生物学的に人種を分ける事は可能ですが、長い月日が経ち世界各地を流浪する内にユダヤ人と言う言葉の意味を持たなくなりました。
即ち極論すればユダヤ人たる一定の土地に居住し一定の人種的遺伝子をもち、一定の価値観を持ち、一定の言語を使用してコミュニケーションを図るなどの定義は意味をなさなくなりました。その中でユダヤ人が2000年の長きにわたり変わる事が無かった事はユダヤ教を信じる事です。
ユダヤ人とはシナゴーグで礼拝し宗教的な統一を持つ集団がユダヤ人と定義すべきだと思っています。
ユダヤ人 = ユダヤ教を信じる人々
(白人も、黒人も、黄色人種も含む総ての人々をです。ユダヤ教信者であるかの一点です。)
書きかけです。
人類は、先史以前より流浪の民、金髪の日本人がいます。生まれも育ちも日本、会話は普通の日本語。地球に住む人々は、地球国の、地球人。ウクライナが敗戦でロシアとなること、日本の別姓を認めないこと同じような気がしてきました。両国の指導者は、戦いを強い、尊い万単位での死傷者と建築物の破壊でガレキの山です。指導者だけが生き残って、社会福祉の充実していない日本、私は、お国の為とは思いません。戦場に駆り出されるのは低所得層の弱い人々、わたしは逃げるか、自滅するかになるでしょう。 K.M
20世紀のファシストの大量殺戮から戦が変化した気がします。(蒙古などを別にしてですが。)
戦闘員と非戦闘員が別になって両軍相対していた気がします。即ち戦をする人は戦闘員に限定していた。
それがゲルニカの悲劇の作品の如く、非戦闘員も無差別に殺戮されだし、戦争犯罪が止むことが無く続いているのが残念でなりません。
殺戮の末にパレスチナは国土を失い流浪の民になるのも長い歴史からすればホンノ一瞬かもと危惧しています。
非戦闘員たる民間時を殺戮すべきでは無いなどの抗議活動は念佛にしか過ぎないと思っています。
アメリカと一心同体のユダヤは最後まで殺戮を繰り返すと思っています。
東京大空襲や機関銃により地上への射撃など民間人に向けられたことが何も問題にならない太平洋戦争時です。(東京裁判で戦犯としてB/C級として裁かれましたが)
国家においては戸締りを怠れば泥棒は必ず忍び寄ると思うようになった昨今です。
コメントのご返事になったかわかりませんが、平和な世が続く事を願っています。
コメントありがとうございます。
機銃掃射や
壕に逃げ込んだ女子供もいっしょに焼き殺した沖縄でのせんそうなど
今のパレスチナや ウクライナと
なんら 変わっていない、、としみじみ思います〜
戦争には 倫理や正義と定義は存在しませんね〜
それが「戦争」ですね〜
夫は 闘い尽くしてしか
終わりはないだろうと
いいます〜
国連も無力です、、
非戦闘員たる民間人を殺す事は本来戦争犯罪にあたる筈ですが、沢山の民間人が残虐な殺戮にあいまいました。(太平洋戦争時)
それでも、戦勝国である連合国(米国)は裁かれる事がありませんでした。
それどころか法律の大前提である事後法によって罰さられる東京裁判(A級戦犯)でした。
インドのパール判事のみ異をとないた立派な主張もとおりませんでした。
勝者のみが裁く事の出来る現実を目の当たりにしました。
今のパレスチナもウクライナも同じと自分も感じます。国家を超越した正義が通る組織体があれば、正義が施行できるかもしれませんが。その力は国連にはありません。個人的には集団軍事組織であるNATOに期待する一面を感じて居ます。その為には日本もNATOの一員にならねばなりませんが。
核を持つ近隣諸国からアメリカは日本を本当に防衛出来る力を発揮できるのか疑問の時があります。国際的な政治力や自国優先の政治などにより血をながしてくれるのでしょうか。(日本も最大限の尊い規制を払いますが。)
基本的には只一つの同盟国のアメリカですから、信じてはいますが、多国間の同盟に勝るものは無いと信じています。
日本人は知れば知る程、善人の集まりの集団だとおもいます。勿論、悪人もいますが基本的に善人の集まりだと強く感じます。
何時もコメントありがとうございます。
今日もいい天気のようですね。