脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

TV番組「認知症の第一人者が認知症になった」も教える認知症予防

2023年11月11日 | エイジングライフ研究所から
友人から「NHKテレビで長谷川和夫先生のことを見ました。認知症になっても広報活動を続けられていたようですが、なにより認知症にならないことが大事ですよね」というメールが来ました。「長谷川先生のことをブログに書いたなあ。彼女に送ってあげよう」と検索したら、下書きフォルダーに入っていましたので掲載します。2020年の11月に書いてあります。

11月3日文化の日に二つの対照的なTV番組を見ました。
一つが、このひとつ前の記事「TV番組『餅ばあちゃんの物語』が教える認知症予防」でした。
制作者の狙いは「知恵と工夫でいっぱいの心豊かな暮らし。仕事とは?人生とは?幸せとは?こんな時代だからこそ心にしみる、つつましく温かな、餅ばあちゃんの物語 」であって、決して認知症予防の実例を提示するという意図はなかったと思います。
ところが、脳機能から認知症を理解する私たちの考え方から言えば、餅ばあちゃんはまさに究極のみごとな認知症予防の生活実践者でした。
左、利島。真ん中に薄く三宅島。右、新島。

もう一つの番組はNHKスペシャル「認知症の第一人者が認知症になった」の再放送です。
こちらの番組の制作意図は「誰もが認知症になりうる時代。長谷川さんの姿を通して認知症を生き抜くための手がかりや希望をつむぐ」と番組紹介に書かれていました。この番組を見た人たちは生き抜く手がかりや希望を感じたでしょうか?
同じ番組を見た友人からのメールは「偶然みました。『生活の確かさがなくなってくる。一生懸命一所懸命にやってきたこの結果がこれだ。歳を取ることは容易ではないな』っていわれたよね。涙が出ました」
また別の友人との会話です。
「歳を取ったらみんなボケるのよね…長谷川先生だってボケるんだもの。お気の毒で正視できなかった。私ボケたくないっていつも思ってるけど、防ぎようはないんだって思った」
「先生の奥様は達観していらっしゃるようにお見受けしたけど、信仰の力かなあ。優しい対応だし、言葉かけも無理がない感じだったよね。あ、奥様の介護負担が大きいからと何度も言ってたから、精神的にはクリアできていても実際の負担は大きいのね。印象的だったのは、お嬢様は介護しながらお幸せそうには見えなかった」
私は、あまりにも長谷川先生らしくないそのお姿に胸がつかれる思いと、世の中の認知症の理解が間違っていることに歯噛みする思いでした。何故何故といくつもの疑問符が飛び交いました。

2009年に長谷川先生が下田市にいらっしゃって講演をなさいました。わざわざ下田までお話を伺いに行きました。というのは今からだと30年近くも前になるでしょうか。学会で意見を戦わせた時代があるのです。
その時のことを記事にしてありますのでお読みください。

「長谷川先生の講演」

長谷川先生の認知症に対する考え方がわかります。長谷川先生は日本の認知症分野の第一人者ですから、日本の専門医や専門家たちの考え方であるということになります。もう10年以上もたっていますが、小さいところでの変化はありますが(レビー小体型認知症の増加、前頭側頭型認知症という表現とか)根本的には何も変わっていません。
伊豆大島

あくまでも、アミロイドβが悪さをするという立場です。
なぜたまるのかわからないけれど、悪さをするのだから除去するとか、たまらないようにするとかというアプローチ…研究者や製薬会社はしのぎを削っています。そしてアミロイドβ犯人説に異論を唱える研究者や製薬会社が現れるところまではきましたが、日本では依然アミロイドβ説が席巻しています。
長谷川先生は嗜銀顆粒性認知症と診断されています。初耳でしたから、少し調べてみました。
先生が触れられなかった神経ネットワークの邪魔をするもう一つの原因にタウ蛋白説があります。嗜銀顆粒性はアミロイドβではなくタウ蛋白に近いもののようでした。発生場所がある程度限られているということです。
大島遠望

何故かわからないけれど、有害なものが増えてしまって正常な機能が発揮できなくなる。その理由の一つは老化だろうと。
それならば、もうひと飛躍してアミロイドβやタウ蛋白が見つかったら歳のせいと思ったらどうでしょうか?前記事の餅ばあちゃんの脳にもきっとアミロイドβやタウ蛋白が見えるはずです、たぶんたくさん。だって長谷川先生よりも年上なのですもの。
脳の器質がどう変化しようとも(アミロイドβやタウ蛋白がたまっていようとも)その機能がどういう状態であるのかに注目しましょう。
脳機能も年齢とともに低下を起こすのは正常老化といえますね。その年齢を超えて機能低下が始まったら(必ず前頭葉機能から低下は始まります)、それは認知症への道を進み始めたということです。
その時には必ず、それに先立つ生活実態の変化があります。それまでその人の生活を支えてきたものがなくなる、それをきっかけとして生きがいや趣味や遊びや交遊など何もしない単調な生活が続く。それは前頭葉を筆頭に脳の使い方が極端に減る状態なので、いわゆる廃用性の機能低下(今はやりののフレイル。筋肉だけではありません)を起こすというふうに、エイジングライフ研究所は考えます。

認知症にかかっていると公表されたのは2017年88歳の時。取材が始まったのは2018年8月からでした。
どのような生活をなさっていたのか?どのような脳の使い方をなさっていたのか?何がきっかけでナイナイ尽くしの生活に入ってしまわれたのか?
番組が始まったとき、傍らにいた夫が「脳機能でいえばどのくらい?」と尋ねてきました。
その時ちょうど長谷川先生が「曜日の感覚があやふや」といわれました。二段階方式のものさしを当てるとそれは、前頭葉機能は不合格、脳の後半領域の機能も合格ラインを切った状態の時の症状(中ボケレベル)です。ただことばはなかなか説得力のあるものでしたから「そこまでいっていらっしゃるかしら」とちょっと違和感がありました。
その直後に、奥様から「服薬管理ができない」といわれ、納得。服薬管理ができないのは中ボケレベルの脳になるとみられる症状ですから。
そうすると、ナイナイ尽くしの生活はその時点で3~4年続いていたはずです。きっかけは2014年~2015年に起きたのではないかと推理できます。
テレビを見た後にネットで検索してみました。

2009年に高齢者痴呆介護研究・研修東京センター長退職 という情報を見つけることができました。これでは全く合致しません!退職後、5〜6年経ったところで生活が大きく変わってしまうような変化があったに違いありません。そしてその後ナイナイづくしの生活になっていかれた。
その生活ぶりを知ることが「今の長谷川先生」を理解できる一番重要な鍵なのです。そしてその始まりの時にこそ「状況に応じて生活を立て直す」ことが必要であったと思います。
餅ばあちゃんが息子夫婦のガン宣告の時に別人のようになったことを思い出さずにはいられません。そして葛藤の末「餅を作り続ける」と言う生活を取り戻しました。その時、私だけでなくテレビを見ていた人たちは、皆ホッとしたはずです。
番組内では86歳(2016年?)まで診療を続けたといわれていました。2年間でここまでの低下はちょっと早すぎるのではないかと思いました。
一線を退かれてからの生活はなかなか知ることができませんでしたが、精神科医である息子さんのインタビュー記事を発見。
「2006年ごろから川崎市内の診療所で、月数回診療していた。2014年まで」辞められた時のお年は85歳。もともと月に数回の診療だけで長谷川先生の前頭葉は満足されていたのでしょうか?勤務体制の変化はなかったのでしょうか?続けてもうひとつ情報が。
「2017年に転倒し、肋骨と腕を骨折。在宅だったがそこで介助が増えた」
そうです。いったん老化を加速させ始めた時に、さらに安静状態が加わるとさらなる老化は避けられません。骨折から回復されたときにはお仕事もなく単調な生活が続いた、もしくは転倒を恐れてもっと慎重な生活になったかもしれません。

見るからに紳士でいらっしゃった長谷川先生のお姿をよく知っています。
ボケると性格が先鋭化するといわれることはその通りだと思いますが、番組でも、穏やかで優しい人間性を何度もうかがうことができました。ご家族からも慕われた様子もよく伝わってきました。素直なかわいらしいとしか言えないようなやり取りもありました。
認知症専門医として、長い長いキャリアをお持ちですから言葉の応答は、何げなく聞くと、「そうなんですね!」とか「やはり、的確な表現されるな」とか思ってしまいがちですが、行動やごく普通の言動の頓珍漢さを見逃したらいけないと思います。
娘の年齢がわからない、娘の名前を妻の名前と間違える(後で訂正可能)ような状態で社会活動はとても無理。こう言うレベルで、電波に乗せる意味はあるのでしょうか?ハッと気付きました。それなりに言葉を紡ぎ出される。まさにここで惑わされしまうのですね…
講演会では打ち合わせと違う進行をしてしまいお嬢さまがあたふたと処理に追われていましたし、出版物の打ち合わせ会でも関係ないことを滔々と話し出し、お嬢さまが制止しても止まりません。
言葉を出すことはできるが、その場の状況を判断して自分が何をなすべきか判断する前頭葉機能は信じられないほどの低下が起きてしまっている。長谷川先生なら当然保持なさって当然なレベルを遥かに逸脱して。脳はできないことはできませんから。
「間違いを指摘すべきかどうか」というお嬢様の質問に対する主治医の言葉「権威とか威厳とかつぶさないように周りがサポートするように」を聞きながら、「もっと早く手を打つべきだったのに」と悔しく思いました。
今は、権威や威厳を大切にするよりも介助や介護で心地よくいていただくしかないのですから。

番組の最後は「認知症になっても見える景色は変わらない」という長谷川先生のことばの大写しでした。
それも違う…
この仕事をするようになったごく初期に、中ボケだった方のご家族に積極的に、回復のための生活改善指導をしました。
「『変化のある楽しい生活を』といわれたので、わざわざ白糸の滝に連れて行きました。なんといったと思いますか?『あ、滝か』ですよ。一日かけて行ったのに」それでも半年。ご家族の努力は続きました。
「また白糸の滝に行ったのですが、今度はなんと『繊細な滝じゃのう。でもわしはこっちの方が好き』と、音止めの滝を指さしました!」感動は前頭葉がするのです。
小ボケの方々を集めて合宿で脳機能の改善を図るという先駆的な活動にもかかわったことがあります。
その時、合宿が終わるころになると参加者の方々が異口同音に「ここはこんなにきれいなところだったんですね。来たばかりのころはなんだかボーとしていてはっきりしなかったから気にも留まらなかった」とよく言われていました。注意を集中するのも前頭葉機能です。

憶測で文をつづることに抵抗はありましたが、たとえ日本の認知症学会を牽引された方といえども、脳をその人なりに使い続けなければ認知症の道に進むことを知ってほしいと願ったので、重い筆を執りました。
餅ばあちゃんは、93歳でも自分らしく生き続け、そして輝いています。

by 高槻絹子

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