家内に案内してもらった幡随院長兵衛の名セリフ「お若(わけ)いのお待ちなせえ」の見得をきるところと白井権八(平井権八)小紫の比翼碑です。
歌舞伎では未だ、拝見したことはありませんが、『白井権八』と新吉原の遊女の『小紫』と昵懇の中であり悲しいお話です。
ウキペディアの平井権八の項から一部引用させて頂きます。
明暦元年(1655年)に生まれた、とされる。「享年25」からの推測である[1]。父は平井正右衛門。
因幡国鳥取藩士であったが、数え18歳の1672年(寛文12年)秋、父・正右衛門の同僚である本庄助太夫(須藤助太夫とも)を斬殺して、江戸へ逃亡(退去とも)した。新吉原の三浦屋の遊女・小紫と昵懇(じっこん)となる。やがて困窮し、辻斬り(強盗殺人)を犯し、130人もの人を殺し、金品を奪ったとされる。権八は、目黒不動瀧泉寺付近にあったとされる普化宗東昌寺(現在廃寺)に匿われ、尺八を修め虚無僧になり、虚無僧姿で郷里・鳥取を訪れたが、すでに父母が死去していたことから、自首したとされる。
1679年12月5日(延宝7年11月3日)、品川・鈴ヶ森刑場で刑死した。享年25(満23-24歳没)。小紫は刑死の報を受け、東昌寺の墓前で自害したとされる。同寺に「比翼塚」がつくられたが、同寺が廃寺となったため移転し、目黒不動瀧泉寺(東京都目黒区下目黒)の門前に現存している。
ー六郷の渡しを背景に見得をきる白井権八・歌舞伎「鈴ヶ森」ーからの名セリフを引用させていただきます。
歌舞伎・白井権八の有名な台詞(セリフ)とは……
この白井権八は昭和時代以前の人にとって、一度は使ったり、聞いた事のある、よく知られた舞台台詞である。江戸に向かう白井権八が鈴ヶ森にさしかかると、お尋ね者を捕らえ、賞金を手に入れようとする雲助達に取り囲まれて、大立ち回りとなる。斬りつける雲助を鮮やかに切り伏せる白井権八。
その時の台詞、「キジも鳴かずば切られまいに…」(白井権八)と言う。それを駕籠の中から見ていた幡随院長兵衛が声をかける、「お若いのお待ちなせえやし」「待てとおとどめなさるしは拙者がことでござるかな」(白井権八)「さようさ。鎌倉方のお屋敷へ、多くの出入りのわしが商売、それをかこつけ有りようは、遊山半分江ノ島から、片瀬へかけて思わぬ暇取り、どうで泊まりは品川と、川端からの帰り駕籠、通りかかった鈴ヶ森、お若えお方のお手のうち、あまり見事と感心いたし、思わず見とれておりやした。お気づかいはございませぬ。まァ、お刀を納めなせえまし」答える幡随院長兵衛の名場面である。
比翼碑の比翼とは気になる方は「比翼連理」を調べてみて下さい。
比翼塚です。
比翼塚として祀られている所は目黒不動尊の前ですがご覧の通り小さいですから、この辺りと言う事でお見落としなきよう。
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1 コメント
コメント日が
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- Unknown (名乗るほどのものではござらん)
- 2025-01-27 00:24:56
- 小柴ねぇ、小紫だとばかり思ってたけど
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