雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

人間・心・集団の学習6 構造論「人格・心・インターフェイス」

2010年05月05日 05時10分11秒 | 人間・生命・宇宙
人間・心・集団の学習6 構造論「人格・心・インターフェイス」

 いろいろ考えた末に、人間の構造を「人格+能力」で考える構造論を修正します。

 安冨歩さんと本條晴一郎さんの共著『ハラスメントは連鎖する』光文社新書(「本と映像の森31」で一部のさわりを紹介)では、生まれたばかりの赤ちゃんは「人格=魂」としてとらえ、その後の学習によって、魂のまわりにインターフェイス(仲立ち)が発達し「人格=魂+インターフェイス」となるとの説でした。

 最近、思い始めたのは、これだと人間の「意識」「心」はどこにあるのだろうか、揺らぎ、悩む心、表面意識は、個々の人間の「魂」「人格」とはすこし違うのではないか、というのが出発点です。

 そこで、やはり、人間の中心になる「魂=人格」と、自然環境や他人とのコミュニケーションの装置である「インターフェイス」の間に、もう一つ、1段階入れないと、リアルではないと思うようになりました。
 
 つまり、人間精神(「精神」という概念でいいかどうかわかりませんが)を、
 ① 中心の、決定権のある司令塔としての人格(魂・霊性)+
 ② ①と③をいったりきたりして、悩み苦しむ表面的意識・心+
 ③ 外界(自然と人間)を仲立ちするインターフェイス
  ③A 受信能力(第1次信号系も言語=第2次信号系も)
  ③B 発信や労働能力
 以上、3つの重なったもの、と、とらえたいと思います。

 みなさん、どうでしょうか?