長らく休眠状態だったネット婚活サイトのプロフィールを全面的に改訂しました。住所(市町村まで表示)を実家の住所から現住所の西成区に変え、実家を出て独り住まいを始めた事や、自力で賃上げを勝ち取った事を全面的に押し出しました。プロフィール写真も今の「あいりん地区」中心の物に変えました。
今更「リア充」を装っても疲れるだけです。それよりも、ありのままの自分をさらけ出した方が遥かに気が楽です。多分、却下されるだろうと思っていたら、写真は意外とすんなり承認されました。でも、プロフィールは多分、却下されるでしょうw。
下記がその新プロフィールです。(追記:何とプロフィールも掲載を承認されましたv)
私は約20年前に生協を退職し、今は大阪の大手スーパー物流センターで働いています。正規雇用から非正規雇用に変わり、収入は大幅に減りました。しかし、それを補って余りある幸せを手に入れる事が出来ました。
まず、長時間労働から解放されました。生協時代は、人減らしによって早朝から深夜まで働かされ、過労死寸前にまで追い込まれていました。時間が出来たのを機に、パソコンを購入し、ブログも書くようになりました。このブログは今も続けています。ブログを書くようになってからは、何事も自分の頭で考えるようになりました。仕事も生活も、「追われる毎日」から「追う毎日」に変わりました。
非正規雇用でパワハラや労災隠しに遭ったのを機に、バイトの労働組合の無い職場でも一人でも入れるユニオンに加入し、会社幹部を相手の団体交渉も体験しました。生協時代も労働組合には入っていましたが、所詮は大勢いるうちの一人に過ぎませんでした。ところが、今度入ったユニオンは小さな組合で、団交に参加できたのも組合委員長のオバちゃんと私の2人だけでした。たった2人で、4人の会社幹部と対峙する羽目になりました。この初めての団交は散々な結果に終わりましたが、これで肝が据わったのか、私はこれ以降、会社に堂々と物が言えるようになりました。やがて仕事でも評価されるようになり、今年は80円もの大幅時給アップを勝ち取る事が出来ました。
一方、実家では、昔は家族5人で生活していたものの、やがて兄弟は結婚して家を出て、お袋も亡くなり、親父と2人で生活するようになりました。親父は元公務員で、昔気質の保守的な人間だからか、私が独身の非正規雇用である事を論うようになりました。今から考えると、親父も寂しかったのだと思います。でも、私が独身で非正規雇用なのは、少子高齢化や正社員リストラの世相によるものであって、別に私だけの責任ではありません。第一、独身や非正規で一体何が悪いのでしょう。どんな人間も平等に、かけがえのない個人として、自由に生きる権利があります。遂に、私は親父と衝突し、実家を出る事にしました。今は大阪・西成の「あいりん地区」に住んでいます。
大阪・西成の「あいりん地区」、通称「釜ヶ崎」は、日雇い労働者の街です。今も日雇い労働者や野宿者が大勢います。その一方で、地価や家賃、物価が安い事もあって、外国人観光客が大勢押し寄せるようになりました。地方からの滞在者も大勢います。今や治安も大幅に改善され、女性でも一人で普通に歩けるようになりました。また、日雇い労働者の街ゆえに、労働運動や市民団体の活動も活発で、炊き出しや夜回り、お盆の夏祭りや年末の越冬祭りが毎年行われて来ました。確かに、他の地域と比べたらガラは悪いです。しかし、他の地域では失われた「助け合い」の気風が、ここではいまだに息づいています。私はこの地域に住んでいる事を、今ではむしろ誇りに思っています。そんな私でも良ければ、どうぞお付き合いしていただけたら光栄です。