HAKUSANーBOYS&GIRLS

東洋大学・駅伝・アイスホッケー・チャーリーブラウン・舟木一夫・時には時事問題なども。2008年4月11日開始

「TOYOの熱血」(東洋大学野球部監督 髙橋昭雄監督著)購入しました。13型の指揮官?

2018年07月05日 22時06分00秒 | 野球

先日のブログでも少し触れましたが、46年の長きに渡り東洋大学硬式野球部の監督を務められ、昨年退任した髙橋昭雄氏著の〝TOYOの熱血〟を購入しました。苫小牧の書店で予約注文しておいたのです、今日入荷したとの連絡が入り、

仕事終了後に勝って来ました。

       

高橋監督は大学卒業後に日産自動車に勤めながら、野球もやっておりましたが、名将野本喜一郎さんが東洋大学の監督の座を退いてから、成績が振るわず、社会人1年目の高橋氏に白羽の矢が立ったものです。

23歳で監督に就任した時は、当時の4年生が2歳年下だったと言いますから、東都大学史上最年少の監督だったのでは無いでしょうかね?

髙橋さんに関しては、彼が元駒澤大学監督の太田誠さんの東都1部での通算勝利数を抜いた時から、その46年間の野球人生、プロや社会人に進んだ選手などが様々紹介されていますので、今回購入した本にも目新しい事実は無かったのですが、それでも、「ああ、髙橋監督は、こんな考えだったのか⁉」 と考えさせられる事がいくつかありました。

私も長い間母校東洋大学野球部を応援して来ましたが、優勝した時、最下位になった時、2位が連続した時など当時はこんな選手がいたんだ!と懐かしい思いで一杯です。

23歳で母校の監督になり、1年間社会人野球を経験し、69歳まで東洋大学の監督を務めた訳ですから、もう野球しか知らない人だとも言えるでしょう。学生時代の4年間を含めると50年間 『TOYO』 のユニフォームを着続けた事になります。

46年やってれば、駒澤の太田監督の通算勝利数も抜けるのは当然と言えば当然です。誰が見ても東都大学野球史上一番の名将は、「太田誠駒澤大学監督」 だと思いますが、髙橋監督は東都大学野球の一番の名物監督だと言えるのではないかな?

髙橋監督の血液型はB型です。B型には変人が多いと言われていますが、髙橋監督と旧知の間柄の元日大の監督さんは(名前が出て来ません) はB型の中でも普通のB型ではなく、かなり変わった変形のB型であると言って、髙橋監督の事を13型の人と言ったそうな・・・。(何年か前の雑誌〝野球小僧〟)
「B」を分解すると「13」になりますのでね。    
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月4日(水)のつぶやき

2018年07月05日 03時40分51秒 | つぶやき(twitter)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする