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よみがえれ!のと鉄道

2024年01月18日 21時46分59秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
【#能登半島地震復興支援】のと鉄道 穴水~蛸島間廃止前の全線最後の風景【本編フル公開】
 
 
能登半島地域の震災からの復興を願って、かつて能登半島を走った列車の動画を紹介します。
 
能登半島にはJR七尾線(津幡〜輪島)とJR能登線(穴水〜蛸島)の2路線の鉄道が存在し、「能登路」などの急行列車も走っていました。
 
しかし、能登半島の道路環境が改善され、輪島や珠洲から金沢に出るには車に乗った方がはるかに早い事から、鉄道利用客は年々減少。
 
1987年にはJR能登線が第三セクターの「のと鉄道」に移管され、後に七尾線津幡〜和倉温泉間の電化と引き換えに、残りの和倉温泉〜輪島間も「のと鉄道」に移管。
 
確かに和倉温泉まで電化された事で、金沢から電車特急が直接乗り入れられる様になり、同駅以南の区間は賑わうようになりました。
 
しかし、そこから輪島までと、途中の穴水から蛸島までの区間は、非電化で単線のままJRから切り離され、逆に余計不便になりました。
 
その為に、乗客は年々減少→相次ぐ減便・運賃値上げで、ますます地域の衰退に拍車がかかる事に。
 
その結果、2001年には輪島〜穴水の約20キロが、2005年には蛸島〜穴水の約61キロが廃止になり、鉄道は穴水〜和倉温泉の約33キロ区間だけになってしまいました。
 
そのわずかに残った33キロ区間も、駅は7つしかないのに運賃は片道850円もします。これでは乗客が減るのは当然です。
 
この動画が撮影された時は、既に輪島〜穴水は廃線となっていましたが、蛸島〜穴水の間はまだ列車が走っていました。
 
当時走っていた列車はNT100形で、現在の「のと鉄道」のNT200形(普通車)、NT300形(のと里山里海号)とはデザインが異なります。
 
動画では、次々と現れるトンネルに、最初の穴水隧道には「い」、次の麦ヶ浦隧道には「ろ」という様に、順番に「いろは」の略記号が付けられている事が分かります。こうする事で、事故や災害発生時に自分の居場所が分かる様にしたのだそうです。
 
また、駅名にも特徴がある事が分かります。まず「藤波」「松波」などの○波という名前の駅名(地名)が多い事です。その事から、この鉄道が能登湾の漁村を縫う様に敷かれた事が分かります。
 
入り組んだ海岸線を縫う様に鉄道が敷かれた為に、自動車と比べて時間がかかり、バスやマイカーに乗客を奪われる様になってしまったのです。そして今回の震災でも、津波や土砂崩れで線路が寸断される事になってしまったのです。
 
逆に昔の繁栄ぶりも駅名(地名)から推し量る事が出来ます。「鵜川」「鵜島」「鵜飼」など鵜○という駅名が多い事から、鳥が集まるほどの漁場が沿岸にあった事が分かり、当時の漁村の繁栄ぶりが偲ばれます。
 
また、和倉温泉〜穴水間の駅全てが相対式のホームになっている事も驚きでした。普通列車しか停まらない単線の駅なのに。これは、能登線の列車だけでなく七尾線の列車も通さなければならなかったので、各駅で行き違いが出来る様にしたのだと思います。
 
それほどまでに繁栄していた路線が、なぜ次々と廃線に追い込まれてしまったのか?その活性化策も講じないまま、安易に「赤字だから鉄道を廃止してバスに変えてしまえ」だけで本当に問題は解決するのか?
 
鉄道から代替バスに変わった所はどこも衰退に拍車がかかり、遂にはバスも廃止にされてしまう事は、北海道の天北線を見れば明らかです。
 
しかも能登半島の場合、JRは採算の取れる和倉温泉以南を電化しています。いわば儲かる部分だけちゃっかり奪い取り、儲からない部分(同駅以北)だけ沿線の自治体・住民に押し付けるという身勝手な対応を取っています。これでは地域が衰退するのは当たり前です。
 
大まかに言えば、この40年間で人口が30%以上減少し、65歳以上の高齢化率が38%を超え、15歳以上30歳未満の人口が11%以下の地域が「過疎地域」として認定されます(実際にはもっと細かな定義がありますが)。石川県の場合、「過疎地域」は全て能登半島の自治体で占められます。この様に、金沢周辺地域との南北の経済格差が長年に渡り放置されて来ました。
 
幾ら道路だけ整備しても、地域の産業が寂れたままでは、逆に人口流出を招くだけです。そこに2007年や2020年以降の群発地震の影響で、地域が疲弊していた所に、今年元旦の地震が起こりました。
 
地震そのものは天災で避ける事は出来ませんが、その影響を最小限に食い止めるのは政治の役割です。その政治が全然機能しなかった為に、今回ここまで被害が大きくなってしまったのです。県内の南北格差が放置されて来た為に。そういう意味では、今回の震災被害は100%政治の怠慢、不作為による人災です。
コメント
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