雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

本と映像の森43 一色登希彦『日本沈没3 D計画』の2

2010年05月26日 05時33分06秒 | 本と映像の森
本と映像の森43 一色登希彦『日本沈没3 D計画』の2

 「日本沈没」は、最初の「新宿異変」の次に、1月1日元旦の、伊豆大島三原山の大規模爆発が起こります。
 初日の出を見るために、小野寺さんと玲子さんは、相模湾の海岸に居てしまいます。

 玲子さんが小野寺さんに必死に言います。
 「助けたいの……ひとりでもいい…助かるかもしれない人を助けたいんだよう…
  私は(レスキューだから)そうしないわけにはいかないの…
  小野寺くん、あなたも…あなたもそうなんじゃないの?!」

 可能な限り他人との接触を回避し、一人孤独に生きようとする小野寺さんの心を
 揺さぶる玲子さんの熱い言葉!
 
 以下、著者が表面に出た語りです
 「災害を前にした時の近代社会の大きな問題点の一つにー
 災害が目前に迫っているはずの人々が「なかなか逃げない」という特徴がある」

 p72にあげられている参考文献を、まだ読んでいないのですが、紹介しておきます。
 広瀬弘忠さん著『人はなぜ逃げ遅れるのか ー災害の心理学』集英社新書
 同じく広瀬弘忠さん著『災害に出会うとき』朝日新聞社、単行本
 
 玲子さんが、ちょうど近くにいた車のクラクションを鳴らし続けて、叫びます!
 「みんなっ!!
  津波が来るっ!!!
  高い所へ逃げろォっ!!!」

 「意味不明のクラクションから 正しく 危機を読み取ったわずかな者だけが
  〝避難行動〟を取った。単独、あるいは2人連れという〝少人数〟だけが
  機敏に動いた。」

 第3巻の想定では「死者・行方不明者21万3000人は、いまだ非公式概算である。」

 前年のほとんど報道されなかった「新宿事象」の次に起きた「相模湾地震・大津波」から、この物語は大きく動き始めます。
 まずは「D計画(政府版)」の発足へ。

 最初「この第3巻の紹介をもう1回、「丸石神」についてします」と書きましたが、古代史の方に,別途、後で書きます。

雨宮日記 5月25日(火) 黄砂の影響・北朝鮮魚雷の影響

2010年05月26日 05時14分44秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 5月25日(火) 黄砂の影響・北朝鮮魚雷の影響

 今日、午後起きると、最近は毎日、台所で事務処理をしているか、本を読んでいるか、台所を「している」かのN子さんが「おはよう」と言い、ぼくが「おはようございます」と言うのが日課になりました。
 こういう情景って、結婚して30数年間で、めったにないことで、お互い、すれちがい生活と交換ノートやメモ・「○○通信」で処理してきたので、こういう風に声を聴き合える時間に、感謝しています。

 N子さんが「アクト(タワーのこと)が煙って見えるみたい」というので、調べてみたら、やはり黄砂でした。

 こういう中国の環境異変や、朝鮮半島の異変が、ぼくたちの身近に感じる、というより、ヒシヒシと危機感を感じるこの頃です。

 韓国海軍の沈没事件で、最初、ぼくが違和感を感じたのは、韓国海軍が北朝鮮との国境線ラインのすぐ間近にいて、最大警戒態勢ではなかったの?ということでした。
 あまりにも、何の予知もなく、突然、沈没では、あまりにも、と思ったのです。

 そうしたら、ヤフーで産経新聞の「想定を越えた北の魚雷能力」という記事を見ました。
 まるで1941年12月8日の「想定を越えた日本軍の魚雷能力」という話の焼き直しのようだと思いました。
 いつでも、どこでも、想定「敵軍」の実際能力の軽視が起こるのですね。

 沖縄の米軍基地群や普天間基地の問題にもからんでくるので、「軍事力」「防衛力」「抑止力」やその目的・実態など、この雨宮ブログでも事実と論理に沿って、考えていきたいと思います。