雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

本と映像の森41 清水眞砂子さん『本の虫ではないのだけれど』

2010年05月19日 22時37分36秒 | 本と映像の森
本と映像の森41 清水眞砂子さん『本の虫ではないのだけれど』かもがわ出版、2010年5月27日発行、251p、定価1900円+消費税

 雨宮日記の続報です。
 清水眞砂子さんの分科会での講演にN子さんが感激して買って来ました。

 「私たちを食べさせ、着せるのに忙しかった両親も、学校の先生たちも、幼い私の先進がどこを旅していたかを知らなかったろうと思うのだが、知らないでいてくれたことを私は今、心底感謝している。そのおかげで私はだれに邪魔されることもなく、この世の不思議に心を驚かせつづけることができたのだから」

 清水さんは入学してきた学生に「わかりいそがないで」と言います。
 「わからなくていいの。わからないことがすてきなの。どうやっても歯が立たないものに出会うこと。自分の小ささを思い知らされること。それが歓びとなるような世界との出会いをしたい。」

 そういうすてきな世界、本の世界を清水さんはたっぷりと語ってくれます。

 そして、42ページを読んで驚きました。
 「私は、こうすべき、ああすべき、べき、べきで、たいへんな「べきべき」人間だったのです。「べきべき人間」などという言葉は私が勝手に作ったのですが…」
 「べきべき」、「ねばねば」というのは、ここ数年、ぼくが批判を込めて使っている言葉です。つまり、まったく独立に同じ言葉を作ったわけです。

 それから、清水さんが夫の菅沼さんと結婚してから、住んでいる掛川の自然を2人で歩き始めて、自然を知り始めたという話や、山にいったとき、2人でいると、いろいろしゃべっちゃうから動物は寄って来ない、一人でいるとオコジョが間近でのぞき込んだという話。
 あれ、ぼくたちと同じ2人がいるという不思議な感覚でした。

 この本ではやはり「ゲド戦記」のことです。
 「ゲド戦記」はジプリでアニメ化されましたが、ぼくは2巻くらいまで、それも詳しい評論でしか知らなかったので、6巻まで出ている紹介を読んで、さっそく読んでみようと思います。

 清水さんは「「ゲド戦記」は人が名声を獲得していく話ではなく、無名を獲得していく話であり、力を獲得していく話ではなく、自らの意志で力をなくしていく話ということができる。そして最後に作者が私たちに見せ、聞かせてくれたもの、それが…」

「「ねえ、わたしが留守の間、何してた?」
 「家のことさ」
 「森は歩いた?」
 「いや、まだ」
 「ゲド戦記」は、こんなありふれた夫婦の会話で幕を閉じる。」

 「三十年余の年月をかけて、ようやく二人が手にした会話。
 「そうよ、わかるわ。これは私たちの物語だもの」」
 N子「が言い、かたわらで」ぼく「がうなずく。」

 全6巻のタイトルを紹介します。全部、岩波少年文庫で読めます。少年文庫版で6冊で4830円。通常のハードカバ^ーだと1万1295円です。

  第1巻 影とのたたかい
  第2巻 こわれた腕輪
  第3巻 さいはての島へ
  第4巻 帰還
  第5巻 ゲド戦記外伝(短編集)
  第6巻 アースシーの風
 (少年文庫版によります。ハードカバ^ー版は5巻と6巻の順序が逆です)。


 

雨宮日記 5月16日(日) N子さんと「影とのたたかい」

2010年05月19日 06時06分06秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 5月16日(日) N子さんが静岡県母親大会に

 5月の第2週「母の日」は、日本中で、それぞれの「県母親大会」が開催されます。
 
 N子さんが「浜松基地自衛官自殺裁判」の訴えで、小笠高校に開かれる「静岡県母親大会」に参加するというので、そのチラシを見たら、「ゲド戦記の訳者、清水まさこさんが語る」という分科会があるではありませんか。

 「ゲド戦記」訳者の清水さんは,直接よく知らないし、「ゲド戦記」もちゃんと読んだこともないのに、N子さんに、自信をもって「この分科会を聞くといいよ!」と断言してしまいました。

 20年以上前に読んだ本で、「ゲド戦記」の第1巻「影とのたたかい」の話があって、記憶に残っていたので、N子さんに勧めたのですが、大正解でした。

 続きは「本と映像の森40」でどうぞ。