去年11月にお会いした中ボケの方に、3か月ぶりに会いました。(その方の発言を青字で書きました)
私「こんにちは。その後いかがですか?」
「おかげさまで」
私「この前の旅は、どうでしたか?何が一番印象的でしたか?」(年末年始にかけて、2週間近く沖縄に行った情報を受け取っていました)
「そうですねえ…まあ、いろいろあったんですけど……そうそう、なんといっても海ですね。あの青い海。
何だか、頭の中にモワッとしたものがあるんですけど、すっきりしたというか」
私「そうですか。それはよかった」
「おかげさまで」
岡山空港 備前焼の馬
あまりにも普通ですね。
ちょっと、間が空く感じ、言葉がなかなか思いつかない感じがありました。そして無表情というよりはむしろやや緊張感が伝わってきました。
続けての話は
私「ディサービスはどうですか?ちゃんと行っていますか?」
「行ってるんですけど。それが…。行っても、いつも大きなテーブルについて座ってるだけなんですよ。私はジーとしてるのが苦手なんです。何かしてるほうが好き、というか何かしたいんですけど」
私「『少し体を動かしたいのですが』とか『何かお手伝いはありませんか』って言ってみたらいいと思いますよ」
「あらぁ。そんな自分勝手な。そんなわがままみたいなこと言わない方がいいと思ってがまんしてました」
どうでしょうか?このやり取りもまだまだ普通の大人の会話のようだと思うでしょう。
でもこの返事は次のように続いて行きました。
「いつも大きなテーブルについて座っているだけなんですよ。私はジーとしてるのが苦手なんです。何かしてるほうが好き、というか何かしたいんですけど」
オルゴールシンドローム!
私は初回と同じことを繰り返します。勿論ふつうの口調で、初めてのやり取りのようにです。
1時間くらいご一緒しましたが、少なく見積もっても5~6回は繰り返しました。
家族の方は、このような時に生活上の援助や失敗の後始末以上に、疲れてしまうのです。
友人M田さんの個展作品
実は、デイサービスの担当者からは「いらしゃると、とても楽しそうによく活動してくださいます。体操はお得意のようですし、歌を歌うときも結構リーダーシップをとられますよ。それから適宜お手伝いもお願いしています」という報告を受けているのです!
確かに運動は得意だし、4年前まではフラダンスを楽しんでいたのです。合唱も三味線も長く続いた趣味だったそうです。
それなのに、ディサービスの様子を聞くと必ず上記のように答えるのです。
それどころかディサービスに行く日の朝になると
「今日は行きたくない」
「頭が痛い。熱があるかもしれない」
「おなかの調子が悪いから迷惑をかけたらいけないから」などと、すったもんだの騒ぎになることもしばしばだそうです。
私「ディサービスは、○○さんにぴったりのようですよ。とにかく必ず行くこと!。何かしたくなったら遠慮せずいうこと」とお話ししましたが、もちろん記憶には残りません。
紙に書いてお渡ししました。
前回、11月2日にお会いした時の時の見当識は
「11月にはなってると思うのですが…11月10日くらい?」
私「残念!まだ10日にはなってません。11月3日は文化の日。今日はその前日、11月2日です」
このやり取りを何度繰り返したことでしょう。
それは、当日同席してくれた別居している兄弟に、脳機能の低下をわかってほしい目的もありました。
検査の場にいた兄弟や保健師さんは
「脳ってこういう状態だったのですか?…『○○さんがいろいろいっても、ことばどおりに受け取ってはいけない』ことがよく納得できました。通帳のお金を家族が自由にしているというのは勝手な思い込みだったんですね。ほんとにふつうに話してくれるんですもの、だまされちゃう」
私が脳機能検査を行う場合は、その部屋に、ご家族の同席を認めることがほとんどですが、このように周りの理解が進むことは、当人にとってよりよい環境にチェンジできる可能性が開けたということになりますから、やっぱり意味があります。
さて今回。
私「今日の日付を教えてください」
「今日は1月か2月か」
私「さあ、どちらでしょうか?」
「そうですねえ。2月になったでしょうか…あっ2月ですね。何日かと言われたらそろそろ10日になったでしょうか」
私「ざんねん!明日が節分なので、今日は普通の日、2月2日です!」
このやり取りも10日が5日になったりしながら10回近く繰り返したと思います。最後から2番目のやり取りの時だけ、ためらいを見せずに「2月2日」という答えがでました。
この「時の見当識」に対する一連の回答から、11月とほとんど同じレベルを維持していることがわかりました。
「がんばって、ディケアも続けてください」と心からお話ししました。