友人からのプレゼントが届きました。
認知症の母の介護をしている漫画家の描いた、この漫画は雑誌に連載されているときから、話題になっていましたよね。重いテーマをかわいい「絵」と、どことなくユーモラスな長崎弁が救って。
私はとびとびに読んでいました。本になったものを手に取ると、装丁もかわいいしサイズも工夫されていて読みやすい。これだけまとまると「絵」のかわいさ・暖かさがより迫ってきます。
じゃあ、ウィキペディアの解説です。
「ゆういち(愛称ペコロス)は62歳の漫画家。89歳の母みつえが振り込め詐欺にひっかかりそうになり、死んだ夫のために酒を買いに行こうとしたり、子どもの世話をして轢かれそうになったり、古い下着を大量に貯めていたり、認知症の症状を見せはじめる。ケアマネージャーの勧めでグループホームに入居させる。面会に来た息子が分からず、薄い髪を見てようやく息子を思い出すみつえ。夫が亡くなったことを忘れ、見えない夫と話すみつえ。原爆に奪われた幼い妹の幻を見て、妹をあやすみつえ。少しずつ認知症の症状が進み、少女に戻り無邪気な様子を見せるみつえ。そんな母を優しく見守りながら、過ぎ去った日々に思いを馳せる。10人兄弟の長女で、畑仕事でボロボロになった弟や妹たちの服を「ふせ」(あて布)するのがみつえの日常だった。みつえはさとるや幼なじみのちえこ、8歳で亡くなった妹のたかよが会いに来たとゆういちに語る。「死んだ父ちゃんに会えるのなら、ボケるのも悪いことばかりじゃないね」と思うゆういちとみつえの日々は、思い出と現実が交錯しながら淡々と過ぎていく。」
抒情的な作品です。映画「この世界の片隅に」に共通するようなものが迫ってきました。
「沈黙ーサイレンスー」と「この世界の片隅で」
すぐそばで営まれている普通の世界を、目の前に展開させてくれる。こういうこともあるでしょう…そういうこともあるでしょう…と。
作者は、認知症の母の「現在」と「過去」を重ね合わせることで、母が生きてきた人生を深く知ろうとしているように思いました。
重度の認知症ですから、種々大変な言動があるのですが、そこを作者はペーソスあふれるユーモアをベースにしながら、自分が納得できる解釈を加えて表現していきます。
母の「現在」と「過去」を重ねることは、そのまま自分の「現在」と「過去」を重ねることでもあります。ここから作者の独特の死生観や宗教観が立ち上ってきます。
ところで私は北九州生まれです。長崎弁とはかなり違うのですが、不思議なほど長崎弁がわかるのです。脚注はほとんど不要でした。より強く作者の意図した世界に入り込みやすかったと思います。
読後は、独特のやさしさに包まれてなんだかやさしくなるような。
ただ「おもろうて やがて悲しき~」という気持ちになる人もたくさんいると思います。だって息子である自分のことがわからない母にどんな思いで会えばいいのでしょうか?
今日はお雛様
「ユーモラスで感動的なだけではなく、介護の困難を感じさせる作品でもある」という書評を見つけました。
私も、どうしても言っておきたいことがあります。それは「認知症」そのものの理解をしてほしいということです。
ある日突然ボケることはないのです!
もともと脳も体と同じように老化のカーブを持っています、その老化が脳を使わない生活(詳説1)で加速されるにつれて、次第に症状が重くなっていきます。高齢者が、何らかの生活上の変化をきっかけにして「生きがいも趣味も交遊も楽しまず、運動もしない」ナイナイづくしの生活を継続することで、小ボケ、中ボケそして最後に大ボケになるのです。改善が見込めるのは中ボケまで!(詳説2)ところが世の中は大ボケになって「認知症になった」というのですから、手遅れで見つかるのも仕方ないのですが。
「どんな症状」が認知症の始まりかということがわかっていないということも、問題ですね。このブログのカテゴリー「正常からの認知症への移り変わり」にはたくさん書いてあります。
ただし、軽い症状ほど正常老化との区別が必要で、そこでの必要条件は脳機能検査です。
先ほどのウイキペディアに上がっている症状を、エイジングライフ研究所の認知症重症度で分けてみましょうか。推定される脳機能のレベルで分類するとこうなります。
振り込め詐欺にひっかかりそうになり、小ボケでも起こりうる
死んだ夫のために酒を買いに行こうとしたり、大ボケ
子どもの世話をして轢かれそうになったり、本の中で見つからず状況不明
古い下着を大量に貯めていたり、中ボケでも起こりうる
面会に来た息子が分からず、大ボケ
薄い髪を見てようやく息子を思い出す、大ボケ
夫が亡くなったことを忘れ、大ボケ
見えない夫と話す、大ボケ
原爆に奪われた幼い妹の幻を見て、妹をあやす、大ボケ
この本では何度も「父が亡くなった年から認知症の症状が出てきた」と繰り返されていますが、あげられているその症状はすでにほとんどが大ボケのものです。そしてもうひとつ「徐々に進んでいった」ということも繰り返されています。大ボケだって軽いものから最重度のものまであるのですから当然です。
我が家の河津桜
生活歴をはっきりさせてみましょう。
父70歳、母66歳の時に、40歳の作者は一人息子とともにふるさと長崎に帰り同居が始まります。
父が胃潰瘍からの大量下血を起こした時に、母はその対応が十分にできなかったとありました。まず死んだと思い叫ぶ、救急車到着まで父の世話はすべて作者、その最中に「痔が治っている」という。このような行動は前頭葉の状況判断が十分にできていないことから起きてきます。ということは「すでに小ボケになっていた」ということなのですよ。
そしてその後、病床にいた期間は不明ですが(実際に亡くなったのはだいぶ後としか書かれていません)父は80歳で没。母は76歳。だから父が亡くなった時に、母は小ボケよりも進行した状態、その期間によっては中ボケの下限か、既に大ボケになっていても何もおかしくないのです。
「父が亡くなった年から認知症の症状が出てきた」のではなく、先行すること数年間の経過があったのです。ここで「出てきた」とされる「認知症の症状」はエイジングライフ研究所が言うところの「大ボケの症状」です。改善が見込めるのは、その前までですから…ほんとに残念です。
いちばん注意しなくてはいけなかったのは、父の胃潰瘍事件に先行する2~3年前に、大きく生活が変わるような生活上の変化があった(詳説3)はずなのです。その時、少しでももともとの生活に、できれば変化のある楽しい生活(脳をイキイキと使う生活)にハンドルを切らなくてはいけなかった。せっかく同居していたのに…と、作者からは、母に対する細やかな愛情や包容力が感じらるだけに、ほんとに残念です。
そのハンドルを切る手助けをすることと、自分すらわからなくなっている母に面会に行く努力(「努力」なくして面会に行くことはできなかったと思います)は、どちらが意義があるでしょうか?どちらが母子の喜びにつながるでしょうか?
でも、このような考え方を知らなかったのですから、仕方ないのですけれど。
認知症の早期発見は、個人的な尊厳重視やしあわせ追及の問題であると同時に国家的な問題だとも思っています。
重度認知症の高齢者の世話をするためには、莫大な費用が掛かるからです。経済的な話をすると、感覚的には拒否したくなることを承知で書いておきますが、重度認知症高齢者にかかる費用は500万円とも600万円とも言われます。1年間に必要な金額です。高齢者にかかる費用が15兆円!という声も聞かれています。
中でも大きいのが認知症にかかる介護費用なのですが、ところが突然、重度認知症にはなりません。さかのぼれば、中ボケの時期もあれば小ボケの時期もあります。そして最も大切なのは「正常」な時があるということです。認知症は正常高齢者がだんだんに機能低下をおこしていくものだからです。
早いほど、予防効果は大きいし、大ボケになっていなければ治すこともできるのです。(今日の話は、原因不明とされているアルツハイマー型認知症の話でした)
詳説1 脳を使わない生活:脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の出番が極端に少なくなるような日々の暮らし方が維持されることにより、廃用性の機能低下が進行していくことで次第に症状が重くなっていく。
詳説2 脳のリハビリ:「前頭葉」の出番が多くなるような脳の使い方としての生活習慣の実践によって、「小ボケ」及び「中ボケ」まででであれば、改善が期待できる(認知症の症状が治る)のです。
詳説3 生活上の変化:「何か」の出来事の発生ををキッカケとして、本人が意欲を喪失してしまい、ナイナイ尽くしの生活が始まることになったその出来事。