パリでのテロ事件。
エジプトでのロシア機の爆破事件。
どれをとっても痛ましく、悲しい出来事である。
その悲しみは、その事件の被害にあった人の多さで計れるものでは無い。
しかし、被害者の多さから言えばアメリカの9.11は多数に亘った。
それも宣戦布告する事無しに、戦闘員即ち兵士でもない一般人に銃口が向けられているのである。
それがテロであると言ってしまえばその通りであるが。
戦争であっても、無差別爆撃によって戦士でない罪もない民間人が犠牲になりだした第二次世界大戦(スペイン内戦を含む)。
幾多の紛争でも戦争でも非戦闘員が巻き添えを食って被害に会う事が多くなった近代戦。
民間人である非戦闘員が犠牲になれば成る程、加害者である国の軍隊への憎悪が増してくる。
一般人がテロの被害になると犯罪に会った悲劇の人々として世界から哀悼の意が示される。
情報の氾濫する現代社会において自分達が見ている社会、世界は実像でしょうか?との問いかけです。
テロを肯定している訳ではありません。
世界で紛争などにより人命が失われている現在、正しい情報を私たちは持っているのでしょうか。
それは自分は正しい情報を持って正しい判断をしているとの錯誤の中に有るのではないのでしょうか?
国家が国民を操る積りで情報を操作しても必ず漏れる現代社会ですから、私たちは正しい情報を得ているとの錯覚に陥っていないでしょうか?との自責の念です。
ベルリンの壁が崩壊したのが1989年ですから、既に30年弱経とうとしています。
誰でも知っているこの壁と同じ壁がパレスティナには造られているのです。
シリアでの内戦の現実もトルコ等中東でのクルド人の扱いなど、メディアの対象に成らない情報は私達の耳や目には入ってこないのです。
それでも世界中に生活している人たちが存在しているのです。
パリでのテロもその他の国のテロもニュースバリーが有るか無いかのスクリーンが掛かり選別されているのです。
その情報の格差が益々増大してきていると感じるのは自分だけでしょうか。
ニュースは嘘をついてはいません。
でも、そのニュースにニュースバリューと言う基準が付いて回るのです。
価値の無いと思われるものは私達の所迄伝わってこないのです。
それが情報格差なのです。
世界の主要国がニュースの発信源でなければ、ニュースとしての価値が無いのです。
如何にその国民が独裁者によってしりたげられようが、人権を踏みにじられようがです。
生命を賭して紛争地域に入り正しい情報を流せたとしてもその情報は亜流なのです。
大国や超大国のメディアの力には勝てないのです。
好むと好まざるに拘らず、私たちはスクリーニングされたニュースを見聞きしているのです。
ニュースが溢れ何でも手に入ると思っているなら、それは錯覚であり錯誤です。
手に入れる目が有り気持ちが無ければ入らない世界になってきているのが現実です。
後日加筆構成します。
エジプトでのロシア機の爆破事件。
どれをとっても痛ましく、悲しい出来事である。
その悲しみは、その事件の被害にあった人の多さで計れるものでは無い。
しかし、被害者の多さから言えばアメリカの9.11は多数に亘った。
それも宣戦布告する事無しに、戦闘員即ち兵士でもない一般人に銃口が向けられているのである。
それがテロであると言ってしまえばその通りであるが。
戦争であっても、無差別爆撃によって戦士でない罪もない民間人が犠牲になりだした第二次世界大戦(スペイン内戦を含む)。
幾多の紛争でも戦争でも非戦闘員が巻き添えを食って被害に会う事が多くなった近代戦。
民間人である非戦闘員が犠牲になれば成る程、加害者である国の軍隊への憎悪が増してくる。
一般人がテロの被害になると犯罪に会った悲劇の人々として世界から哀悼の意が示される。
情報の氾濫する現代社会において自分達が見ている社会、世界は実像でしょうか?との問いかけです。
テロを肯定している訳ではありません。
世界で紛争などにより人命が失われている現在、正しい情報を私たちは持っているのでしょうか。
それは自分は正しい情報を持って正しい判断をしているとの錯誤の中に有るのではないのでしょうか?
国家が国民を操る積りで情報を操作しても必ず漏れる現代社会ですから、私たちは正しい情報を得ているとの錯覚に陥っていないでしょうか?との自責の念です。
ベルリンの壁が崩壊したのが1989年ですから、既に30年弱経とうとしています。
誰でも知っているこの壁と同じ壁がパレスティナには造られているのです。
シリアでの内戦の現実もトルコ等中東でのクルド人の扱いなど、メディアの対象に成らない情報は私達の耳や目には入ってこないのです。
それでも世界中に生活している人たちが存在しているのです。
パリでのテロもその他の国のテロもニュースバリーが有るか無いかのスクリーンが掛かり選別されているのです。
その情報の格差が益々増大してきていると感じるのは自分だけでしょうか。
ニュースは嘘をついてはいません。
でも、そのニュースにニュースバリューと言う基準が付いて回るのです。
価値の無いと思われるものは私達の所迄伝わってこないのです。
それが情報格差なのです。
世界の主要国がニュースの発信源でなければ、ニュースとしての価値が無いのです。
如何にその国民が独裁者によってしりたげられようが、人権を踏みにじられようがです。
生命を賭して紛争地域に入り正しい情報を流せたとしてもその情報は亜流なのです。
大国や超大国のメディアの力には勝てないのです。
好むと好まざるに拘らず、私たちはスクリーニングされたニュースを見聞きしているのです。
ニュースが溢れ何でも手に入ると思っているなら、それは錯覚であり錯誤です。
手に入れる目が有り気持ちが無ければ入らない世界になってきているのが現実です。
後日加筆構成します。