人ではありません。戦争当時は生まれていなかったのですから。しかし、皇族の一員である以上は、自分の置かれた立場について、意思表示する義務があります。もう子どもではないのだから。そして、普通に冷静に考えれば、天皇制なんて無用の長物でしかありません。それが証拠に、憲法第1条から第8条までの天皇条項なぞ、別に無くても国政に何の支障も無いし、国民生活に何の支障もありません。

むしろ天皇制なぞ無い方が、履歴書の記載も西暦一本に統一できて大助かりです。日本でこれだけブラック企業や過労死が蔓延するのも、長年に渡る天皇制の下で、日本人に奴隷根性が染み付いてしまったからです。社畜社員がパワハラ上司に逆らえないのも、「会社に楯突くのは畏れ多い」と、正当な権利主張ができなくなってしまったからです。昔の「天皇陛下バンザイ!」の頃とちっとも変わらない。

天皇自身も、天皇制なんか無い方がはるかに良いのに決まっています。今のままでは、住む場所も選べないし、職業選択の自由も、参政権も無く、苗字すら無いのですから。「天皇は日本古来の伝統だ」と言うのも、明治以降に作られた神話に過ぎません。江戸時代の百姓・町人の中で、天皇が一体誰なのか知っている人なんて、ほとんどいなかったのですから。それでも、どうしても残したければ、将棋の名人の様に、天皇の称号だけを残せば良いのです。

NHKの世論調査で「天皇に親しみがわく」と答えた人が7割以上に上ったそうですが、では実際に、今の天皇の名前を正確に言える人が、一体どれぐらいいるでしょうか?「徳仁(なるひと)」と漢字で書ける人なんて、ほとんどいないのではないでしょうか。かくいう私も、その辺の知識はすごく曖昧で、徳仁や明仁、秋篠宮や常陸宮、雅子や紀子や眞子や愛子といった名前が、頭の中でごっちゃになってしまっています。即位の礼当日の10月22日が今年だけ臨時の祝日になった事も、直前まで知りませんでした。だって仕事も普段通りで、日常生活は何も変わらないのですから。それでも初詣の日に「神社に親近感を感じるか?」と聞かれたら、「どちらかと言えば感じる」と答えるでしょう。その程度の世論調査に、一体どんな価値があるというのでしょうか?

「天皇陛下バンザイ!」と言っている奴らも、本心では天皇の事なぞ全然尊敬していないのです。尊敬していたら、選挙権も与えず、国事行為しか認めず、女系天皇も生前退位も認めず、死ぬまで子孫を絶やすなと言った、種牡馬みたいな扱いなぞしません。奴らが大事なのは、あくまで「天皇制」という制度であって、天皇個人ではないのです。支配体制の支柱、民衆の反抗を抑える盾に天皇を利用しているだけなのです。

そんな「偶像崇拝」から、天皇も我々もいい加減、脱却しなければなりません。その為にも、昭和天皇を戦犯裁判にかけなければならなかったのです。戦争犯罪人を野放しにしておいて、「今の天皇に自由を!」と主張しても、全然説得力がありませんから。祖父の昭和天皇にきちんと戦争責任を取らせ、天皇制そのものを廃棄した後で、名誉職としての天皇は残す。わざわざ憲法改正しなくても、現行憲法のままでも十分それは可能だと私は思います。

何故なら、日本国憲法には国家体制の規定は何もないからです。嘘だと思うなら、憲法第1章の天皇条項、第1条から第8条の条文を実際にご覧ください。そこに書いてあるのは、「天皇は国の象徴であり、その地位は主権者たる日本国民の総意によって決まる」(第1条)、「天皇は内閣の助言と承認に基づき、憲法に定められた国事行為のみ行い、それ以外の政治的権能は有しない」(第4条、6条、7条)等々だけです。「日本国は立憲君主制でなければならない」なんて、どこにも書いていないじゃないですか。

だったら、共和国宣言をした上で、天皇の称号だけを残し、インドのマハラジャ(藩王)みたいな形で存続させても良いのではないでしょうか。あるいは、映画「ラストエンペラー」に出てくる清朝最後の皇帝・溥儀(ふぎ)が晩年は北京の故宮博物館の館長として余生を送ったように、国事行為のみ行う人間国宝として活躍してもらう方が、時代錯誤の大日本帝国の亡霊として利用されるよりも、よっぽど「民主国家の象徴」として相応しいと私は思いますが、如何でしょうか?

 

左上が高御座(たかみくら:皇太子が天皇即位を宣言する場所)と御帳台(おちょうだい:皇后が待機する場所)。右上がNHKの皇室世論調査。

 

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