静岡県富士市の夜景電車に先週乗って来たが、昭和のノスタルジーより寧ろ令和デフレや少子化、格差拡大に対する悲鳴を感じた。幾ら夜景電車や運転体験会で観光客を呼び込んでも、肝心の地元商店街がシャッター街では景気回復なぞ到底無理だ。今こそ庶民の懐を温める政策を! pic.twitter.com/cPoWeZNCRd
— プレカリアート (@afghan_iraq_nk1) May 25, 2022
岳南電車の旅は、思った以上に見所が多くて楽しかったです。これだけを見れば、岳南電車の将来は明るいです。実際、地元の富士市も、岳南電車を観光の目玉にしようと、毎年6千万円以上も岳南電車に支援予算を組んで来ました。その甲斐あって、依然として赤字基調ながらも、乗降客数は徐々に上向いて来ていました。
岳南電車(旧・岳南鉄道)の輸送実績(ウィキペディアより引用、千以下切り捨てで表示)
1967年 乗客数510万人 貨物量65万トン(この頃が最盛期)
1975年 乗客数285万人 貨物量60万トン(乗客数半減も貨物はまだ安泰)
1979年 乗客数185万人 貨物量53万トン(乗客数の減少ぶりが半端ない)
2003年 乗客数66万人(この頃が一番低迷。以後は自治体ぐるみの支援策もあり、2012年の貨物廃止後もずっと上昇)
2018年は乗客数86万人まで回復
しかし、それもコロナでオジャンです。それに、いくら業績が上向いて来ていても、肝心の中心市街地の商店街がシャッター街では、誰も電車に乗って買い物に来ようとは思いません。
私の乗った電車も、土日の日中だけでしたが、車内の乗客は10数名のみ。そのうち明らかに鉄道趣味者と思しき、撮影に興じている方々が私以外にも3人ぐらい。まだ一般の利用客もそこそこいるから良いものの、採算ライン(1日の利用客2千人が目安)を大幅に割り込んでいるのは確実です。
かつては貨物輸送や従業員輸送で賑わった岳南電車も、製紙工場がリストラや生産調整で雇用削減に走り、消費税増税でここまで景気が冷え込んでは、観光需要だけで業績を回復するのは無理です。
これは一体誰の責任なのか?JRの貨物合理化も、国が高速道路や新幹線にばかり投資し、JR任せにして来たから、JRも貨物の大合理化に走らなければならなくなったのです。
その結果、JRから見捨てられ、頼みの綱の貨物収入を失った岳南鉄道は廃線の危機に陥り、富士市も多額の補助をしなくてはならなくなったのです。
全部、国の責任ではないですか。その国の責任を放棄して、中小私鉄や一市町村、地方の住民にばかり負担をしわ寄せしないで下さい。使途不明で公開もしない予備費があるなら、それを全額、地方の活性化に回して下さい。カジノや軍事費に入れ上げるよりも、その方がよっほど効果があります。
そもそも、青森県の十和田観光電鉄が何故廃線に追い込まれたのか?国が東北新幹線にばかり力を入れ、並行在来線のJR東北本線を第3セクターのいわて銀河鉄道に変えてしまい、電鉄との接続駅の三沢を各停しか止まらない駅にしてしまったからではないですか。
宮城県のくりはら田園鉄道(旧・栗原電鉄)が何故廃線に追い込まれたのか?米国の言いなりに円高政策を強行した結果、細倉鉱山の採算が取れなくなり、まだ鉱脈が一杯残っていたのに閉山を強行し、ドル箱の貨物輸送を奪ったからではないですか。
JR日高本線に続いて根室本線(狩勝峠越え区間)も廃止となり、今や北海道は札幌など都市圏以外は鉄道が全部なくなろうとしているのは何故か?採算が取れなくなるのが当時から分かっていながら、国鉄労働組合潰しの為に、国鉄の分割民営化を強行したからではないですか。
全部、国の責任ではないですか。だったら、地方私鉄や地方自治体、地方の住民にだけ負担をしわ寄せするのではなく、国がちゃんと自分のケツを拭くべきです。
国家予算の中には、使途も公開しなくてよい予備費が16兆円もあります。今、誤送信されネットカジノに費やされた4630万円のコロナ給付金が話題になっていますが、そんなもの、使途不明の巨額の予備費と比べたら微々たるものです。
しかし、マスコミはその予備費の使途公開をどこも要求しません。あれだけ国会議員の文書通信費の問題で騒いでいた維新も、この問題では与党と一緒になって隠蔽工作に加担しています。
その予備費を地方私鉄の支援に回せばどうなるか?試算してみました。
A 予備費の予算規模 約16兆円
B 富士市の岳南電車支援額 毎年6200万円
A÷B=258064.516
予備費を回せば、別に富士市から6200万円も出さなくても、25万8064年も支援する事が出来ます。25万年余も!
岳南電車だけでなく、同じ規模の中小私鉄を10社支援するとしても、2万5千年も支援する事が出来ます。2万5千年も!
これだけあれば、相当な支援が出来ます。運賃や通学定期代の大幅値下げ、ダイヤの大増発など。鉄道車両も、大手私鉄のお古(岳南電車の場合は京王電鉄の払い下げ車両)を、交換の部品もなかなか調達出来ない中で、苦労して使わなくても、いくらでも自前の車両を新造出来るようになります。
何なら、これらの中小私鉄だけでも国有にすべきです。そうすれば、青春18きっぷで乗る事が出来、観光客ももっと来るようになります。
そうすれば、乗客の懐にも余裕が出来、地域の商店街もシャッター街から抜け出す事が出来るようになります。
IR施設の中だけで金が回り、地域は全然潤わないカジノの誘致や、戦争の武器を今の2倍以上も買う防衛費の増額なんかにカネを費やすより、はるかに景気対策になります。
死の商人を儲けさせる為だけの軍事予算や、ハゲタカファンドを儲けさせる為だけのカジノ誘致や、パソナやブラック企業を儲けさせる為だけの企業リストラ支援に予備費を費やすぐらいなら、それを全部、庶民の生活支援に回すべきです。
岳南電車は夜景電車とともに、各駅から富士山の見える電車としても有名ですが、あいにく昨日は雨、今日も曇りで見えませんでした。その代わりに富士山麓の湧き水が生み出す景観をたっぷり堪能する事が出来ました。
富士市に製紙工場が立地するのは富士山麓から豊富な伏流水(湧き水)が湧き出すからです。当地では住宅街の片隅にある湧き水から突然、川の流れが始まります。いずれの川も清流で、大阪のドブ川しか目にする事のなかった私は、工業都市の住宅街の中をこんな清流が流れている事に驚かされました。
昨日泊まったホテルのそばにも、とても都会の中の川とは思えない清流が流れていたので、源流をたどる事にしました。そうしたら、ほどなく神社のたもとにたどり着き、脇の池のたもとから水が湧き出している事が分かりました。
調べたら、岳南電車沿線にも、「泉の郷」という名称で、バイキングコースが整備されている事が分かりました。そこで2日目は、そのコースをたどる事にしました。
まず最初に向かったのは、岳南原田駅から滝川を遡った鎧が淵の親水公園。源頼朝が富士川の合戦で鎧を洗った事から「鎧が淵」と呼ばれるようになりました。
ある時、この淵の上の木を刀で切っていた坊主が、刀を淵の底に落としてしまい、和尚さんから拾って来るよう命じられます。坊主が淵に飛び込んで刀を拾おうとしたら、淵の底から女が現れ、「刀は返してやる代わりに、私を見た事は誰にも言うな」と言われます。坊主がやっと寺に戻ったら、和尚から「3年もどこにいたのか?」と聞かれ、坊主は面食らってしまいました…この淵には、そんな言い伝えも残っています。
次に向かったのが滝不動と、かがみ石公園。滝に打たれるお不動さんが祀られていて、村の娘が熱心にお参りしたらイボが取れたので「イボ取り不動」の異名も。
隣のかがみ石の池も、室町時代の武将・小栗判官が照手姫(かぐや姫との説も)と駆け落ちした際に、照手姫が池の中の石を鏡にして身なりを整えたからとの伝説も。
かがみ石へは散歩中の叔母さんの案内でたどり着く事が出来ました。叔母さん曰く、「滝不動やかがみ石の池はホタルの名所」なんだとか。こんな所に一度で良いから私も住んでみたい。
ちょうどお昼になったので、近くの喫茶店でエビピラフの昼食。土地勘がないので食べれる時に食べとかなければと、適当に飛び込んだ喫茶店だったが、そこは市が認定した「まちの駅」だったので、これから行く所について色々聞く事が出来ました。
更に詳しい観光パンフレットももらったので、ピラフの他にコーヒーも追加注文。そうしたらマスターがお菓子も付けてくれました。
昼からは竹採(たけとり)公園と湧水公園。当地は全国にいくつかある「かぐや姫」伝説発祥の地の一つですが、他の地とは違い、月ではなく富士山にお姫さんが帰る事になっています。岳南電車の比奈の駅名や地名も、姫がなまったものだと言われています。
帝や国司が姫に一目惚れして、姫を追いかけて富士山の頂上まで来て、帝は姫と結ばれたが、国司はふられて頂上の池に身投げした…など、言い伝えも諸説あって、どれが本当か分かりません。それにあやかり、市がここを竹林の公園として整備しました。無料で入れます。
そこから下った所にある湧水公園も、湧水を利用して市が整備した公園の一つ。池にはデカい鯉がいました。池から流れ出る川にはバイガモが生い茂り、所々には洗濯用の洗い場も住宅の横に作られていたりして、もう羨ましい限り。
岳南富士岡駅から再び電車に乗り、大阪に帰りました。無人駅から乗ったので整理券で乗車。岳南電車終点の吉原ではJRの切符は買えないので、証明書をもらって、JR静岡駅で精算と新幹線切符を購入。
お土産に、黒ハンペン入りの静岡おでん1個と、岳南電車ブレンドのコーヒーをいくつか買いました。(旅行後の岳南電車の旅 評論編に続く)
5月21日、22日の土日連休を利用して、静岡県の岳南電車に乗って来ました。一般の方には旧社名の岳南鉄道の方が通りが良いかも。
静岡県富士市のJR東海道本線吉原駅から分岐して、終点の岳南江尾まで9キロ余を10駅で結んでいる小私鉄です。沿線の製紙工場に延びていた工場引き込み線を乗客・貨物輸送に利用したのが始まりです。
吉原ージャトコ前(旧・日産前)ー吉原本町(よしわらほんちょう)ー本吉原(ほんよしわら)ー岳南原田ー比奈ー岳南富士岡ー須津(すど)ー神谷(かみや)ー岳南江尾(がくなんえのお)の順に駅が並びます。本吉原から先は、東海道本線の約2キロ富士山寄りを東西に進みます。全線単線ですが、貨物輸送が盛んだった頃の名残で、半分の駅に行き違い設備があります。
戦後の高度経済成長期には製紙工場の工員・貨物輸送に大活躍しましたが、やがて貨物の主体は鉄道からトラック輸送に移り、製紙工場も工員のリストラで業務縮小。
貨物輸送が廃止されてからは、まだ一部残る貨物ヤードを背に、1時間に2本のダイヤで、1〜2両編成の電車が走るだけになってしまいました。
ドル箱の貨物収入を失い、乗客数も最盛期の6分の1に落ち込み、一時はもうこれで廃線かと思われた時期もありました。その中で、工場地帯を走る地の利を生かして、工場夜景の中を走る「夜景電車」として売り出した所、これが大ヒット。
地元の富士市や商工会議所も支援に乗り出す中で、夜景電車の観光客に地元の名産をどんどんアピールしていきました。その甲斐もあって、依然として赤字基調ながらも、近年は利用客下落が下げ止まり、わずかながらも上昇に転じつつありました。コロナ禍までは。
夜景電車はだいたい隔週土曜日の夜に、車内のライトを消して運行されます(季節によってスケジュールが変わるので、詳細は岳南電車のホームページ等を参照)。2両編成の後ろ1両だけを消して走る通常の夜景電車の他に、2両とも消灯して走るプレミアム夜景電車の2種類があります。私が行った日は通常の夜景電車だけだったので、そちらに乗りました。
まず始発駅の吉原で夜景電車とセットになった1日フリー切符を購入。そのフリー切符で吉原本町まで行き、吉原商店街の喫茶店で地元B級グルメの「つけナポリタン」の昼食。ナポリタンソースにパスタを漬けて食べます。ポリュームが結構あり、これでもう満腹です。
昼食の後は、フリー切符で終点の岳南江尾まで乗り、帰りに車庫のある岳南富士岡駅で下車。車庫には歴代の機関車や電車が展示され、「がくてつ機関車ひろば」として整備されています。
そこで写真撮影した後、学南原田駅横のうどん屋「めん太郎」で早めの夕食。夕方には店じまいするので、それまでに岳南電車自慢のここのうどんを堪能したかったので。しかし、天ぷらは全て売り切れで、おにぎりも売っていなかったので、きつねうどんだけの寂しい夕食に。
さすがにこれだけでは腹が持たないので、吉原本町商店街のお店で散らし寿司を購入。吉原本町駅のベンチでそれを食べました。その後、夜景電車に2回乗り、吉原本町にあるホテルで一泊。
まずは1日目の旅のハイライトから。静岡県富士市を走る岳南電車最大のヤマ場。比奈・岳南原田間の日本製紙(旧・大昭和製紙)工場内のパイプラインを潜る地点を、吉原に戻る夜景電車の車窓から動画撮影。
次に、夜景電車と並ぶハイライト、岳南富士岡駅構内の「がくてつ機関車ひろば」に展示中の歴代車両。
旅客電車も、昔の京王電鉄井の頭線を走っていた7000系、8000系、9000系の電車なので、昭和の古き良き昔を懐かしんで訪れる鉄道ファンも多いです。
岳南江尾駅に停車中のオレンジに白線の電車は9000系。
岳南富士岡駅の車庫に格納中の青とシルバーの電車は7000系。
夜景電車のロゴを先頭に付けている緑に白線の電車は8000系。
プラットフォームの駅屋が国の登録有形文化財に指定されている本吉原駅に停車しているオレンジとシルバーの電車も7000系。(間違っているかも知れないので、念の為にウィキペディアなども参照してくれたら助かります)
本吉原駅の後ろの工場壁にからまる緑の蔦は、秋には見事な赤色に染まります。
最後に、夜景電車の土産にもらった「光る切符(記念乗車券)」と「バリ勝男クン」のポテトチップ。但し「光る切符」と言いながら、私の光の当て方がまずいのか、全然光りませんでした。ポテトチップも、焼津産のかつお節チップを富士つけナポリタン味にして、イカ墨に浸けてピーナッツと混ぜた駄菓子ですが、大して美味しくなかったです。おまけに、手がイカ墨で真っ黒になってしまいました。(2日目の岳南電車の旅 清流編に続く)