週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#201 -’11. 初雪

2011年12月09日 22時43分35秒 | 原村の自然など
東京は今シーズン初めての降雪のようである。
上空の空が氷点下で雨が雪に変わり、地上に降り注いでくる。
従って、地上の外気温が必ずしも氷点下である必要はない。
2~3℃程度であれば、融ける事無く雪として降ってくる。
スタッドレスタイヤでもないし、タイヤチェーンも積んでいない。
原村の雪が気になるところである。

原村の公式HPでの外気温の表示が-3.6℃と表示されている。(午後10時42分現在)
いくら寒くても関係ないが、今回は雪だけは無いことを願ってしまう。

因みに、東京の我が家の外の外気温は+5℃です。
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#200 -’11. 自然の中でのロングステイ

2011年12月09日 22時40分27秒 | 別荘生活
図書館で海外ロングステイや田舎暮らし(日本国内)の 書籍を借りて読み漁っている。
最初に借りた本が面白かったのでついついご近所の棚に並んでいる本に手が伸びてしまう。
これも原村に行けない反動なのかも!

”ロングステイ”と”田舎暮らし”が”別荘生活”と相通じる所を感じるので、カテゴリーを別荘生活に分類した。

今回はタイトルにもあるように自然の中でのロングステイの記事で目に留まった所を抜粋した。
本のタイトルは『カナダ生き生き老い暮らし』である。
著者はカナダに永住を覚悟で歳をとられてからのロングステイを敢行したご婦人の娘さんである。
自分の母の体験を中心に書かれている。
著者のサンダース・宮松敬子は国際結婚されてカナダに定住しているから、お母様はロングステイしやすい環境ではあったかも知れない。
そんな家族構成があるにしても、素晴らしいバイタリティーの有るご婦人であることに違いはない。

それでは本の一部を抜粋させて頂きます。


自然が多く残るカナダの典型的な郊外での生活
  我が家の場合は奥行きのある細長い土地で、前庭の車寄せだけで75メートルあり、敷地全体は約三分の一エーカー(約400坪)ほどの広さがあった。
 カッコウやキツツキの鳴き声で目を覚まし、フクロウのくぐもった声で夜を迎える自然のたたずまいはなんともすがすがしく、昼間はブルージェー(アオカケス)、カーディナル(ショウジョウコウカンチョウ)、ハミングバード(ハチドリ)、そのほか名も知らない鳥たちが年中庭にやってくる場所柄である。
「まるで軽井沢にでも住んでいるようね」と母は口癖のように言っていたが、住むほどに、自然との共生とはいつも外の仕事が山ほどある生活を意味するものだということを知るようにもなった。それは、かいてもかいても積もる冬の雪かき、抜いても抜いても出てくる春のタンポポ抜き、刈っても刈っても生えてくる夏の芝刈り、そして掃いても掃いてもたまる秋の落ち葉集めとの闘いを指すのである。その差こそあれこれは自然が多く残るカナダの典型的な郊外の生活なのだ。


峠の我が家の四季を思い出してしまう記述にソウダ、ソウダと相槌を打ってしまう。
原村に永住している訳ではないがこれからの季節、降雪があれば雪かきに追われる。
それこそ道路は除雪してくれるとしても敷地内は雪かきせねばならない。
降った直ぐ後でもこんこんと降り積もる時はそれこそ除雪したのが意味が無いが如くである。
降ってから時間が経過した雪は硬くなり、雪かきも骨が折れる。
降って柔らかいフワフワの内にかいてしまわねばならない。
雪かきの場所も玄関から道路までと、敷地内の駐車場所から道路まで。
その上、デッキに降り積もった雪もかかねばならぬ。

秋の落ち葉を掃き清めていないから該当しないが、春のタンポポは我が家でもうんざりしてしまう。
永住でなくても別荘ですら行けば外の作業は確かに山ほどある。
都会から週末に別荘に行くだけなら外の作業も苦にならない。
都会では味わうことの無い実に新鮮な体験の感じで、その作業を黙々とこなすこと自体がストレスの発散の場になる。

でも、別荘生活と永住となると話は別かもしれない。
カナダへの観光旅行とカナダへのロングステイの違いと同じかも。


野生動物と共存するには
  引っ越して初めて迎える夏は、母にとってもすべてが新鮮で興味の尽きない経験の連続だった。日差しの強くなったころを見計らって、ひろびろした裏庭に「野菜を植えようと!」決心し、意気揚々と土を耕し、キュウリ、ナス、トマト、サヤインゲンなどの苗を作付けした。
 母は、「なんだか戦争中を思い出すわ」などと言いながら、久しぶりの土いじりの楽しさを味わい、毎朝外に出ては少しづつ伸びる苗の成長に喜びの声をあげていた。
 しかし野菜がくるぶしほのの高さに伸びると、野ウサギがやってきて根こそぎ食べてしまう。歓喜の声はじきに、「あら!またやられた!」という落胆の声に変わってしまった。くやしくてまわりの家の庭を見ると、野菜畑にはきちんと腰ほどの高さの金網の柵が張り巡らされていた。
 野生動物は野ウサギばかりではない。
 生ゴミを外に置いてちょっと忘れているとラクーン(アライグマ)に食い荒らされるし、リスやビーバーやカワウソやスカンク、そしてキツネにいたるまでがプールに水を飲みに来るのである。
 それは日本の都会では想像も出来ない、うれしいけど大変な、楽しいけれど手間のかかる自然との共存生活である。


原村では野ウサギ被害より鹿の食害のほうが多いようだ。
野ウサギの姿を見たことは無いが、雪の積もった時に足跡を何度も見ているから生息はしているようである。
原村ではキツネも数度見かけた事はあるが、ラクーンは見かけたことがない。
また、猿が生息していないことが幸いであるが、山梨の20号沿いには生息しているようであるから、生息域を広げてくるのも時間の問題かもしれない。
ラクーン(アライグマ)はペットで飼って飼育できなくなり、飼育放棄しされたものが都会周辺には数多く生息している。
日本の野山に増えないことを祈るのみである。
野生動物に餌を与えるなどもっての他であるが、管理事務所からの注意書きに実の成る木や作物などは収穫するようにと。
収穫せずにほって置くと野生動物を呼び寄せてしまうとの注意があった。
我が家でも最近、自然の木々の木の実は別にしてブルーベリーとジュンベリーの実を収穫しょうと思っている。
でも、数粒から数十粒であるから実害もないようである。
本来自生していない草花を植える事で鹿などの個体数を増やす手助けをしているのか気になるところである。

そんな自分の姿と本の中の体験がオーバーラップしてきた。


コメント (2)
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