また母親が娘を虐待死させたとの事で逮捕された。
実に悲しい出来事である。
看護養育の義務が有る親が我が子を殺すのである。
父母の愛情に包まれて、育つべき我が子を手に掛けてしまうのである。
我が子は決して親の従属物でも所有物でもない。
無理心中で我が子を殺す場合も悲惨であるが、それ以上に悲しいのが我が子を虐待して死に至らしめる場合である。
児童虐待とか幼児虐待とか単純に親を罰するだけでは問題を解決できない気がする。
児童相談所や警察の不作為には腹が立つが、幼児虐待は親の問題であると断言したい。
今日の新聞にも裁判員制度による幼児虐待により死亡させて父親に懲役11年の判決が下った旨の記事が載っていた。
新しい生命が母のお腹に宿ると地方自治体から母子手帳を頂き母&胎児の健康を見守っていく。
新たの生命の誕生後も定期的な検診で子供の健康面で支えていく。
身体的にはケアーされても、心理的に母親ないしは父親たる両親に掛かる負担は大変である。
ここで言う所の負担は経済的な物ではなくあくまでも心理的な物を述べている。
「親がなくても子は育つ。」と言う諺がありますが、一面真理で一面・・・ある。
「親がなくても子は育つが、子供が居ないと親は育たない。」と言う言葉もあるらしい。
暴力にのみ頼る子育てや躾を行う親は、子供の時に同じ境遇を歩んでいるのである。
良し悪しは別にして、子育ての方法は自分を産み育ててくれた両親だけが手本なのである。
良い手本の親もいれば、悪い手本の親も居るはずである。
親の背中を見て育ってくるのである。
子供は親を選べないと言われる如く、自分を育ててくれた親の姿がお手本なのである。
良い親か悪い親か比べる事も、良い親なのか悪い親なのか判断する材料すらない場合がある。
生まれ育った環境が子供にとって全てなのである。
子育ての方法はかく有るべきと思い、躾と体罰を混同してしまうのである。
悪い父親像として、悪い母親像として、自分は決して親に成ったら「自分の親のようにならないように。」と考える人も居るには居る。
しかし、殆どの親は又同じ事を繰り返して仕舞うのである。
それ以外に方法が存在する事を知らないからである。
最近、問題行動を起こす飼い犬に、トレーナーを付ける飼い主が多くなってきた。
人でも同じで、正しい子供の育て方が分からないのである。
育児書などは勿論あるが視覚的にも脳裏に浮んでくるのは自己の体験である。
叱れば育てられると、叱れば躾になると錯覚してきた体験である。
親も新米の親なのである。
初めて子供との接し方に思考錯誤するのである。
その手本が悪ければ最悪の事態に成る事があるのである。
幼児虐待、児童虐待をするのは子供への躾としての接し方が分からない悲しい親なのである。
その親を救うべく体制を整えなければ幼児虐待は減らない筈である。
どんなに刑罰を重くしても、どんなに児童相談所などの監視体制を強化してもなくなることはないのである。
早く、育て方の分からない親に救いの手を差し伸べる事の出来る体制が必要だと強く感じるからに外ならない。
自分の懺悔を含めて。
2月14日に撮影したご近所さんの梅の花です。
実に悲しい出来事である。
看護養育の義務が有る親が我が子を殺すのである。
父母の愛情に包まれて、育つべき我が子を手に掛けてしまうのである。
我が子は決して親の従属物でも所有物でもない。
無理心中で我が子を殺す場合も悲惨であるが、それ以上に悲しいのが我が子を虐待して死に至らしめる場合である。
児童虐待とか幼児虐待とか単純に親を罰するだけでは問題を解決できない気がする。
児童相談所や警察の不作為には腹が立つが、幼児虐待は親の問題であると断言したい。
今日の新聞にも裁判員制度による幼児虐待により死亡させて父親に懲役11年の判決が下った旨の記事が載っていた。
新しい生命が母のお腹に宿ると地方自治体から母子手帳を頂き母&胎児の健康を見守っていく。
新たの生命の誕生後も定期的な検診で子供の健康面で支えていく。
身体的にはケアーされても、心理的に母親ないしは父親たる両親に掛かる負担は大変である。
ここで言う所の負担は経済的な物ではなくあくまでも心理的な物を述べている。
「親がなくても子は育つ。」と言う諺がありますが、一面真理で一面・・・ある。
「親がなくても子は育つが、子供が居ないと親は育たない。」と言う言葉もあるらしい。
暴力にのみ頼る子育てや躾を行う親は、子供の時に同じ境遇を歩んでいるのである。
良し悪しは別にして、子育ての方法は自分を産み育ててくれた両親だけが手本なのである。
良い手本の親もいれば、悪い手本の親も居るはずである。
親の背中を見て育ってくるのである。
子供は親を選べないと言われる如く、自分を育ててくれた親の姿がお手本なのである。
良い親か悪い親か比べる事も、良い親なのか悪い親なのか判断する材料すらない場合がある。
生まれ育った環境が子供にとって全てなのである。
子育ての方法はかく有るべきと思い、躾と体罰を混同してしまうのである。
悪い父親像として、悪い母親像として、自分は決して親に成ったら「自分の親のようにならないように。」と考える人も居るには居る。
しかし、殆どの親は又同じ事を繰り返して仕舞うのである。
それ以外に方法が存在する事を知らないからである。
最近、問題行動を起こす飼い犬に、トレーナーを付ける飼い主が多くなってきた。
人でも同じで、正しい子供の育て方が分からないのである。
育児書などは勿論あるが視覚的にも脳裏に浮んでくるのは自己の体験である。
叱れば育てられると、叱れば躾になると錯覚してきた体験である。
親も新米の親なのである。
初めて子供との接し方に思考錯誤するのである。
その手本が悪ければ最悪の事態に成る事があるのである。
幼児虐待、児童虐待をするのは子供への躾としての接し方が分からない悲しい親なのである。
その親を救うべく体制を整えなければ幼児虐待は減らない筈である。
どんなに刑罰を重くしても、どんなに児童相談所などの監視体制を強化してもなくなることはないのである。
早く、育て方の分からない親に救いの手を差し伸べる事の出来る体制が必要だと強く感じるからに外ならない。
自分の懺悔を含めて。
2月14日に撮影したご近所さんの梅の花です。
