爽やかの原村のブログの記事ではありません。
中・高齢者に取ってはいやみな記事ですから、スルーするも読むも自己責任で。
食い逃げ世代は何処のところから指すのか正確には知らない。
知らないのに食い逃げ世代について論及するなんてもってのほか、かもしれない。
でも、そこは天邪鬼の勝手なブログだから言うが勝ちと言うことで勝手な・・・・・・を。
食い逃げ世代に当たる方は読まない方が良いと思いますよ。
自分もドップリこの食い逃げ世代に入るのかもしれないが、自己中の塊です。
食い逃げ世代なのに勝手気ままにつらつらと。
五十代後半かそれとも団塊の世代から上の昭和世代が一般的に言われている食い逃げ世代かも。
何を食い逃げしているのでしょうか。
食堂に入り代金を払わないで食い逃げする割合が高い世代と言う事ではありません。
常識も社会経験をつんだ高齢世代がスパーで万引きする割合が高いために言われている訳でもありません。
自分たちが社会に施した出費より、社会から受ける給付の方が多い世代です。
それが食い逃げ世代と言われる団塊の世代から上の世代です。
社会福祉と言えば日本では高齢者に対する福祉を指す程偏っている。
そもそも、この食い逃げ世代の事を書こうと思ったのが、子供手当ての変更の記事を多く見かけるようになってからである。
地方自治体の財政も、国家財政も破綻の状況の中での予算編成である。
今まで、子供に出していた負担分をこの財源の一部に廻して貰うべく計画立案すると拒否する自治体が多く出てきた。
予算の裏付けも無いのに、計画実施する政府。
人気の無い政府に反対することが良いことであるかの如くの地方自治体。
こんな昨今の流れを見ていて書き始めた内容であるから、爽やかな記事で無いことは勿論である。
人口ピラミッドが高齢者に偏移していく日本の国にあって、厚生年金など今までの給付条件が変わらなくても財政は逼迫していく。
福祉と言えば高齢者に対する福祉がいとも自然に感じる昨今。
美味しい汁を吸ってきた高齢者。
少ない働き手によって将来を支えてもらう高齢者ないしは高齢者予備軍。
ご近所でも高齢者のディサービスの送迎に沢山の福祉団体や協議会の車を見かける。
競艇の慈善団体からの寄贈を受けた事がペイントされた車で走り回っている。
義母も女性の平均寿命に近づいた昨年からディサービスに行くようになったようである。
歩行困難な高齢者もいるかもしれない。
歩いて福祉施設など高齢者は行けないのであろうか。
保険とは言え、そこまで過保護にしないと行けないのであろうか。
それ程、高齢者は優遇されているのに、幼い子を保育園に送り迎いする子供が雪の日に
事故に遭遇した。
自転車に乗せて二人の子供を送るときに雪に転倒したためである。(以前に書いた書きかけ状態はここまで。)
今年の2月に書き始めて筆が止まっていたのが上のところである。
下書き状態で留め置いていても、書く熱意が失せてしまった。
鉄は熱い内に打たねばなならないことを痛感する。
尻切れトンボであるが、結論を書くことにする。
死なない程度に高齢者の年金を下げる事や色々の給付を抑え、幼い若い世代に福祉の手を差し伸べるべきであると感じている。
ニューヨークや世界の各地で持てる者と持てない者の階層間の闘争が始まりかねない状況である。
日本においては負担の重い若い世代と、美味しい汁を吸い尽くす高齢者との世代間の闘争に発展しないことが不思議なぐらいである。
姨捨山に老人を捨てろとは言わないが、若い世代に夢をいだける世を残さねば。
高齢者が不の財産のみを若い世代に残して良い訳がない。
中・高齢者に取ってはいやみな記事ですから、スルーするも読むも自己責任で。
食い逃げ世代は何処のところから指すのか正確には知らない。
知らないのに食い逃げ世代について論及するなんてもってのほか、かもしれない。
でも、そこは天邪鬼の勝手なブログだから言うが勝ちと言うことで勝手な・・・・・・を。
食い逃げ世代に当たる方は読まない方が良いと思いますよ。
自分もドップリこの食い逃げ世代に入るのかもしれないが、自己中の塊です。
食い逃げ世代なのに勝手気ままにつらつらと。
五十代後半かそれとも団塊の世代から上の昭和世代が一般的に言われている食い逃げ世代かも。
何を食い逃げしているのでしょうか。
食堂に入り代金を払わないで食い逃げする割合が高い世代と言う事ではありません。
常識も社会経験をつんだ高齢世代がスパーで万引きする割合が高いために言われている訳でもありません。
自分たちが社会に施した出費より、社会から受ける給付の方が多い世代です。
それが食い逃げ世代と言われる団塊の世代から上の世代です。
社会福祉と言えば日本では高齢者に対する福祉を指す程偏っている。
そもそも、この食い逃げ世代の事を書こうと思ったのが、子供手当ての変更の記事を多く見かけるようになってからである。
地方自治体の財政も、国家財政も破綻の状況の中での予算編成である。
今まで、子供に出していた負担分をこの財源の一部に廻して貰うべく計画立案すると拒否する自治体が多く出てきた。
予算の裏付けも無いのに、計画実施する政府。
人気の無い政府に反対することが良いことであるかの如くの地方自治体。
こんな昨今の流れを見ていて書き始めた内容であるから、爽やかな記事で無いことは勿論である。
人口ピラミッドが高齢者に偏移していく日本の国にあって、厚生年金など今までの給付条件が変わらなくても財政は逼迫していく。
福祉と言えば高齢者に対する福祉がいとも自然に感じる昨今。
美味しい汁を吸ってきた高齢者。
少ない働き手によって将来を支えてもらう高齢者ないしは高齢者予備軍。
ご近所でも高齢者のディサービスの送迎に沢山の福祉団体や協議会の車を見かける。
競艇の慈善団体からの寄贈を受けた事がペイントされた車で走り回っている。
義母も女性の平均寿命に近づいた昨年からディサービスに行くようになったようである。
歩行困難な高齢者もいるかもしれない。
歩いて福祉施設など高齢者は行けないのであろうか。
保険とは言え、そこまで過保護にしないと行けないのであろうか。
それ程、高齢者は優遇されているのに、幼い子を保育園に送り迎いする子供が雪の日に
事故に遭遇した。
自転車に乗せて二人の子供を送るときに雪に転倒したためである。(以前に書いた書きかけ状態はここまで。)
今年の2月に書き始めて筆が止まっていたのが上のところである。
下書き状態で留め置いていても、書く熱意が失せてしまった。
鉄は熱い内に打たねばなならないことを痛感する。
尻切れトンボであるが、結論を書くことにする。
死なない程度に高齢者の年金を下げる事や色々の給付を抑え、幼い若い世代に福祉の手を差し伸べるべきであると感じている。
ニューヨークや世界の各地で持てる者と持てない者の階層間の闘争が始まりかねない状況である。
日本においては負担の重い若い世代と、美味しい汁を吸い尽くす高齢者との世代間の闘争に発展しないことが不思議なぐらいである。
姨捨山に老人を捨てろとは言わないが、若い世代に夢をいだける世を残さねば。
高齢者が不の財産のみを若い世代に残して良い訳がない。