人間・心・集団の学習6 構造論「人格・心・インターフェイス」
いろいろ考えた末に、人間の構造を「人格+能力」で考える構造論を修正します。
安冨歩さんと本條晴一郎さんの共著『ハラスメントは連鎖する』光文社新書(「本と映像の森31」で一部のさわりを紹介)では、生まれたばかりの赤ちゃんは「人格=魂」としてとらえ、その後の学習によって、魂のまわりにインターフェイス(仲立ち)が発達し「人格=魂+インターフェイス」となるとの説でした。
最近、思い始めたのは、これだと人間の「意識」「心」はどこにあるのだろうか、揺らぎ、悩む心、表面意識は、個々の人間の「魂」「人格」とはすこし違うのではないか、というのが出発点です。
そこで、やはり、人間の中心になる「魂=人格」と、自然環境や他人とのコミュニケーションの装置である「インターフェイス」の間に、もう一つ、1段階入れないと、リアルではないと思うようになりました。
つまり、人間精神(「精神」という概念でいいかどうかわかりませんが)を、
① 中心の、決定権のある司令塔としての人格(魂・霊性)+
② ①と③をいったりきたりして、悩み苦しむ表面的意識・心+
③ 外界(自然と人間)を仲立ちするインターフェイス
③A 受信能力(第1次信号系も言語=第2次信号系も)
③B 発信や労働能力
以上、3つの重なったもの、と、とらえたいと思います。
みなさん、どうでしょうか?
いろいろ考えた末に、人間の構造を「人格+能力」で考える構造論を修正します。
安冨歩さんと本條晴一郎さんの共著『ハラスメントは連鎖する』光文社新書(「本と映像の森31」で一部のさわりを紹介)では、生まれたばかりの赤ちゃんは「人格=魂」としてとらえ、その後の学習によって、魂のまわりにインターフェイス(仲立ち)が発達し「人格=魂+インターフェイス」となるとの説でした。
最近、思い始めたのは、これだと人間の「意識」「心」はどこにあるのだろうか、揺らぎ、悩む心、表面意識は、個々の人間の「魂」「人格」とはすこし違うのではないか、というのが出発点です。
そこで、やはり、人間の中心になる「魂=人格」と、自然環境や他人とのコミュニケーションの装置である「インターフェイス」の間に、もう一つ、1段階入れないと、リアルではないと思うようになりました。
つまり、人間精神(「精神」という概念でいいかどうかわかりませんが)を、
① 中心の、決定権のある司令塔としての人格(魂・霊性)+
② ①と③をいったりきたりして、悩み苦しむ表面的意識・心+
③ 外界(自然と人間)を仲立ちするインターフェイス
③A 受信能力(第1次信号系も言語=第2次信号系も)
③B 発信や労働能力
以上、3つの重なったもの、と、とらえたいと思います。
みなさん、どうでしょうか?