雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

本と映像の森40 古田武彦さん『失われた九州王朝』ミネルヴァ

2010年05月17日 05時31分56秒 | 本と映像の森
本と映像の森40 古田武彦さん『失われた九州王朝 ー天皇家以前の古代史ー』<古田武彦古代史コレクション2>、ミネルヴァ書房、2010年2月20日、559ページ、定価2800円+消費税

 古田武彦さんという名前をここに書くと、なんとも言えない、甘酸っぱいような、つまり甘さと酸っぱさが同居した気分になります。
 
 1970年代、自分の20代の青春時代に『「邪馬台国」はなかった』『失われた九州王朝』『盗まれた神話』の3部作を読んだ衝撃。

 それは「神話=天皇家の神話」「倭=日本天皇家」という固定観念からぼくを解き放ってくれ、客観的な、生き生きとした古代史と人間像をもたらしてくれて、この「雨宮ブログ」に流れ込むようになりました。

 その後、古田さんは、悪名高い和田家文書「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」を古田さんのそれまでの主張とは変化して、それを信じ切ってしまい、いわば「変質」していきますが、それだからといって、それまでの主張が変化するわけではありません。

 雨宮は、古田さんが「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」を「盲信」する以前の到達点と思想を「前期古田さん」と呼び、詐欺師の和田さんにからめとられた「後期古田さん」と明確に区別します。

 この本での「前期古田さん」の主張は、近畿天皇家は『日本書紀』が主張しているような朝鮮との関係はあまりなく、7世紀末まで朝鮮半島に軍を派遣していたのは、北九州に本拠のある九州王朝だったということです。

 九州王朝の本拠地が、いま「太宰府」と呼ばれている場所です。
 九州王朝は、7世紀末の唐・新羅連合と百済・倭国連合との「白村江」での決戦で大敗北をきっして、滅亡します。

 天智や天武の王朝は、この滅亡した「倭国」ではなくて、九州を占領した唐軍とも同盟したり、対立したりした、亡命朝鮮人を含む近畿の王朝で、やがて「倭国」を圧倒して「日本国」を名乗り、日本列島全体の、中国からも承認された正当な王朝となります。

 そういう「物語」で、いろんなことが説明できます。
 「倭の五王」「好太王碑」「七支刀」「磐井の「反乱」」、「九州年号」「日出ずる処の天子」などなど。

 この本でも、和田ウイルスの汚染は治っていませんが、汚染以前の清涼な状態を復元することは可能だと思いました。

本と映像の森39 カン吉云さん著『倭の正体』三五館

2010年05月17日 05時03分30秒 | 本と映像の森
本と映像の森39 カン吉云さん著『倭の正体』三五館、2010年3月8日初版~3月25日3刷、222ページ、定価1500円+消費税

 すみません。「カン」の漢字が見つかりません。
 著者のカンさんは、韓国人の言語学者です。

 古代史に出てくる「倭」とは何か、その正体を追った推理研究です。

 カンさんは「倭」=日本列島の「日本」という常識を疑い、研究していった結果、日本列島の近畿天皇家(カンさんの言う「大和倭」)が3世紀あるいは4世紀から朝鮮半島に軍を派遣していたという定式を破棄して、古代朝鮮の史書や古代日本の史書に現出する「倭」は、南朝鮮の「加羅」や「百済」などを本拠地にしていた勢力であり、加羅や百済の衰退や滅亡にともなって、日本列島へ移住・亡命した人たちであると推定しています。

 いちばんおもしろいのは、欽明・継体・舒明・皇極・幸徳・天智・天武天皇と後に『日本書紀』で命名された人たちは、どこの誰なのか、という謎解きでしょう。
 つまり、彼らは、朝鮮系の王族たちであったという解明です。

 この謎解きが正解なのか、誤解なのか、みなさん自身で判断してください。
 万世一系の、歴史学右翼のみなさんにはショッキングな、とんでもない結論で、「トンデモ本」ということになるでしょうが、ぼくはその正邪を検討すべきまじめな本だと思います。
 
 細かい判断はまだできませんが、百済・加羅などの「南朝鮮」から日本列島への移住の動きという流れは正視すべき流れだと思います。
 
 当時は、中国や朝鮮が日本列島にとっては、模範・モデルなのでした。
 いよの時代から、近畿天皇家が派遣軍を朝鮮に送って支配して、鉄や先進物を日本列島に持ってきた、というような妄想は、そろそろ成り立たなくなってきていると考えます。

 ただし「ドラヴィダ語」うんぬんの部分については「まじめ」なものかどうかという判断を保留しておきます。
 なにしろ「ドラヴィダ語」うんぬんは、あの大野晋さんが関係しているのかどうなのか。
 大野晋さんの日本語とドラヴィダ語の関連説については、安本美典さんの批判が正しいと思いますので、参照してください。